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寺子屋の取り組み 2024 ③

All grown-ups were once children…
but only few of them remember it.  
大人も皆かつては子どもだったけれど、
ほとんどの大人がそれを覚えていない。

サン=テグジュペリの言葉

本当にそうなんだなと思うことが年々増えている。

長期休み明けすぐにある定期試験を、休み中に計画的にしっかり勉強できて良いという大人も、

自分たちの都合を押し付けているくせに、「子どもたちのため」なんていう大人も、

内容も見ないでテストの点数や成績をやたらと気にして叱る親も、
成績や学校の偏差値を他の子と比べては嘆く親も、

自分の責任は棚に上げて、人ばかり責める大人も、

子どもたちにさせればよいこともして、自分で自分を忙しくして苛立つ大人も、

子どものクラブや習い事で自分たちの追体験をして酔いしれる大人も
自分のことを棚に上げて、人の揚げ足ばかりとる大人も

自分が子どもだったとき、
嫌な大人のカテゴリーに入れていた大人ではなかったのだろうか。

私は、そんな大人にはなりたくないと思っていた。

そして、今でもそんな大人にはなりたくないと思っている。

子どもたちの学校は、子どもたちが社会で生きていくために必要な知識と経験を学ぶためにある。

その必要な知識と経験は、決して将来子どもたちがお金を稼ぐために役立つ知識でも、彼らが経済的に豊かになるためにあるわけでもない。彼らが社会で生きていくためのものだ。

社会で生きていける知識と経験は、自分だけではなく他の人も大切にでき、助け合える人となり、苦境に直面したり、失敗したりしたときに助けてくれる人がいて、同じように苦しんでいる人を助けることができるようになるために必要なものだ。その知識と経験は、必ずしも成績には反映されない。

今、大人たちがその目的を忘れて、子どもたちはそんなことを知らずに、やたらとテストに出ることを頭に詰め込もうとして失敗して、苦しんでいる気がしてならない。

中学生・高校生の来年度のスケジュール調整を終え、小学生のものに取り掛かりながら、小学生で学ぶべきことを減らさずに、それなりの成績を修め、子どもたちがのびのびと中学生までに学習の姿勢を整えることができる方法を1人、1人のお顔を思い浮かべながら、考えている。

今、どのような環境で、何を学ぶかは、子どもたちの将来の余裕を作り出せるかどうかを決める大切な要素だから。

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