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女子バレー「劣勢・劣位的設定」からの脱却が始まってほしいという期待

(写真FIVB)

 バレーボール日本男子代表の最近の躍進がめざしく注目が集まります。またバレーボール自体の進化、戦術や技術のアップデートも男子バレーが先行し、女子バレーが後追うような感じになっているのもあって、女子バレーの「今」というものにもみなさんの関心が及んできています。
 日本女子のバレーボールの「今」をどう見たらよいのでしょうか?

勝てなかった要因は「優位」に立てなかったから

 男子のトップカテゴリ―で繰り広げられている、バレーボールの今を見た時に、「眼に見えるやっていること」(=「プレー指針」と称している)というのは、それ自体でバレーボールの構造を体現しているわけではありません。それらの土台にある、コンセプトやコンセンサス、ディシプリンなどの思考や共通理念みたいなもの(=「ゲームモデル」と称している)ものがチーム全体理解と共有化されていないと、(眼に見える)「やっていること」の必要性や必然性は説明できません。
 以下を、男子のゲームで繰り広げられている「バレーボールの今」を出現させる思考や概念ともいえる「ゲームモデル」だと考えています。

攻撃(アタック)の数的優位の確保
ブロックの数的優位の確保
個々のスキルの質的優位の確保
自チームの守備をシンプルに単純化させ、攻撃は多彩な攻めにするために必要な位置的優位の確保
パニックゾーンやアウト・オブ・システムに陥るのではなく、常に意図的に選択肢を確保することでカウンターを創出する思考判断的優位の確保

 日本の男子バレーボールは、1990年代後半から長い低迷を続けてきました。日本の女子バレーボールは、1980年代までのような世界でメダルをコンスタントに獲得できていなくても、ある程度オリンピックへの出場は続けており、2010年の世界バレーで銅メダル、そして2012年のロンドンオリンピックでも銅メダルと、男子より先に世界への扉が開けた感もありました。しかし、その上昇機運はなかなかうまく続いていないようです。

 日本の男子バレー同様、女子バレーにおいても、日々世界を相手に戦えるための方策を考え取り組んでいるわけです。かつては、MB1やハイブリッド6などのMB(ミドルブロッカー)の得点力不足を補う方策がとられたり、相手の強力なオフェンスに負けない個人のスキル強化をはかったり、原点回帰と称して緻密で正確なボールコントロールとピンポイントのボール供給を目的化してみたり。男子同様、女子も過去の黄金期にあろうが低迷期にあろうが様々なトライをしてきているわけです。

 したがって、日本バレーボールの低迷期で足りなかったのは、「何をしたらいいのか」という、目先のハウツーやTO DO論に終始してしまい、まず前提としておさえなければならない、ゲームの枠組みへの理解と思考方法などのものであったと考えられます。
 ですから、「はやい攻撃」、「ピンポイントの正確なボール供給」、「レセプションの確立向上」、「Aパス率向上」、「MBの得点力向上」、「時短的なコート上の動き」・・・などなど、日本の女子バレーでも様々と標榜されたものが、勝利できるゲームという目に見える結果に至らず未完のまま国際大会を終えることが続いたのだと思います。

 現代バレーにおいて必要だったことは、選手の個々のフィジカルや個別スキルの正確性や強度以上に、バレーボールというゲームの構造上における種々のシチュエーションと言えばよいのか、局面と言えばよいのか・・・それらの中における「優位性を確保する」ということだったわけです。
 これをおさえずして、オフェンスやディフェンスのやること、サーブやブロックでのやり方を論じても枝葉論としかならず、結果、現代バレーの組織やシステムを練り上げてきているチームから勝利をもぎ獲ることは難しいのではないでしょうか。

 個別の要素還元的思考で目先のハウツーやTODOに偏った試行錯誤をしてきた日本と、バレーボールという「複雑系」としての認識に立って常にゲームや組織、システムとして検討や試行錯誤をしてきた強豪国との差があるのだと思います。

やってみること以前の「やめてみる」を考える

 先日の世界バレーの女子では、日本代表が強豪ブラジルに勝利しました。とても嬉しいし、多くの人がエキサイティングと喜びをシェアできたひと時でした。
 日本のサーブが効果を発揮していた、ブラジルチームが本来のパフォーマンスを出せないまま終わった・・・様々な評や分析があるわけですが、それまでチームの主軸だった古賀選手が怪我のため出場回避していたという点と、そもそも長年強化の照準にしてきた東京2020五輪後間もない中での強豪かからの勝利という点で考えても興味深いことです。

