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アンダルシア日和

「君はあれか」

バスを待っていたら、通りすがりのおじいさんに話しかけられた。


土曜日の朝、私はまだ半分寝ぼけている。
しかし、スペイン語で話しかけられため、一気に目が覚めた。

そういえば、関西でもこういう風に話しかけられたことがある。
こういうときの「あれか」の「あれ」ってなんだろう。関西では枕詞的な使い方もあるのだろうかと考えるも、寝起きの頭には何にも浮かんでこない。そして、おじいさんにとっては、そんなことどうだっていいに違いない。


「いえ、バスを待っているんですけれども」

「そうやろ。バスや」

「いえ」で軽く否定してみたが、どうやら「君はあれか」は「あなたはまあそこにずっと立っているわけだけれども、つまりバスを待っているのか」ぐらいの意味だったらしい。

そういうものなのかと納得していると、おじいさんが続ける。

「そやけどな、今日は土曜日やんか。だから、バスはなかなかこーへんやろ。それでな、来てもな、遅れてくるやんか。だからな、まだしばらく待たないとあかんと思うわ」

「そうですね。今日は土曜日でしたね。でも、さすがにもう来ると思うんですが」

「まあそろそろ来なあかんやろな。じゃ、そういうことで。ははははは!」

そこで気付いたが、おじいさんはバスに乗るわけではなく、たまたまバス停近くで立っていた私にアドバイスというか世間話をしにきてくれたのだった。

手を振りながら去っていくおじいさんの後姿を、ありがとうございます、よい一日をと見送った。
「ははははは!」は、スペイン語で書くと「JAJAJAJAJA!」になる。こっちに来た頃は、「じゃじゃじゃじゃじゃ!」と読みたくなる気持ちを抑えて、頭の中で毎回「ははははは!」に変換していたのを思い出した。


バスを降りて、スポーツ用品店へ向かう。

踵はまだ少し痛む。しかし、寒いのでギサンテはしばらく使っていない。
代わりにといってはなんだが、スニーカーを新しいものに替えてみることにした。

お店に入って思い出した。
この町で靴を買いに行くと困ることがひとつある。


靴の試し履きが片足ずつしかできないことだ。

最初なぜ両足分同時に履くことができないのかわからず、日本語クラスの学生さんたちに聞いたことがある。

「両足分渡すと、盗む人もいるからだと思います」

と返ってきた。

では、右足と左足でサイズが違う場合や、両足で履いたときのイメージが掴めないときはどうするのだろうか。


「両足履いてみたいときは、右足で試した後に、今度は左足を試させてもらうんですよ。片足ずつですけど。あとは、鏡の前に立つとき、試し履きをしている方の足を前に出し、もう片方の足は後ろに隠すんです。それで、ひたすらイメージします。両足履いているときの自分を


せつない。

試し履きにも鍛錬が必要のようであった。
それ以来、靴を買うときは、私も片足だけ試し履きしてはイメージを膨らませてきた。しかし、まだまだ精進が足りないため、購入後にこんなはずではなかったと思うことが何度かあった。

さて、スニーカー。気に入ったものが何足か見つかったので、これとこれとこれの〇〇センチを履いてみたいとお店の人にお願いした。右足と左足、どっちがいいかと聞かれ、左足でお願いしますと言ったら、わかったわ!、と笑顔で右足のスニーカーを持って来てくれた。よくあることである。とりあえず、履いてみることにし、鏡の前で右足を前にして立つ。全集中で想像した。両足で履いてみたときの自分を。

しかし、私は片足試し履きの修業が足りない。全然イメージが掴めない。そして、痛いのは左足の踵なのだ。

左足も履いてみたいですと言うと、なんとこの町に住み始めて7年目になろうかという今、初めて右足のスニーカーを返さずに、そのまま左足分を試し履きさせてくれた。どうしたんだ、お姉さん! と思いながら、ほんとにいいんですかと何度も聞いてしまう。

