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みどりさす

北海道でも採れるから、とあきらめかけていた。
5月ならまだ大丈夫と、近所のおばあちゃんの言葉に背中を押されてよもぎを探しにいく、休日の朝。雲ひとつない青空に、新緑がまぶしい。

よもぎはすでに大きく生長していて葉が固く、柔らかい新芽だけを袋に集めていく。
黙々と摘みながら、過ぎていった1か月半を思う。

一人が好きでマイペースなわたしには、寺子屋でみんなと過ごす毎日の濃度が高すぎて、息ができなくなりそうだったこと。
授業で魚をさわるようになってからは、生臭さと、血と内臓を前に、いつも泣きたいような気持ちでいたこと。

島に来たばかりの頃つぼみだった校舎の桜はあれよあれよと咲き誇り、ではこれにてと、桂剥きの手を思わず止めてしまうようなこぼれ桜をわたしたちに見せて、葉桜になった。
まだ見ていたいのに、季節に追い立てられているような、何かに焦っているような、呼吸の浅い日々だった。

寺子屋の桜の木は、若葉を茂らせている。歩きながら山の方に目をやると、いろんなトーンの緑が広がっている。シャクナゲが鮮やかに咲いて、海士町の景色は賑やかになってきた。
季節はどんどん変わっていくけれど、同時にわたし自身の変化に気づいてもいる。
とりあえず今日を生きるために日をまわしていくうちに、自分のしたい呼吸をして、どんな魚も望むところだと構えていられるようになった今、少しは前に進めたのかな、と思う。慣れってすごい、とも。

朝とはいえ、風のない中を二時間も歩いていると、長袖の下はさすがに汗ばんでくる。
途中見つけた野苺も、ついでに連れて帰ることにする。
袋いっぱいに摘んだよもぎの香りを深く吸い込んで、湯がいたあとの若草色に心を躍らせて。
今日はわたしの方が、季節を追いかけていた。

(文:島食の寺子屋生徒 佐野)