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放送後記 『ちゃぶ台のラジオ』 #2


お盆休みっぽく?

ご近所さんながら、『デザインはみんなのもの』というメッセージを地元に拡める。番組のミッションを進めるうえで、個人的にこの人の存在は欠かせないと思っている。

今月は、石川 睦美(bigcrunch.jp / くるめアパートメント、ほか)の登場。
(※ 以下「ムッちゃん」と表記。)

TOKYO 854 的には、「三水十」(第三水曜 10時)『防災キャラバン』 のパーソナリティ『クリエイターの地産地消』を標榜する、僕にとってもありがたい存在。「お盆休みに実家に帰ったくらいの安心感で」とは言ったものの、いきなりシソンヌじろうを名乗るというビミョーなボケをかましながら、人が原稿読んでる向かいで自撮りしながらインスタ投稿してやがるw 



決まった!(たぶん...)

20代の時にハマったのだけど、あらためて引っ張り出してみたらやっぱり良い。民謡っぽさのイメージが強いけど、何気に裏打ちのレゲエっぽさもあって青臭いメッセージも良い。


1曲目:上々颱風 「愛があるから大丈夫」

「今度こそ...」のイントロ曲紹介が割とバシッと決まった瞬間だ。
(思った以上に気分が良いw)

ついでに大事なこと。
デザインも結局のところ、最後に必要なのは『愛』である。

併せてこの日のプレイリストも。



地域創造屋 『くるめアパートメント』

(プロフの事前送信を拒否した割には)命名までの経緯は割とドラマチックだったという。

2012年、地元「まちづくり協議会」主催イベント。そのとき参加団体各方面から(遊びに行く側で)誘いを受ける。そこで市役所・生活文化課の人から「面白いヤツ」認定を受けた流れで、図らずも市役所でバイトすることに。あろうことか市役所のいちばん「お堅い」フロア勤務。革ジャンで彷徨いていたという(悪目立ちしなかった?笑)。

実は東久留米っていろんな団体とそのポテンシャル自体はあるんじゃね?

そこでそう感じた。...でも発展しない。
いくつかの団体で同じようなことやっていて、結局うまくいってない... 無理にまとめようとするからイマイチなんでないの?と。「横に繋がろう」なんて意気込まなくても「〇〇 対 わたし」の状態をたくさん作るようにする。その調整役に自分がなれば良いんじゃないの?

その状態は、団地の多い東久留米という土地の、お互いの存在は知っていても、隣人の生活スタイルにまで口出しすることなんてまずない... 別にそんな距離感のままでいいんじゃないかな...? それが集合住宅の住人の距離感さながらだなと、ふと「アパートメント」はどうか?と思う。『くるめアパートメント』の誕生である。

いわゆる「コミュニティ」というより「バンド」もしくは「チーム」と言った方がシックリ来るかもしれない。


縦のつながりと横のつながり

前述の声かけくれた人も当時の産業振興課(現産業政策課)の人たちも

役所というのは基本的に「縦割り」で、どうしても横のつながりを作りにくい。市民の側がそういう動きをしてくれると、横のつながりもできるし協力できることも増えてくると思うよ。

との声をもらう。普段のムッちゃんとの話も、半分かそれ以上かってくらい「東久留米ってデザイン機能してないしイマイチね〜」みたいな話になるが「それは仕組みの問題」と返されたことが僕にはエラく印象に残っている。実際クリエイターの側にとって、最も通って来ない領域と言ってほぼ間違いない。

それが彼女に至っては、もともとはデザイン仕事。そのもっと前から、のちに「強み」となる、親がまちづくり運動に参加していたりなどもあって、薄いながらも行政に入っていく場に関わっている。それもあってか、一時東久留米を離れた時期があっても、戻ってきたら知り合いの顔ぶれが変わってなかったり(第二第三の親的存在が多い)という稀な環境があった。

そういう経緯もあって行政・役所との「戦い方」というか「スパイ行為」というかを感覚的に体得する機会に恵まれた(こういう人がいてくれると、きっとクリエイターも入って行けるのでは?)レアキャラだ。
クリエイターにとっての「なんで通じないんだ!?」的ストレスは行政側にとってもまた然り。改めて「翻訳者」の存在が大事だと痛感する