当たり前と思っていることが当たり前ではないこの世の中、この町に来て、両足で靴の試し履きができるのは当たり前ではなかったことを学んだ。それが、今日はできるという。だから、今日がいい日でないわけがない。

嬉しくなって何足か試し履きさせてもらった。両足分同時に。
今回はデザインだけでなく、踵の感覚が一番大事だったのだが、こればかりはしばらく履いてみないとわからない。現時点でこれかなと思うものを選んで、お姉さんにお礼を言いに行った。よかったわねと喜んでくれたお姉さんを前に、これからも新しい靴が必要になったら、このお店で買うことにしようと決めた。

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スーパーに寄ると、大きなトマトが目に入った。隣にあるカリフラワーより大きい。こんな大きいのは初めて見たと思い、写真を撮ろうと携帯を出した。
隣にいた女性が私を見て笑う。こんなに大きいのを見たことがなかったものでと言うと、お姉さんの顔がぱっと明るくなった。

「これはね、とってもおいしいのよ! サラダにして、生で食べるのよ。種もなんにもないの、果肉たっぷりよ。Tomate rosaと言うのよ。でもね、私たちはhuevos de toro(「雄牛の卵」だが、お姉さんの意味するところは別のことである)と呼ぶのよ!」

最後のセクシーな一文にびっくりし、思わずOleeee!と言ってしまったら、私のオレー!にお姉さんが爆笑した。

お礼を言って帰ろうとしたら、お姉さんはまだ笑っていた。

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踵が痛いので外出を控えていたが、久しぶりに外に出たら、ここはやっぱりアンダルシア田舎だった。
パンデミアになってから、すっかり忘れていた。アンダルシア田舎ではこういうことがよくある。全然知らない人が、普通に友達であるかのように話しかけてくる。その距離感にいちいち戸惑う時間をもらえないのもこの町である。彼らはとってもせっかちで早口だから待ってくれない。

明日からは一週間ほど雨が降るという。
つまり、それは町の人たちが外出を控え、日本語クラスの生徒さんたちが「今日は雨ですから元気じゃないです」と言う期間だ。
一方、恵みの雨だとも皆が言っている。どうもこの冬は雨があまり降らなかったので、このままいくと、5月頃には断水になるかもしれないそうだ。だから、この時期の雨はありがたい。

新しいスニーカーは明るいオレンジ色にした。

かなり派手だが、そういえば今まで履いていたスニーカーはピンクであった。
こちらに来るまでは、好んで黒やグレーばかり着ていたので、人は変わるものである。そして、なんといっても、このアンダルシア晴れの青い空には、明るい色が似合う。年齢も性別も関係ない、自分がこれを着たいから着るだけだ! を体現している人たちがたくさんいる。アンダルシア人の自己発電力はすごい。


オレンジ色の靴にしたのは、ギサンテ片手にしゅんとしていた自分へのエールをこめて。自分で自分を元気にするのは難しいときもあるけど、ときには身の回りのものに助けられることもある。そう思ったら元気な色が欲しくなった。しばらくスニーカー生活が続くので、この春はオレンジをまとって歩こう。
そう思って顔を上げたら、目の前にあったオレンジの花と目が合った!

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さわやかに終わりたかったが、一昨日は仕事帰りの夫から次のようなメッセージが届いたのを思い出した。

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意図的に改行しているようだ。
これはつまり俳句みたいなものかと聞いたら、「ええ、そうですよ」と、お前はわからなかったのかぐらいな自信満々のトーンで返事がきた。

Azahar(アサアール)はオレンジ(柑橘系)の花だが、間違えて日本語読みにしてしまいましたと言う。日本語読みなのかはわからないが、久しぶりに日本語で俳句のようなものができて満足とのことであった。Azaharは季語ですと嬉しそうな夫は、昨夜もソファで寝落ちして怒られていた。

来週もステイ元気に。

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