初恋の味がするトマト

数か月前に執筆した記事です

仲間のひとりが一晩で1億を失った。

彼から電話が来たとき、僕は鹿児島の港からフェリーで1時間のところにある離島にいて、ホテルの外、大きな公園でひなたぼっこをしていた。

電話越しではあるが、今までにないほどの暗さを感じた。

僕は「あの投資家、まさか偽物だったの?」と言い、むりやり笑うことしかできなかった。

一晩で地に落ちてしまった彼は、もう生活していく資金もなくなったと言うので、僕は緊急で自社の仕事を依頼し、お金を振り込んだ。

そのとき自分は軽めの日本横断をしていたのだが、彼と同じく精神的に結構やられていた。幸せがなんだかまるで分からなくなっていた。

この投資事件には裏で大企業も絡んでおり、テレビにも出た。しんだ方がラクになるかなと日々連呼する彼に、一緒に生きていこうよと言うことしかできなかった。

彼は僕のいくつか下で、いま25歳だと思うが、僕の事業が軌道に乗るずっと前から第一線を走っていた。

ただただかっこよかった。初期の頃からずっと背中を追っていて、ようやく隣まで追いついたときにこの事件にぶち当たった。僕も一歩間違えれば数百万単位でやられていた。間一髪だった。

彼とはプライベートでもよく遊んだ。彼の恋人はトップキャバ嬢で、よくその子が通うキャバクラに一緒に行った。だいたい夜の24時頃に、銀座や六本木に集合した。お店に着くと恐ろしいほどの勢いでいろいろと注文し、驚愕の会計を叩き出した。眉一つ動かさずに彼が払うこともあれば、僕がハラハラしながらみんなの分を払うこともあった。

深夜3時過ぎ、彼のことを気に入っているオーナーがいるバーに行き、テキーラを飲む。そこでたまに面白そうな人を紹介され、ときには名刺を交換した。ときには複数人での会食が開催された。もうヘトヘトだった。楽しいようで楽しくない日々。もともとの幸せの形を彼は忘れているし、僕もどんどん忘れていた。それに気づかないように数字やアルコールで自分をごまかし続けた。

ここには書けないようなこともいろいろあるのだが、こんな生活をしていたらいつか絶対に足元をすくわれるだろうな、と思っていた。彼も僕も仕事上は絶好調だったが、幸福度は下がっているように感じていた。でも解決策がわからなかった。

彼はやがてハイブランドの服ばかり着るようになり、それに触発されて、僕も一時期、ハイブラのものばかり買うようになった。ただの布なのに、何十万も使って服や靴を買い続けた。

その瞬間だけは満たされるのだが、それはほんの一瞬の麻薬みたいなもので、また夜になると寂しさが襲ってきた。彼は僕の前では強がっていたが、今思うと、僕以上に孤独で寂しかったのだと思う。

全てを手に入れて、欲しいものは全て買えるように見えた彼も、実際は何も手にしていなかった。その真実から目を背けるためにあらゆる手段に頼った。

彼はいつか倒れるだろうな、と思い始めていた。そして僕もこのままだと精神的に病んでしまうだろう、と感じていた。自分が欲しかったものも、目指していたものも、どんどん分からなくなっていた。かずんでいく視界。鉛のように重たい体。うまくいけばいくほど、なぜか反比例するように心の闇が膨れていく。いつかパチンと弾けてしまう前になんとかしなければと必死だった。もうこの頃には薄々気づいていた。いろいろなことの真実に。

ある日、彼が起業家たちの会食に呼んでくれて、僕は重い足取りで向かった。一時期はそういう交流も楽しみだったが、途中から疲れ始めていた。世の中、いい人もいれば悪い人もいる。これまでも裏切られたり、騙されたり、多くのことがあった。おいしい思いもしたり、最悪な思いもした。全ての感情が混ざり合い、自分の胸の奥底に沈んでいる。それは怪物のようにうごめき、たまに僕自身を食らおうとする時がある。

その会食では自分よりも何倍もすごい人たちがいて、終始冷や汗ばかりで、ぜんぜん楽しくはなかった。遠い日を思い出す。ふと彼の横顔を見ても、あまり楽しそうではなくて、そういえば彼が最後に心から笑った日はいつだっけな、と思った。昔はもっと心から笑っていた。その本物の笑顔にひかれて、僕もよく笑っていた。会食が終わると僕らは逃げるようにその場を後にして、夜の街に消えた。たしか赤坂だったと思う。

