バレーボールコーチの私が、バスケットボールコーチをサポートしている話🏐🏀
北海道内で中学教師をしながら、バスケットボール部の指導をされている方のサポートをしています。っていうか、気付いたらしていました。きっかけは、私のバレーボール指導仲間の紹介で一緒に食事をしたのが最初で、そこでは部活動指導だけじゃなく、学校の教師としての在り方や働き方など、多岐にわたるものでした。
そこから、彼とは連絡をとるようになり、私のバレーボールのオンコートレクチャーや私の部活動練習にも何度か見学にも来てくれました。私も一度、彼がバスケットボール指導をしている様子を観に行ったこともあります。
今でも、サポートという名の相談関係は続いています。今後は、バスケットボールコーチ仲間のグループに私が入り込んで、学びの場を作れないかを検討中です。
悩みや課題は同じことが多い
競技の種目は違えども、小中高校生を対象に指導するジュニアスポーツの指導現場で、指導者として抱える悩みや問題には、たくさんの共通の課題があります。
「勝利」に対する価値観とアプローチ
「勝利至上主義」という言葉が使われ始めて久しいですが、未だにこの問題に悩む指導者多いようです。暴力(体罰)や暴言は論外のこと、過度な長時間練習や私生活を犠牲にするような負担の大きいスケジュールなど、それらをしてまで競技結果(勝つ)をなりふり構わずに得ようとする姿勢は批判の対象となってきました。もちろん良い傾向だと考えます。
一方で、全国優勝や全国大会出場、地域で優勝するなどした指導者の発言力の大きさに、自分の指導者としてのビジョンや信念に迷いや揺らぎをきたす場合も多いようです。さも勝っている指導者の言うことが「正解」のように聞こえることもあるし、そのように言っているように見受けられることが多いです。そうすることで、自分に優位性をもたらそう(マウントをとる)指導者がいる場合も少なくありません。
しかし、それぞれの指導者が日々対峙している選手(子どもたち)は、それぞれ違います。個々の能力や価値観も違います。環境も違います。成育歴や競技経験の量も違うし、そのバックグラウンドも違います。
全国大会を目指すチームの指導方法やアプローチが、ビギナーレベルのチームにあてはまるかと言えばそうではありません。
指導者の学びの一つとして、競技結果の高いチームの指導者の練習を参考にしたり、その指導者の言う通りに模倣するような手法もあろうかと思いますが、目の前の選手の実態把握や観察眼なしに導入する場合、フィットしないことの方が多いと思います。
自身のプレーヤー感覚が狂わせること
名選手名指導者にあらず・・・と言われることもありますが、名選手が指導者としても大成することだってあり得ます。とどのつまり、選手として大成したかしないかは、指導者にとっては絶対的必要不可欠な条件ではないということになると思います。
バレーボール指導者もバスケットボール指導者も、選手経験、プレー経験がある方々の「声」を聴いてると、技術やスキルに対してかなり断定的な表現で「言語化」をしていることに気付きます。そして、ご自身にプレーできる自負や自信があるので、それらの言語化に対してはゆるぎないものを感じます。
そして、それらの「言語化」が、指導という名の下、そのまま「〇〇せよ」という「指令・指示」に移行していきます。しかし、言われた側の選手たちは、なかなか言う通りにはなりません。人それぞれであることを考えると、言う通りにはならない、というのが自然なわけですが、これがどうも「言った通りにできない」という風に変換され、その責任をできない選手に向けてしまいがちになるわけです。
プレーヤー経験が豊富な指導者であればはるほど、自分の「感覚」や「世界観」というものがあると思います。こういう感じ、こういう感覚、こう見える・・・それを言語化して、あたかも一般化されたものであるように伝達しがちになってしまいます。
指導者の世界の中で生きるということ
ジュニアスポーツで、コーチ(指導者)をやっている方々には、いろんな動機やモチベーションがあると思います。その中で、誰が見ても成果がはっきり見えやすいのがやはり「結果」です。
結果が出せる・・・優勝する、全国大会に出場できる、全国大会で入賞する、全国優勝する・・・。周囲からの賞賛を得るのは大変名誉なことですし、それまでの努力や苦労が報われたような晴れやかな高揚感になります。
他方、多くのチームがどこかで敗退する、というのも紛れもない事実です。本来、スポーツの勝敗において、「敗退=みじめ」なものではありませんし、敗退が誰かから蔑まれるものでもないはずです。
「ハイキュー!!」という作品は、そういう意味では大変すばらしい教材になると思っています。
