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「まわり道」で、気づくこと

こんにちは、本多です。お寺の住職、大学での教鞭、それからテラエナジーの創業メンバーとして取締役をつとめています。僕は小学校のとき、海外に住んでました。noteでは、日常で感じたことや考えたことをできるだけ素直に言葉化したいと思います。ゆっくりしたときに読んでもらえたらうれしいです。

元上司の逝去

4月25日、丘山願海先生が亡くなられた。仏教学者で浄土真宗の僧侶でもあられた。

その日の午後、関係者から電話がありとても驚いた。2週間前にお元気な姿をお見かけしたばかりだった。

数年前、勤務していた職場の上司が丘山願海先生である。はじめて職場に来られた時のことをよくおぼえている。当時は階段の踊り場が喫煙所になっていて、デスクのある3階に上がっていたとき、ばったりお会いした。

「今度、新しく来られる先生かな」と思って軽く会釈すると、「体にはよくないんだけど、なかなかやめられなくてね」と恥ずかしそうに言われた。初対面の場面をなぜかはっきりと憶えている。

僕のお寺にきてもらって仏教の話をしてもらったこともあった。職場ではずいぶん失礼なことも言ってしまった。それでも笑いに変えて、つつみ込んでくれる懐の大きさには今でも感謝している。

素懐(そかい)??

訃報から数日して、関係者からメールが届いた。丘山先生が亡くなられたことを知らせるメールだった。送信元は僧侶、送信先もほとんどが浄土真宗関係者である。

丘山願海先生が去る4月25日に往生の素懐を遂げられました。

「往生(おうじょう)の素懐(そかい)を遂(と)げる」という表現は、仏教界隈では聞きなれたフレーズである。

往生とは、「浄土に生まれる」こと。浄土真宗では阿弥陀如来に抱きとられ、命を終えた後、浄土に生まれてゆくと説く。

一方「素懐(そかい)」とは何か?ネット検索すると「素懐」とは「かねてからの願い」とある。つまり「丘山先生は、4月25日に、かねてからの願いであった浄土へ行くことを遂げられました」という意味合いになる。

「そうだ、往生は素懐だった」と「ハッ」と思った。

「命を終えることがかねてからの願い?」と驚かれるかもしれないが、死が素懐なのではなく、往生が素懐なのである。

阿弥陀如来の願いは、誰一人取りこぼすことなく真実の世界であるお浄土に生まれさせるというものだ。浄土に生まれるとは、仏と等しいさとりを得ること。今生でそれができればベストだが、煩悩が多く修行も徹底できない身。だからせめてこの世を終えた後、浄土で仏となることが、阿弥陀如来による救いを説く浄土真宗の往生論である。

突然の訃報を聞いたとき、もう一つとても大切なことを忘れていたことに気付いた。

「そうだ、人は必ず死ぬんだ」

はじまるから、終わる

法要や法事では、お経の前に表白(ひょうびゃく)という儀式の内容を尊前に奉告する文章を読む。そこに次の定型句がある。

「生あるもの、必ず死に帰するは、世のならいなり」
(生まれてきたからには、必ず死に至るのは、避けることのできない世のことわりです)

なぜ死なないといけないのか?それは、生まれてきたから。

あたりまえのことわりを、とても遠いところに置いてきた来た気がした。

生まれてきたら、いつかは死ぬ。出会うから、別れがある。始まるから、終わる。若いから、年をとる。自然があるということは、自然災害はいつか起こるということ。車があるということは、自動車事故はいつか起こるということ。どれも避けたいけれども、避けきることはできない。どれだけ精神を磨いても、どれだけ技術が進歩しても、0%には絶対できない。「ある」とはそういうことである。

そんな「あたりまえ」をすっかり忘れていたことに気づいた。

自分には起こらないことと、何の根拠のない盲信をもとに、日常を過ごしていた。

「まわり道」による気付き

先生が往生の素懐を遂げられた4月25日の夜、大学の体育館で学生とバスケットボールをしていたら、左アキレス腱を断裂した。

あれから2ヶ月、まだ義足生活である。とても不自由だ。左足が自分をこんなに支えてくれていたことに改めて驚いた。

一方、身体の不自由を機にいろんなことを周りに任せるようになった。甘えるところはとことん甘える。法要の準備を檀家さんにお願いしたり、お参りの送り迎えもお願いする。相手には迷惑を掛けるが、仕方がない。

これも怪我から学んだことである。相手に身を委ねることしかできない。自分で自分を支え切ることは、無理。どうしようもない。生きとし生けるものは支え合っており、最後は委ねたり委ねられたりしかできない。

丘山先生がこんなことを書き残している。

私が今、苦しみや悲しみに運良く襲われていないなら、いえ、私が今、苦しみや悲しみに運悪く襲われていたとしても、だからこそ私は、私とともにある誰かをいつでも振り返る心を持ちたい。

丘山新『菩薩の願い』NHKライブラリー、2007年、6頁

人生を「まわり道」しながら、世のことわりに少しずつ触れている気がする。変な言い方だが、思い通りにならないことや失敗が多いほど気づきが多い。そういえば丘山先生も「毎日、失敗だらけだよ」と笑って言っておられたのを思い出す。

テラエナジーの「ほっと資産団体」は、自死念慮者を支援する団体、難民を支援する団体、シングルマザーを支援する団体、貧困を抱える人々を支援する団体など、多岐にわたる。人生の「まわり道」を悲観的にみない、そんな世の中に繋がる活動団体と共に歩みたい。テラエナジーの根っこにある価値観だと思う。

本多 真成(ほんだ しんじょう)
1979年生まれ。大阪八尾市の恵光寺住職(浄土真宗本願寺派)。龍谷大学大学院を修了し、私立大学の客員教授をつとめる。院生時代は「環境問題と仏教」の思想史研究。専門は宗教学。TERAEnergy取締役。

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