たくさんのものを得ては失った。夢を叶えると同時に、絶対に失いたくなかったものを失い、しばらく自暴自棄になっていた時期もある。お金があればなんでも買えて、6年にわたり自分のことをいじめてきた奴らを見返せると思っていた。でも見返せなかった。それにお金で買える幸せなんてたかが知れていることに気づいた。本当の幸せは決して買えないし、不幸を減らすことが必ずしも幸せとは限らない。壁を乗り越えてもまた新しい壁が自分の前に立ちはだかる。その繰り返し。いつになったら救われるんだろう、とずっと思っていた。

前にヨーロッパを放浪してたときも、全く同じことを思っていた。深夜、パリの郊外を1時間ほど歩いてる間、なぜ自分はこんなに空っぽなんだろう、と自問自答し続けた。答えは出なかった。途中、歩くのをやめてタクシーに乗ろうとしたが、待てど待てど一台もこなかった。見知らぬ土地で、今にも泣き出しそうだった。

一晩にしてほぼ全てを失った25歳の彼に、「今度田舎のスパ銭に行かない?」と連絡した。そこは定期的に行く場所で、お風呂もプールもジムもある。彼からは「行く、絶対に行く」と返信が来て、それから数日後には会うことになった。彼はもう東京から出て実家に帰りたい、と連呼していた。

車で駅まで向かって、彼を拾った。もう前みたいにハイブラを身に纏ってはいなかった。僕も同じく、適当なスウェットだった。彼を助手席に乗せて、「その後、大丈夫?」と聞いたら、「うん、大丈夫」とだけ言い、窓の外を見た。その横顔が、いつかの横顔よりも力強かった。静かな音楽をかけた。二人ともその音色に耳を傾けた。僕も彼もあらゆるものを得ては失ったが、今この時間だけは確かだな、と思った。ここには書き切れないほどお互い色々とあったが、今こうして一緒の時間を共有できていることが嬉しかった。生きててよかった、と思った。

平日の真っ昼間、僕らは湯船に浸かって、深いため息をついた。それは安堵のように感じた。彼は「結局さ、こういうのが幸せだったよね」と言った。続けて、「僕たちは闇に飲まれる寸前だったよ。幸せはすぐそこにあったのに」とほとんど独り言のように話した。

僕は、「途中から気づけなくなっていたよね」「でもようやく気づけたと思う。一周まわって、気づけたかな」と返した。彼はそれに対して何も言わなかった。しかし数分後、「でも、さ、僕、けんごさんのことは好き。みんな離れていっちゃったけど。恋人とも別れたし」と言い放った。僕は「そっかぁ」とだけ言い、露天風呂に行こうと提案した。

風呂から出ると、館内着に着替えて、一緒にご飯を食べたりオセロをしたりした。何も所有せず、責任もプレッシャーもなかったあの頃を思い出した。彼ははしゃいでいた。昔のようにクシャッと笑った。彼は「これからさ、全てやり直そうかな」と言った。僕は彼が立ち上がれることを知っていた。数年もあればまた成功してしまう。「きっと全て大丈夫だよ。僕たちさ、またゆっくりがんばろう」と返した。

理想と現実はまるで違うし、他者からの評価と自分の評価も全く違うけど、彼はまた背中を見せて生きてくんだろうなと思った。彼の後を追う起業家はたくさんいるし、僕の後を追うコピーライターもたくさんいる。現実に呑まれて、負けてはいられない。葛藤もするし、越えられないような夜もたくさんあるけど、きちんと超えていかないといけない、と思った。しかし気を張りすぎていたように思う。そして数字や目の前の壁に追われて、本当に大事なことが分からなくなっていた。そのことに気づけたのが、20代で一番の収穫だったと思う。本当に大事なことは少ない。そして幸せはそこまで買えない。

