塩は、正義じゃないとずっと思ってた。

「塩にしますか?タレにしますか?」。焼き鳥屋に行くと、必ず店員さんにこう聞かれる。この質問に対し、僕の周りにいる大人たちは、なんの迷いもなく、ほぼ9割9分の人が「塩で」と返答する。

なるほど、なるほど。「塩」で肉本来の旨味を確かめる。これこそが、東京に住み、お金も稼いで、スマートに生きる大人なんだと、僕は自分を騙し、これまでの飲酒人生を納得させてきていた。

でも僕は、どんなに高級な焼き鳥屋に連れていってもらっても「あー、タレにつけて食ったらもっと美味いだろうな……」という思いを密かに抱えながら暮らしていた。

子どもの頃、スーパーの入り口に出店している安い焼き鳥屋さんで母がよく焼き鳥を買ってくれた。それがタレ派に傾倒していく原体験だ。肉そのものは決して良いものではないかもしれない。でもあの甘いタレにつけられた瞬間、肉は魔法にかかり、輝きを増す。だから上京し、初めて大学の友人と焼き鳥屋に入って、その友人が「塩」といったとき、耳を疑ったのをついこの間のことのように覚えている。だって、焼き鳥を塩で食うなんていう文化を持ち合わせていなかったのだから。

大学を卒業してから約10年。会社の先輩も、上司も、得意先のお偉いさんも、やっぱり「塩」だった。

塩好きになれれば、どんなに生きやすい世の中だろうと思う。でもやはりタレを裏切ることはできなかった。自宅近くの商店街には、汚い立ち飲みスタイルの焼き鳥屋がある。そこは安い焼き鳥を、衛生的に大丈夫かと思うようなタレ壺に浸して、焼き鳥を渡してくれる。でもこれが美味い。「この味、この味!」と納得し、ほっとする瞬間だ。僕は隠れキリシタンのようにひっそりとこれからもタレ派を信仰していきたいと思う。

タレ派の方がいましたら、多分、気が合います。ぜひ飲みにいきましょう。好きな女性のタイプを聞かれて困ることがあったけど、「焼き鳥はタレ派」という条件を加えようと、今、書いていて思いました。


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