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連載小説:黄色の駅(仮) Vol.4

※毎週金曜更新予定

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  7時起床。7:39分の電車に乗る。8:00ぴったりに神保町着。駅の近くのスターバックスに寄ってグランデのドリップコーヒーを頼む。
 何年も通っているので、「いつものでいいですか」と声をかけられる。
 チェーン店にそういうサービスは求めていないので、最初は面食らってしまったが、次第に慣れた。さすがはスターバックスである。こちらが求めている以上に慣れ慣れしくしてくれことはない。それに、いちいち注文しなくても欲しいものが出てくるというのは、意外と悪くない。

 この時間の神保町にはまだ「あいつら」がいないから好きだ。あいつらというのは学生のことだ。昔は自分もこの街に通う学生だったので、あまり人のことは言えないが、あいつらを見ていると虫酸が走る。
 まわりのことが見えていないので、何をするにももたつく。
 自分にしか関心がないので、すぐに落ちこむ。
  そして、僕がドブに捨ててしまった可能性を全て持っている。

 そんなやつらが正午前後からどんどんこの街に出てくる。
 せめて早起きをしろ、そしてゴミを拾ったりしろ。 

 ひとしきり脳内で罵り終わった後に気づいた。
  目の前に困惑した店員がいる。
 「あのご注文は?」

 胸には研修中のバッジだ。まだアルバイトになれていないのだろう。おどおどしたその男にも腹がたった。新入生だろうか。

 「ドリップコーヒーをグランデで」

 彼は聞こえるか聞こえないかの声で返事をすると、紙カップにはいったドリップコーヒーのトールを差し出してきた。

 うんざりしながら受け取ると、キャリアの長いスタッフが間違いに気づいて淹れ直してくれた。
  ぼくはいつもサイズはグランデ、カップはマグカップなのだ。
  
 また声にならないような声で「すみません」という研修中を無視して、いつもの席に座ろうと思ったら、運悪く埋まっている。
 「入り口前のお席なら、あ、あいてますよ......。」
  研修中がまた言う。
  それは誰の目にも明らかだが、あそこはドアの開閉が多く冷えるので避けていたのだ。
  「余計なこと言いやがって....」
 と思いつつも、無碍にするのも気が進まないので入り口前の席に座った。
   にこっと笑いかてくる研修中をみて、はっとした。

 古い友人に似ていたのだ。
 声が小さいのまで似ている。

 彼が死んでからもう6年になる。

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 その友人の名は浜山と言った。彼とは中学からの付き合いだった。中高一貫高だったので、必然的に高校まで同じだった。
 僕はだいたいのコミュニティを憎んでいるが、ご多分に漏れず男子校も憎んでいた。が、良い点はある。
  俗に言うスクールカーストのようなものがない。
  