ある日、たしか六本木で、とある医者と、通販会社の社長との3人でバーに行った。そこは隠れアジトのようで、入り口が分からずに5分ほど遅刻した。

二人は僕を見て、「おお、よく来れたね」と言って笑った。通販会社の社長は、豪快に飲んで酔いが回り始めた頃、「君はさ、結局何を目指してるわけ?何が好きで、何がしたいの?」と聞いてきた。鋭い目だった。僕は思わず一瞬目を逸らし、でも目を逸らしたことを悟られたくなくて、数秒後にまた目を合わせた。

「やっとここまで来たのに、いろいろなことが分からなくなってしまいました」と答えた。その社長はフッと笑い、「悩むのは素晴らしいことだね。思う存分悩みなさい。ただ、本気で悩むこと。いい?本気だよ本気。とことん悩み抜いて自分なりに答えを出しなさい」と言った。僕の目をまっすぐ見ていた。その瞳に吸い込まれてしまいそうで、僕は何も言えなかった。

また、日本横断時、鹿児島の離島にしばらく滞在していたのだが、一緒に過ごしていた営業会社の社長から、「お前は幻想を追い続けている。10年前の俺と同じだよ」といきなり言われた。僕は「10年前かぁ」と言い、空を見上げた。風が心地よかった。夜、離島の居酒屋で魚を食べた。島の人が話しかけてくれて、僕らはそれに丁寧に答えた。店主が「初恋の味がするトマトって知ってる?」と言い、大きなトマトをプレゼントしてくれた。好きだなと思った。この島も、海も、風も、星空も、ここに住んでいる人たちも。

そういえば、銀座のキャバクラで彼が40万ほど使った日、なぜかひどく落ち込んでいて、「頭を冷やすために隅田川に行ってくる」と言い、そのままタクシーに乗ってひとりで隅田川に向かった。

猫の餌やりを頼まれたので、僕は西麻布にある彼の家に戻り、餌をあげてから、シャワーを浴びずにソファーに寝そべった。睡眠薬を飲んだ5分後、お酒を飲んでいたことに気づき、副作用を覚悟する。予想通り頭がぐわんぐわんと揺れて、幻聴も聴こえた。自分はこんなところで何をやってるんだろう、と思った。翌朝、彼は帰ってこなかった。僕も彼も、この時くらいから気づいていた。僕らの進む先に、僕らが求めていた幸せは一切存在していないということに。深夜、彼は隅田川のほとりで、一体何を想ったのだろうか。

日本横断や海外を放浪したりして、たくさんの美しい景色や、すてきな人たちに会った。それだけでなく、普通の日々の中でも。それらの記憶の断片が、今の自分を力強く支えていることにふと気づいた。それは、雷に脳天を撃ち抜かれたような、かなりの唐突さで。隅田川ではないが、昔、彼と一緒に歩いたどこかの川のことも思い出した。小さな記憶の断片が、今この瞬間も、内側から、消えない炎で灯してくれている。成功と失敗を繰り返し、怒涛のスピードで時間が流れていった今、地に足をつけて立っている。現実こそが全てである。

彼はまた、必ず再起する。数年で僕を軽々と超えていく。そして僕も、またゆっくりと立ち上がる。またボコボコにされるかもしれないが、それでも彼も僕も立ち上がる。そして幸せの形が、輪郭がようやくわかってきた今、生き方の一部を変えることができる。このタイミングでよかった、と思った。これからも僕らは生きていける。自分の幸せを保ちながら進み直していける。何も焦る必要はないし、ゆっくりでいい。僕らは何度も軌道修正しながら進んでいけるのだ。

僕は生きていく。彼も生きていく。彼は全てを超えていくし、また必ず僕の前に大きな背中を見せてくる。僕も前を向く。目線を下から前、上に戻す。大切なものや人は、ものすごく身近にあったことにも気づいた。僕らはバカだった。何も分かってはいなかった。誰かを見返してやることもできない。彼らは彼らで幸せに生きているからだ。だったら僕らも僕らで、勝手に幸せに生きていくしかない。瞬間の体積が時間になり、時間が人生になるなら、瞬間から変えていくしかない。新たな目で、心で、たしかな足取りで歩いていく。

真の富とは、有形資産ではない。形ある資産を全て失った時にでも自分の中に残り続けているものこそが富である。大事なものほど目に見えないというのは、本当だったなと思う。20代では目に見えるものばかりを追って、途中でおかしくなり、闇落ち寸前だった。これからはもっと真の富を構築していきたい。

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