そして、バスケットボールにも、素晴らしい教材がありますね。
何か、日本全国津々浦々、ジュニアスポーツの現場が「勝たねば意味がない」、「勝つことで説得力や発言力をもつ」という言葉が長年飛び交う現状が虚しく思います。
確かに、優勝したり全国大会に導くといった実績というのは、選手や保護者の喜びも大きいですし、周囲からの賞賛もたくさん得られます。それによる指導者の自己肯定感やモチベーションも大きいです。
しかし、そのような結果が得られなくても、指導者としての存在価値が下がるということはあり得ません。まして、結果として実績を挙げた立場の者が、競技結果が下の者を批判したり、見下すなど論外。スポーツに携わる者としてあるまじき姿勢で私は軽蔑しますが、残念なことにそういった態度をもつ人は少なくありません。
「我々は」、そういった一部のハラスメント性を帯びた人たちに屈してはなりません。ものの上手下手に関係なく、目の前の選手、子供たちの小さな努力、小さな一歩、小さな成長を引き出し喜びを見出せばよいのです。その小さな小さな積み重ねが、いつかご縁と重なって大きな成果を得るチャンスがやってくるかもしれません。
私は、たまたま指導キャリア初期の若いときに、たまたま実績を得られる環境に巡り合えました。自分の努力ではありません。その恵まれた環境を離れて以降現在に至るまで、いわゆる全国大会レベルに立つような結果を出せていません。でも、バレーボールの世界に身を置き続けているモチベーションは、自分の探究心を大事にしたいという気持ちの芽生えと、成果の大小や他者比較思考に陥らない、「今への集中」と「今自分にできること」、「そして自分の努力だけでは変えられないことへの執着を手放すこと」ということです。
バスケットボールとバレーボールの共通項と試行錯誤の糸口
今回のケースは、バレーボールコーチとバスケットボールコーチとのセッションでした。ディスカッションがしやすかった要因の中には、それぞれの競技に共通したものがあったからです。
・数人のチームによるチームスポーツ
・ボールを用いたゲーム
・チーム対チームの対戦型
・得点奪取の争い
・めまぐるしく入れ替わる攻撃と守備の攻防
・臨場感ある場面再現が難しい
・チームの共通理解(ゲームモデルとプレー指針)の必要性
・選手の暗黙知と指導者のコーチング
共通することがあるということは、指導やチームづくりにおける問題点や課題も似てくるわけです。
・「教え魔」と「教わり魔」の関係による思考停止
・タスクや戦術の過度な規定化による主体性や即興的想像力の欠如
・メンタル依存の指導アプローチ
・指導者のメンタルに左右される高圧的な指導
・早期選抜特化によるいびつな選手育成
・要素還元的な指導による、無駄な練習量と効率のロス
これらを解消するためには、競技そのものを学び続け、探究と研究を続けなければいけません。
そのためには、指導者パーソナルの態度や姿勢、マインドセットの在り方が試されます。オープンマイドで傾聴力があること、論破型のディベートではなく協働的創造的なディスカッションができること、利己的成果追究だけではないチーム成果を追究した共同体思考。
時代はめまぐるしく変化しています。その変化のスピードはますます加速しています。だから学び続けるしかないのです。
「アンダーカテゴリー」、「教員として」、そういうキーワードで日々悪銭苦闘されているスポーツコーチと繋がりたい
私(TETSU)は、バレーボールコーチとして、もちろん目の前の選手たちの指導に取り組んでいます。しかし、近年私のモチベーションを駆り立てるのは、それだけではなく、スポーツや教育、子育て等で、子供たちや若者たち、または教育やスポーツに携わっている大人・・・そういった皆さんの不安や悩み、モヤモヤ感や苦難に寄り添い、背中を押したいという気持ちが強いです。
まだまだ、日本のスポーツ界には、時代の変化にコミットしアップデートできていない様々な課題があります。本来、バレーボール、スポーツは、やる人の生活や人生に彩りを与える営みです。楽しさやワクワク感、そしてそれによって生活自体の質を上げるものになるべきです。しかし、いろいろなモラルハザードや対人関係のトラブル等、人間の利己主義やエゴによって、その本来の目的からかけ離れた問題が発生しています。そういった問題に子供たちを巻き込んでいいでしょうか?いいはずがありません。
これからも、私は、多くの人との出会いを求め、学び合い、互いを成長させていく機会を模索していきたいです。
セッションしているバスケットボールコーチからの感想
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(2024年)