 もし、共学だったら。—そういう仮定は男子校にはつきものだが—きっと浜山とは同じグループに属していなかっただろう。
   

 僕は彼を見下していた。
 で、ありながら彼ほどの親友はいなかったと断言できる。

 死んだ人間の話をすると、全て過去形になってしまう。当たり前の事なのだが、なんだか自分自身が浜山のことを過去のものにしようとしているような気がしてくる。

 彼と仲良くなったきっかけは、音楽だった。早熟な「ふり」をすることでその他大勢から抜きんでようとするタイプの俗物であった僕は、中学のある時期からポータブルの音楽プレーヤー(当時はCD ! )を持ち歩き、同級生が聞いている、いわゆるJ-POPとは一線を画したものを聴いていた。そして聴いていることをアピールしていた。
  思春期特有のイタいやつである。
 実家には本とジャズのレコードはたくさんあったが、Rock / Popsは限られたものしかなかった。
 しかし、あれだけジャズを聞き込む父の耳にかなうものだ。いわゆる名盤ばかりが並んでいた。聞くところによると、昔はそれなりにRock / Popsのレコードも集めていたようだが、ほとんど処分して、どうしても手元に置いておきたいものだけ、CDで買いなおしたそうだ。
 あれだけ大きい家なのだから、処分する必要はなさそうな気もするが、買いなおしていたおかげで、持ち出すことができたのだから感謝すべきだろう。  
  ラインナップはビートルズ、ストーンズ、ビーチボーイズ、キンクス、フー、ジャニス・ジョップリン、ボブ・ディラン、ザ バンドなどなど。
  古き良き時代のロックンロールだ。
  最初は「他から抜きん出るため」だったが、これだけのアーティストたちである。本当に夢中になるのに、あまり時間はかからなかった。
  同好の士もそれなりにいるもので、お互いのCDを貸借りし、放課後には彼らの素晴らしさについて語り合った。そうなってくるとバンドをやりたいと思わないほうが不自然だろう。
  うちにはエレキギターがあったので、僕はギターをやることになった。ポールマッカトニーマニアがベースをやりたがり、ギター志望も、もう1人出てきた。
  しかし、ドラマーが見つからない。ドラムをやりたいという人間は一定程度いるのだが、練習のためにスタジオに入ると、その難しさに音をあげてしまい、本格的にやりはじめる人間がなかなかでなかった。
  
 そこで白羽の矢がたったのが、浜山である。

 浜山は音楽に詳しいわけではなく、むしろJ-POPのようなものを好んで聴いていた。あるとき、浜山の好きなモーニング娘を僕がこき下ろしたところ、怒りに震えた彼は僕らの聴いている洋楽なんて全然良くないと反論してきたのだった。
  お前みたいなセンスのないやつにはわかるまい、というようなことを言い返したのだと思う。だったら聞かせてみろということになった。
 その時はOasisのモーニング・グローリーを聴いていたので、モーニングつながりで聞かせてみると、浜山はこう言った。

 「なにこれ! 超かっこいい!」

 それから急激に仲良くなり、僕が厳選したCDたちを貸すようになった。

 で、バンドをやろうかという段になってめぼしい人に声をかけても空振りが続く中で、あるアイデアが僕のなかに閃いた。

 浜山にドラムを買わせよう。

 あるとき、学食でソースカツ丼を食べながら、ドラムの素晴らしさをまくし立てた。

「浜山!ドラムやろうぜ!もてるよ!」

と言うと、彼はあっさり

「いいよ!というかうちにドラムあるし、少しなら叩けるよ」

と言ったのだった。

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 浜山には8つ上の兄がいて、この人がバンドマンでかなりの腕前だった。都内の大きなライブハウスにも出演するバンドでドラムを叩いていた。
 僕らの通っていた高校ではめずらしくないことだが、浜山の家も金持ちだった。神奈川の奥にあるその家にはなんと地下室があり、そこでドラムの練習はもちろん、バンドの練習までできてしまうのだ。

 浜山の兄は弟を溺愛していたので、ドラムをやるとなれば手取り足取り教えてくれたそうだ。僕らのこともかわいがってくれて、バンドの練習があるときには、アドバイスをくれたり、飲み物を差し入れたりしてくれた。

 こんな環境でなんでモーニング娘だったのか、浜山本人に聴いたことがある。
 「洋楽っていうのは大人のものでさ。おれは年の離れた末っ子だから。なかなか親父や兄ちゃんの話にはいっていく勇気がなかったんだよね」
「じゃあ、興味はあったんだ」
「うん。だからあのときモー娘の件でからかってくれて助かったよね。ずっと聴いてみたかったんだ」
「かっこ良いって言ってたけど、聞く前から決めてたろ?」
「それは本当に思った。だからお前には感謝してる」

まっすぐな目でそう言ったのを昨日のことのように思い出す。

 浜山は嘘をつかない。感謝を伝えるような思春期には恥ずかしい場面でも一切照れずに、しっかりと伝えるような純真さを持っている。
 一度やりはじめたことはそう簡単には投げ出したりしないところも美徳だ。ドラムの腕はぐんぐんと上がり、高校やその付近で噂される存在になるのに、そう時間はかからなかった。

 高校生活とは短いもので、大学でのバンド再結成を誓い合い、あの陰鬱な受験シーズンに入っていったのだった。




 


 

 


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