見出し画像

父よ、幽霊にでも、なんにでもなって囲碁を子供に教えてくれ

私の父が亡くなったのは、私が北海道に移住を決めた2か月後の事だった。食道癌を患った父は、12時間という大手術を乗り越え、昔の面影が思い出せないほど小さくなっていたが、体調面は健康体に戻って3年が経とうとしていた。

再発が発覚した事を母からの「再発しました。大丈夫だよね」という短いメールで知った。癌の再発の場合、再手術をしても無理だろうから、という理由で、本人も納得し手術は選ばず、その後の半年は、一番最初に受け持った中学の教え子達に会ったり、自分の子供を育ててきた学校や町を見たり、行ってみたかった観光地に行く事に費やされ、私もその最後の旅に付き添って、父の最後の生きざまを心に刻んだ。

「あなたのお子さんを見ていると、亡くなったお父上を思い出しますね」と地元の囲碁教室に通うようになった子どもの事を、囲碁の先生に言われた。4歳にも関わらず、深く考え事をしていたりする佇まいが、確かに上の子どもは父に似ているのかもしれない。北海道に移住し、知人が周囲に全くいなくなったよそ者の我々は、子供を通じて、ゆっくりと小さい地元社会との接点を持ち始めたところだった。

父は育ちは関西で、成績優秀で知るひとぞ知る人だったらしい。全科目に秀でていた父の趣味は、なぜか囲碁だった。北海道に移住してからも、地元の囲碁協会に入りアマ5段の腕を磨いていたようだ。

私は成績はビリに近かったので、事あるごとに優秀な父との差を見せつけられ、何かにつけ父には頭があがらない事が分かっていたので、あまり一緒にいる事は少なかった。当然、囲碁を教えてもらうという事もなかった。

子供が囲碁教室に通うきっかけになったのは、地元の体験教室でちょっと褒められた事だった。囲碁に向いているね、と。どういう所が?と相方に聞くと、囲碁センス?などと嬉しい事を言うのかと思いきや、「負けず嫌い」のところらしい。教室で囲碁の簡単な陣取りゲームをしたところ、自分より2つぐらい上の子に、当然ながら負けて泣き出した。それで、もうやめるのか、と聞くと、またやる、といった所が向いているとの事だった。

自分は他人とゲームをする事が嫌いで、特に囲碁や将棋のような自分の能力次第で勝ち負けがはっきりするゲームは、はなからしない事にしている。それは、やはり父との思い出として、圧倒的な違いを見せつけられる事が嫌だったからなのだと思う。だから囲碁をはじめ、どんなゲームも父とは一緒にした事がなかったのだが、まさか、自分の子どもが向いているとは、神様は面白い事をするものだと思う。

そこで、表題に戻るわけだが、既に子どもの囲碁の腕前は親の範疇を超え、他の大人でも歯が立たなくなってきたようなので、そろそろ天国の父よ、出番だ。幽霊にでもなんにでもなって、子供に一局教えをつけてくれませんかね。

この記事が参加している募集

子どもに教えられたこと

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?