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コルタサルとの再会

スペイン語学習にと11歳用の本を読んでいたが、どうもストーリーの流れについていけなくなり少し自暴自棄になっていた。そんな時、先生が送ってくれた本を見て目が覚めた。

“AXOLOTL”、フリオ・コルタサルの短編じゃないか。

学生時代、安部公房ばかり読んでいた時期があり、そこからスペイン人の知り合いに勧められてガルシア・マルケスやコルタサルを読むようになった。ボルヘスやパブロ・ネルーダを知ったのもこの頃だと思う。当時、そろそろ卒論を仕上げなくてはいけなかったのにもかかわらず、図書館に行くたびに私の足が向くのはラテンアメリカ文学のコーナーで、肝心の自分の選んだテーマに関する書籍は一冊も借りてこなかった日もあった。

ある日、どうしてもコルタサルの”Rayuela”(『石蹴り遊び』)が読みたくなり、本屋さんに向かった。売っていない。近くの古本屋さんでも見つからなかった。ネットで調べまくり、鹿児島だったか福岡だったかの古本屋さんで一冊だけ残っているというものを取り寄せることに決めた。確か5,000円ぐらいした気がする。学生の私には痛い出費だった。

“Rayuela”そのものの印象も強烈だったけど、この本を手に入れるまでのことをよく覚えていて、コルタサルの本をいつかスペイン語で読めたらなと思っていた。そして、いつしかそんなことを思ったことすら忘れていた。

それがどうしたことか、今私はスペインにいて“AXOLOTL”をスペイン語で読んでいる。スペインに住むなんて、学生時代にはこれっぽっちも考えたことがなかった私がだ。

そして、“AXOLOTL”を読み終えた今、ちょっと静かに感動している。それは、11歳用の本を読み終えることができないのによくもこの短編を読むことができたなぁということと(辞書はなるべく使わないようにしたので、100%言葉の理解はできていないけれど)、コルタサルの書いたものをコルタサルが書いた言葉のままで読むことができたという喜びだった。

そこでふと気づいた。私のスペイン語力は高くないから、スペイン語の読書は子どもの本に限られると自分で思っていた。そして、絵がいっぱいついた本を手に取るも、なかなか物語に入り込めずページをめくる手が一向に進まないと嘆いていたのも私が自分でリミットをかけたからだ。

でもそうか、好きなことを通してスペイン語を学ぶということもできるのかもしれない。私は読書が好きである。そして昔読んだ偉大な作家たちの作品を今度はスペイン語で少しずつ読むことで、心も頭も満足させることができるじゃないかということに気がついた。少なくともスペイン語の先生の機嫌がよくなることは間違いなしである。

明日もう一度辞書(紙の辞書はまだないけれど)を引きながら“AXOLOTL”を読んでみよう。

コルタサルとの再会を喜ぶとともに、数ある話の中から“AXOLOTL”を私に送ってくれた先生にはいくら感謝してもしきれない。今度コーヒーをご馳走しなければ。そしてDELEに合格しなければ……!

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