 個人的に感じていることは、相手を上回るような何かをものすごく向上させたとか、相手を圧倒するような何か新しいものを手に入れたとか・・・そういったものではなく、今までの試行錯誤の中でうまくいっていなかった方向性や機能不全を起こしていた「(従来追い求めていた)やるべきこと」から「解放」されつつあるのではないか。これまで、世界のバレーボールの今と対等に戦うために必要なことを「阻害していたもの」を少しずつ手放しつつあるのではないか。ということに注目しています。

・サーブのミス抑止を重視する
・ブロックのウォーターフォール(吸い込み)を嫌うネット正対移動
・過度のAパス要求
・ネットに近いセット(トス)
・スパイクのボールヒットまでの時短的スピードとボール供給スピードの要求
・パフォーマンスよりも「はやさ重視」のMBの速攻
・エース(アウトサイド)依存アタック
などなど

 本来、こういったものにおける精度やスキルを完成させることは、現代バレーのゲームモデルで戦うことにおいては、無理して極める必要はなかったわけです。

 世界の今にフィットする「ゲームモデル」の検討がないまま、ガラパゴス的な戦い方の設定から、やるべきこと(=プレー指針)がすべてズレていったわけで、それら「やらなくていいこと」を手放したことで、意外と戦えるようになったのではないかと考えています。

「何をしたらいいか?」を考えるたの前提

「優位」性は、相手あってのこと

 バレーボールはネットを挟んで相手と対峙する対戦型スポーツです。ですから、ゲームという中で相手を上回るためには、そのゲームを構成する要素において「優位」に立たなければならないわけです。優位という状態にもっていくためには、その状態を比較できたり評価できるものでなければ、検討も試行錯誤もなされません。現在、数的優位や質的優位などのコンセプトで、それぞれの優位性を生み出すために必要なプレーをやっているシステムに対し、多くのチームが腐心して確保しようとしている優位性を、むしろ逆に犠牲にして劣位になってもいいから、別の指標でオリジナリティを出そうとするのは、バレーボールの構造上、勝負が成立しにくいのではないかと考えます。

 かつて、日本でしきりに言われてきた「高さ・パワー」vs「スピード・うまさ」という関係性を設定してしまうと、やっていることが機能しているかどうかという評価がしにくくなってしまいます。対戦相手がどんなゲームモデルに基づいているのか?どんなシステムを採用し、どんな傾向で戦ってくるのかという現状把握と、それに基づいた手立てを講じないまま、一方的に自分たちが完成させたいスタイルをやみくもに遂行していく「ジブンタチノバレー」状態では、いくら一部のスコアや数値において上がり下がりがあっても、それがバレーボールというゲームにおける「優位」を示すことは難しいのではないでしょうか?得点だけではゲームの優勢劣勢の指標を構造的には見えないし、レセプション返球率やサーブ効果率、アタック決定率という単体での数値だけでもゲームの勝敗の要素には迫り切れません。
 
 仮にレセプション返球率やアタック決定率というデータを用いて「高さ・パワー」がいいのか、「スピード・うまさ」がいいのかという検討をしたとします。しかし、レセプション返球率やAパスの精度を他国より上げたとしても、ファーストタッチからスパイクヒットまでの時間を短縮しても、勝利に直結する要因にはなりにくく、スピードを重視した攻撃を多用したからといって、全体としてのアタック決定率が飛躍的に向上するとは思えません。

 バレーボールは、ネットの向こうにいる対戦相手とチーム対チーム、組織対組織によるラリーの応酬で戦うゲームです。バレーボールにおける勝因をとらえるためには、当たり前のことながら、相手よりも優位になること、相手よりも優位なプレーや状況をより多く出現させること。それらができれば、勝率は上がるはずです。その要因をとらえるために、今行われているバレーボールのゲームのコンセプトとなる考え方「ゲームモデル」をおさえ、その枠組みの中で必要とされる各要素で「優位性」を目指すべきではないでしょうか?