さらに彼女にとって「まちづくり」は、ちょっとした地元への恩返しでもあって、「使命感」と言っては大袈裟だが当事者意識が強い。
この「当事者意識」こそが発注者と作り手、立場や言語が違っていてもまず共有でき得るポイント
だということを強調したい。


思えば初のリアル対面。「幻の」山本書店

昨今ではオンラインでの「はじめまして」も珍しくはないし、実際僕らもそうして知り合った。個人的には「さっさと出ていこう」とさえ思っていたこの街で子供らはすくすく育ちやがて「ここが地元」になっていく。その中で「地元の文句ばっか言ってる場合ではない」と、考えが変わっていくのを感じ始めたタイミングだった。たぶん5年かもうちょっと前。

南沢交番前 に長らく空き家状態だった『山本書店』(実は通るたびにその佇まいに惹かれ「あんなアトリエ持てたら...」などと妄想していた)を復活させよう!とファンクラブページを立ち上げたのがこの人。

25年ぶりに開けるにあたり、書店 + 地元の文化拠点になるスペースを!

という話で、その輪に入らないかという声かけだ。

店を閉じていた25年間、そこは倉庫状態で駅改札前に店舗があった。
駅から離れたその場所では以前のようには行かないと「書店+ α」の価値を
提供できる「場」にする必要があると店主に説いた。

当面の間、利益もないであろうその期間を耐える覚悟、店主の理解を勝ち取るようなマネタイズの計画性を伝えられないまま頓挫してしまったが、同時に多くの出会いも得た。僕にとっても、最もワクワクした地元案件のひとつかもしれない。


異端児でなくても「城」は必要

昨年末頃から、地元のデザイン認知を広める一助となればと、アトリエのもう一部屋を作り込んで『ちゃぶ台相談室』を主宰している。とはいえ所詮はアパートの一室。自分から直接呼ぶでもしなければ特に人が来るはずもなく、事実上「相談室」の機能を果たしていない。
それを鑑みてもやっぱり「城」は必要だと再認識している。


2曲目:青谷 明日香 「異端児の城」(ゲスト持込リクエスト)


かまぼこ板しか興味がない。

ときた!そのリリックが強烈に残る。ちょっと悪ふざけのようでw、それでいてしっかりメッセージが込められている。一度は聞いてみて欲しい。周囲から好奇の目にさらされながらも最後にはしっかり自身の居場所と幸せを掴み取っている。

今の世の中... みたいな言い方したくないけど、みんな自分がどうしたいかとかが分からないから不安になって、人を攻撃したり妬んだりするんじゃないかなと思って。だけど自分が何をしたいか見えててしっかり向き合えていれば「周りなんてどうでもいい」って思えるんじゃないかと思って。

なにげに至言である。クリエイターはもちろん、そうでなくても誰もやったことのない何か、周りから「そんなの無理だよ」なんて言われるようなチャレンジをした経験のある人なら何かしら残るのではと思う。

そしてゆっくりで良いから自分たちの『城』を築いて行きたい


おまかせ選書  『木が教えてくれたこと』

今回は勝手に相方だと思っているのもあり、選書はお任せすることにした。

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「木が教えてくれること」 加藤美礼・著(※自費出版)
購入はコチラから。


「コミュニケーションデザイナー」という肩書きで『大きな木』という会社を運営する著者を、ムッちゃんが半ば一方的に「師匠」と慕っているそう。

「木がおしえてくれること。 Talk tree workshop」 主に福祉施設のコンサルティング、ワークショップやイベント企画を行なっている“おおきな木”主催の加藤美礼さんより、〈Talk tree...

Posted by アーツ前橋ミュージアムショップmina(ミーナ) on Saturday, June 9, 2018


問題・課題を「土」に見立て、それを養分として吸い取る「根」を張る意識や整理整頓。目的という「幹」があって、それを達成に向かわしめるべく「枝・葉」という手段・行動。成果を「実」と見做す。
成果を「鳥」(= 企画のターゲット)が食べに来てくれるか?糞がまた循環して栄養になり得るか?課題から目的までの循環を木に見立てて行う、各所で開催された『Talk Tree Workshop』の事例集。

土と根に喩えるくらいだから、表面上では見えなかったりする課題も多い。それを見出し、整理し、言語化する。その大事なプロセスが見落とされていることが実に多い。うまく進まないプロジェクトの背景には大抵このテの言語障害が生じている。

その課題を「メンドクサイこと」と取るか「エネルギー」(根)と取るかの分かれ目は『当事者意識』の有無だったりする。事例となるワークショップでも重視されいる「課題の共有」こそ大事なポイント。
つまり参加者全員が当事者になるということだ。


最近のでっかいイベントでも...

