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寿司には酢飯

ここ数日、何となくもやもやとしていた。
 
 
「僕は違うって3回言ったけど、先生は『だまれ』と言った」

 
日本語クラスの学生さんのお母さんから電話があった。
この中学生の学生さんには、弟さんがいる。弟さんは小学生で、ここではRくんとする。お母さんは、Rくんに起きたことについて話したいと言った。
 

先日、小学校のクラスで、お寿司の話になったらしい。

「SUSHI(このあたりの人は「チュチ」のように発音する)とは何か」

先生は皆に聞いた。
 
普段、とても大人しく、あまり人前で発言することのないRくんだが、日本の話となると別だ。日本食を好み、ときどきお兄さんと一緒にクラスやイベントにも来ている。一度、みんなで巻き寿司を作ったら、Rくんはすっかり寿司が好きになり、それからはときどき自分でも作っているという。
 
「お寿司とは、食べ物です」
 
先生はRくんの言葉に「そうですね」と言った後、寿司は生の魚であると言ったそうだ。
 
その後の先生の話から、Rくんは、どうやら先生はお寿司を刺身と勘違いしているようだと理解した。
 

だから、Rくんは、できるだけ失礼にならないよう、先生に話した。
 
お寿司が何であるか、寿司と刺身の違い、寿司の起源などについて。そういえば、巻き寿司を作った時、お寿司についての本をみんなで読んだ。そのときのことをRくんは覚えていたのかもしれない。

 
先生はRくんの話をさえぎった。
 
「いや、寿司は生の魚だよ。ご飯は使わない。R、君は間違っている」
 

びっくりしたRくんは、その後も何とか先生にわかってもらいたいと、顔を真っ赤にしながら、なれずしや鮒寿司などの例もあげて寿司の歴史を簡単に説明しようとしたらしい。
 

“Cállate la boca”(だまれ)
 
先生はそう言って、クラスを終えたという。

 
Rくんは大変にショックを受け、家に帰ってから、さめざめと泣いたらしい。
 

◆ 

初めてお兄さんと遊びに来たとき、彼は8歳だった。当時から大変に恥ずかしがり屋さんだった。利発なお兄さんの陰に隠れてはいるが、その憂いを帯びた瞳と、何がそうさせるのかわからないが、8歳にして既に老成したような雰囲気は、詩人か哲学者のような印象をまわりに与えた。それは、年齢からすると幾分小さな体とは、どこかちぐはぐな様だったので、よく覚えている。

その日、彼は味噌汁をおかわりした。帰り際、誰にも気づかれないように小走りでやってきた。「今までに飲んだスープの中で、一番おいしかったです。僕は味噌汁というものが大好きになりました。ありがとうございます」と、大人が言うようなことを消え入るような声で言って帰っていった。
 


両親は、Rくんから学校での話を聞いた後、寿司について改めて調べたと言う。ドキュメンタリー番組を見て、本も読んだそうだ。
 
そして、今回のことが繊細なRくんに少なからぬ影響を与えるかもしれないと危惧したご両親は、家族会議を開いたらしい。
 

「日本は遠い。ときには先生も間違える。でも、あの時、先生は僕の話を聞こうとせず、寿司が何であるかを調べようとしなかった。悲しい」
 
Rくんは学校から帰ってきて、そう言ったそうだ。
 

聞いているだけで、Rくんの痛みが伝わってくる。
 

しかし、話はここで終わらなかった。
 

「だからね、私たち考えたの。来月の学期末最後の登校日に、RにTシャツを着て行かせようと思って。今デザインしているのよ」
 
話の続きを待つ。
 
「あの子はね、もうあの先生に寿司について話すことはないわ。でもね、あんなやり方は違うと思う。だからね、Tシャツにその想いを込めたの」
 
デザイン発注中のTシャツには、スペイン語でこのように書かれているそうだ。
 


寿司には酢飯


実にアンダルシア人らしいやり方だと思った。

先生に直接抗議などしない。でも、親も含めて、今回の先生のやり方には納得していない。だから、最後の登校日には、先生の目に留まるような派手なTシャツを着ていく。ユーモアを込めて。そして、先生への気づきになることを願いながら。
 

あの日、学校から帰ってきたRくんは、大変な落ち込みようだったらしい。でも、弟はもう大丈夫だよ、と中学生のお兄さんが言う。
 


アンダルシア田舎にいると、日本は遠い。地理的にも遠いが、精神的にも文化的にもとても遠く感じることがある。未だに、日本から来たと言うと、それは中国のどこにあるのだと聞かれることもある。アジア=みんなまとめて中国だと思っている人もいた。日本では猫や犬を食べますかと聞かれたこともある。
ときにはぎょっとするような質問を前に、どうせわかってもらえないか、と説明の途中で半分諦めたこともあった。
だから、Rくんの行動に私はいたく心を揺さぶられた。あの小さな巨人は、日本から遠く離れたこの地で、小さな体を震わせながら「日本」を伝えようとしてくれたのだ。
一度ならず、中国のどこ、と言われて苦笑いしただけの自分を猛省した。
 
今もし目の前にRくんがいたら、全力で抱きしめるのになと思った。

 
Rくんの先生は、その時、たまたま虫の居所が悪かったのかもしれない。テストの採点で忙しかったのかもしれない。プライベートで嫌なことがあったのかもしれない。休み時間前で急いでいたのかもしれない。
 
でも、それでも。
 

普段、発言しない子が、顔を真っ赤にして体を震わせながら何かを伝えようとしているとき。

「だまれ」を言わないでもらいたかった。

 
 スペイン語も含め、普段からわからないことだらけである私は、日本語の学生さんたちから学んでばかりの毎日である。スペインの歴史や地理的なことはもちろんだが、物の見方であったり、問題への対処の仕方であったりもする。年齢は関係ない。子どもも大人もみんな私の先生だ。
自分がこうだと思っていたことが間違っていることもある。彼らと話していると、そんな考え方があったのか、と目の前がぱあっと開けるような感覚になることがある。自分がこれまで悩んでいたことが馬鹿らしくなるぐらいに。そんな時、ああ、この町に来てよかったなあと思う。

学校の先生というのは大変な仕事なのだなと夫の話を聞いていても思う。学生さんたちとの距離感も難しいと感じることもある。だから毎日考える。私の言ったことは誰かを傷つけやしなかったか、もっと違うアプローチができたのではないか、文法の導入はもっと工夫できたのではないかと。

Rくんのお母さんからの電話で、日々のことを振り返るきっかけをもらった。


Rくんは来月の最終登校日に、くだんのTシャツをまとう予定である。
 

願わくは、先生がその意味に気付き、Rくんの今回の体験がポジティブなものにならんことを。
 

!Echale ganas!


このnoteを書くにあたり、うんうん悩んでいたら、隣で夫が言う。

「マリアさんは耳取りが上手になりましたね」



日本語のリスニング、聴き取りのことであった。

今日も最後まで読んでくださりありがとうございます。

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