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想像以上に大きな島だった

 学校がお休みの日、天気が良かったので、野苺を摘みに散歩に出かけました。先生から教わった野苺の群生地は、寮から歩いて30分くらいのところにあり、そこを目指して日の照る坂道を歩いていましたが、思いがけず、目的の地点よりも手前で、野苺がたくさんみつかり、結局、辿り着くまでに十分な量の野苺を確保してしまったので、群生地までは行かずに引き返しました。

 海士町に移り住み、授業が開始してから1ヶ月と少しが経過しましたが、私の現時点の感覚では、海士町という一つの島で生活しているというよりも、崎という、校舎のある地区に暮らしているという感覚です。私たちの住む寮と、真っ白な校舎、その間に2件の商店と郵便局、坂を下れば釣りができる堤防と、神社、お世話になっている漁港、街のはずれには生活に欠かせない湧水があり、反対には地域の方々が集まる旧小学校があるというところでしょうか。

 海士町は、人口約2000人の、小さな島ですが、実際に住んでみて、等身大の自分で生活を体験してみると、私が住んでいる崎地区だけでも、とても大きい町のように思えてきました。一見小さなところに見える崎という町も、生活をしているとたくさんの発見があります。

「この坂を登ったあたりには野苺がかなりたくさん実っている」
「堤防には何日かに一度鯵の魚群がやってきて、よく釣れる日がある」
「商店にはこの曜日にいけば海士町産の豆腐が入荷してある」
「この時間にこのルートを散歩するとほぼ確実にあのおばあちゃんと会える」
「この道のこの角度からは藤の花がとても映えてみえる」

 他にも挙げればキリがありませんが、生活をしていれば、この崎地区だけでも、個人的な小さな発見が多くあり、季節が変わっていくことも考えると、崎地区の全てを知ろうとすれば途方もない作業になると思います。

 そんなことを考える中で、こちらも休みの日に、島を原付で一周してみたのですが、先述のことを踏まえると、とても小さな島だと思っていた海士町が、とても大きな島であるということに気付かされました。

「この地区のこの路地の先にこの辺りの人が利用する湧水があるかもしれない」
「この道路脇の茂みには、何か山菜が自生しているかもしれない」
「この公園ではこの地区の人が毎週何かしらの集会をしているのかもしれない」

こちらも数え上げたらキリがありませんが、今までだったら何の変哲もなく見えた町の風景から、そこに根差した生活の奥行きのようなものが抽出されるようになりました。きっとこの島のことを全て知ろうとすると、私が学校に通う一年では途方もない作業だろうということを感じさせられました。

 島食の寺子屋の授業では、島中の生産現場を回り、時には自ら自然の中に入って食材を調達することもあり、そのおかげで少しずつ、私の中で島の解像度が上がっていることを実感します。ただ、それと同時に、この人口2000人の島が、全てを知るには途方もなく大きな島であることを分からされる日々です。卒業の来年3月まで、どれだけ海士町のことを知ることができるかは分かりませんが、この、小さいようで大きな島で、飽きることのない一年を過ごすことができそうだと思いました。

(文:島食の寺子屋生徒 岩崎)