考えてみれば、僕がイラスト仕事を受ける時は、その方向性が定まった状態であることがほとんど。そうでないとそもそも成り立たないことが多いし、実際その当事者意識を欠いたまま「とにかくおまかせで」と来る案件は幸せな結果になった試しがない。

その方向づけ... 前述の「土」「根」「幹」「枝・葉」のどれを欠いても(規模が大きければ尚)『上っ面のもの』になってしまう。
『ついこの間のでっかいイベントがまさにその状態だった』
という点で意見が一致した。

ただそれは必ずしも否定的ではない。(周知のトラブルの影響で)目的がブレてしまったり、人が足りなかったり、ムリヤリ埋め合わせたりがあったのは想像に難くないし、出方の人はたくさん辛い思いをしたことだろう。
それを想像して悲しくもあった。特にクリエイター目線で見たら物足りないのは当然と言えば当然...

しかしそれを、一切の反論の効かない状況で一方的に批判だけする論調が多すぎるのが辛かった。しかもそれがクリエイターの側にも多かったのが少しショックでもあった。『物足りないアウトプット』の背景にどんな苦痛があったのか... もう少し慮っても良いのではないか... SNSの怖さを見た』とはムッちゃんの談。僕も同感だ。

大きな目的から逆算してなお表面化しない課題(土)にどう対峙するか?あるいは想像するか...?そして見出せるか。
そのあたりの思考が『Talk Tree Workshop』とこの一冊との出会いを機に、すごく明快になったそうだ。


3曲目:FISHMANS「幸せ者」

前曲のメッセージとも少し重なるが「みんなが夢中になって暮らしていれば別になんでも良いのさ」のリリックが刺さる。もちろん「無法」であってはならないが、人の足を引っ張るよりも夢中でいたい。というのが選曲理由。


エンディングも、そのあとも。

エンディングでは「キャラバンのワークショップはアツかったねぇ〜」と。
まず当時(コロナ前・現時点で最初で最後)のものを貼っておく。

藤原さんありがとうございました!!

Posted by 防災キャラバン on Tuesday, December 17, 2019


単なる防災イベントと侮るなかれ。いろんな特技を持つ仲間を集め「制限された中での自由」をテーマに、基本的には普段通りでできることを。というスタンスの、ムッちゃん自慢の毎年開催してきたイベント(昨年は中止)。
僕は通りかかった子供大人に、敷き詰めた段ボール数枚と余った絵具と刷毛(と手)で「自由に描かせる」ホントにそれだけ(詳しくは読んでみて)。

避難所生活を想定した時に、ストレス溜まる、暇で仕方ない、ものも十分にない。そんな状況でいかに遊べるか?

そんな実験的な提案を発端にした企画から、スゴイのができてしまい、後日市役所ロビーで1週間ほどその絵が展示されるに至った。

【展示は今日まで!】  防災キャラバン...

Posted by 防災キャラバン on Tuesday, January 21, 2020


彼女のような存在が(マネタイズも含めて)もっと地元で活躍するようになれば、僕も「イラストレーターの立場のままで」役に立てる。

ちなみにこの放送後の解散後、サシでの「反省会」。話も膨らんで充実しまくりの深夜に及びw、 その結果なのか、2日後の「防災キャラバン」の放送内容とも地続きになった感が(自称「神回」。地元民として面白かった)。

神回更新したと思う。 神岡裕介氏、降臨✨ 今気になってること全部話せた気がする。 . . バンブーインサイドさん ちゃぶ台の主さん ツイッターのまるりさん そして、杏の豆舎さん 同級生のあやちゃん&...

Posted by Mutsum Ishikaw on Wednesday, August 18, 2021

その番組エンディングでかかった曲も青谷明日香(ブームか?)。
僕ももっと心から「この街が好き」と言い切れる街に近づくように、微力ながら力になれたらなと思う。

次回は 9月20日(月)21:00 〜  ゲスト:笹原 朝子(ことり堂)店主


※この再放送は、8月28日(土)17:00 〜 にあり〼

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