まずは同じ土俵に立つことから「優位性」が見える

 優位性を把握するためには、その比較対象は、平均身長とか時間計測によるスピードなどのような個人の状態というものよりも、チームとして行っているゲームモデル、複数人の協働によって出現されるパフォーマンスや状態を比較するべきです。

 強豪チームであるブラジル代表に勝ったかと思えば、イタリア代表に成す術なく敗れる。それが絶対のないスポーツの醍醐味であるとも言えるでしょうが、やはりその要因には何があるのかが気になるところです。
 個人的な仮説として、「やらなくていいことを手放す」ことが始まったで、戦えることが見えたブラジル戦。
 しかし、一方で同じ強豪チームであるイタリアに圧倒された要因は何か。それは「その先」が欠けているからではないか?と考えます。
 やらなくてよかったものを手放したら、次に来るものは、「本当に必要なものを理解し装備して整える」。そしてようやく「それらをあらゆる側面で優位性において強化していく」ということです。
 現状の日本女子代表は、これまでの足かせとなっていたものから、徐々に解放されつつある段階。しかし、まだまだ明確な方向性は定まっていないように思います。
 他方、今回敗れたイタリア戦のイタリアチームをみると、圧倒感のあるブロックに加え、そのブロックを起点としてた組織的な守備、トータルディフェンスの徹底。もちろんそのようなシステムや組織の中で、最大限発揮できる個人のスキルやパフォーマンス。
 ただ単に「劣勢・劣位になる不必要なことを手放す」だけでは、「さらにしっかりやってくるチーム」に勝てないということが明らかになってきているのではないでしょうか?
 逆に言えば、今からでも、ゲームの構造や現状把握を的確に行い、関連性に気付き、その改善に取り組めば、日本女子もアップデートと強化は機能していくのではないかと、結構確信的に思えます。

相手よりも優位に立つ、相手を劣勢にする
 数的優位の視点では、自チームの攻撃枚数を確保するだけではなく、相手の攻撃枚数を減らし限定する。
 質的優位であれば、自チームの個のパフォーマンスが最大限発揮できるような連携や協働、セットプレーをする。逆に相手をアウト・オブ・システムの状態に追い込む。
 数的優位や質的優位の確保などによって、相手チームには位置的優位や思考判断的優位を与えず劣勢になるようにし、カウンターをさせず防戦状態にもちこむ。
 やはり、「やるべきこと」というのは、相手チームとの相対性において、相手よりどう自分たちが優位に置けるか、または相手をいかに劣勢にするかかをオフェンスやディフェンス、サーブやブロックなどの観点から絶えず分析、検討していくことで実現していきます。

女子バレーのアップデートはどのように進むか?

 確かに、バレーボールは、男子が先んじて戦術やそれに伴うテクニックがアップデートしていき、後追い的に女子が男子の方向性に進んでいく。という風に見受けられるも、いつの時点でも、個人的には女子バレーのやっているバレーボールが、男子がやってきた「かつてのそれ」に一致するのかというと、必ずしもそうは言えない気がします。確かにブロックやバックアタックなどは、少しずつ男子がやっているエッセンスが色濃くなっていますが、ブロックシステムしかり、フロントでのブロード攻撃を多用するオフェンスしかり、一概に、「はやく男子のようにやればいい」とも言い切れないと思っています。

旧式のゲームモデルでやっていた、「今はしなくていいこと」を手放す

現代バレーのゲームモデルを把握し、必要なテクニックやスキルを組み込む

各々のクオリティーやパフォーマンスをさらに高める


最後に文化にも迫った「ニッポンらしさ」に落とし込むこと

こういったプロセスが、起こっていくのではないかと思いを巡らせています。「日本(人)らしさ」を論じるのは決してタブーだとは考えていません。しかし、それをチーム作りやゲームの成熟に取り入れるとしたら、その手前のゲームモデルやプレー指針の最適化のための試行錯誤が軌道に乗ってくる中で、生かすべきではないかと考えます。
・勤勉さ
・規律を重んじる精神
・整った指示系統
・和やチームワークの精神
・ハードワークへのポジティブさ
こういったものは、試行錯誤の最初に要求するものではなく、「バレーボールの今」を理解し取り組みはじめた後、さらなる高みに向かってより高次な試行錯誤段階で生かされてくるものであると考えます。逆に言えば、「ゲームモデル」というのは、そういったマインドや文化をも包括するものへと進化していくとき、強い「ニッポン・オリジナル」としてのバレーボールの価値になっていくのかもしれません。

 私は、東京2020オリンピックにおける、バレーボール日本女子代表の結果(いろいろ大変だったと聞いている)から、今現在のバレーボール、そしてそこから先に向かうプロセスが興味深いです。「何かが動き出している」ことをポジティブに感じています。願わくば、その動き出しているものが、いろんなことに気付き、検討を開始し、それに向かう試行錯誤フェーズに突入していてほしいものです。
 かつての「しなくていいことを手放す」段階から、「戦うために必要なものを整える」段階へ。そして「同じ土俵に立ってからの技と技の対決、思考と思考のせめぎ合い」の段階へと進んでいくかどうか。
 バレーボール日本代表は、男子だけではなく女子でもこれからのアップデートの方向性を注目していきたいです。

(2022年)