マドリード郊外で数百ユーロ~テレビのインタビューとともに
もう時効だから書いていいことにした。
あれは昨年冬のこと。
マドリード遠征をした。
日本語能力試験のためだ。
アンダルシアの片田舎で日本語を勉強しようという人は、かなり珍しい部類に入ると思う。その中で、よし、試験を受けるぞ!という人はさらに少ない。
日本語能力試験は、スペインでは夏と冬の2回開催される。試験会場は国内の数か所だ。
昨年の秋、数人が受験すると言った。
ただ、冬の試験はアンダルシアでは開催されない。
必然的にここの町の人たちはマドリードに行くことになる。
受験生の1人である10代の学生さんは、初めての受験だ。
ご両親が会場まで付き添うと言っている。
事前にお母さんから電話がかかってきて、必要な持ち物、受験会場、付き添いの待機場所などについて質問があった。
受験する本人は、受験票と会場案内図を毎日見てはイメージトレーニングをしている。
「マドリードはアンダルシアじゃないんです!会場の中は広いし、私大丈夫でしょうか?迷わずに教室まで行けるでしょうか?!」
かわいそうなぐらいの緊張ぶりだ。
KENTO YAMAZAKIに会うのが夢で、日本での就職を希望している彼女は、将来的に2級合格を目指している。今回はそのための第一歩だ。
大人の学生さんたちには、もう少し余裕が感じられる。
しかし、「試験会場がアンダルシアか、アンダルシアじゃないか」は彼らにとっても大きいようだ。それぞれが、家族やパートナーを連れて行くらしい。みんな1人じゃ心細いのだ。そして、せっかくマドリードまで行くんだからと、試験後に延泊して美術館めぐりやショッピングの計画をしている皆さんがかわいい。彼らの話を聞いていると、試験を受けに行くのか、遊びに行くのか、どっちに重きが置かれているか怪しくなってきた。
先ほどの10代の学生さんが言う。
「日本語の試験を受けにマドリードまで行くと学校の先生に言ったら、翌日は学校休んでいいからがんばってこいと言われました!」
試験を受けにマドリードまで行くのが、この町ではいかに大きなイベントなのかがわかった瞬間だった。
試験の申し込み最終日、夫が言った。
「ずっとなかったことにしていましたけど、2級受けてもいいですか。でも、一人では心細いので一緒に来てくれませんか」
ここにも心細かった人がいた。
マドリードとはそういう場所なのかもしれない。
我が家はお金持ちではないので、試験のためにマドリードまで大人2人が行くとなると、ちょっとした家族会議が必要になる。
・AVE(新幹線のような電車)料金
・ホテル1泊
・受験料
・食費
全部でどのぐらいになるだろうか。
「わざわざ来てもらうんですから、あなたの旅費は私が出します」
夫が申し訳なさそうに言う。
旅費を出してもらうかどうかはわからないが、ここはひとつマドリード見物を兼ねて一緒に行くことにした。
また、今回は保護者の付き添いがあり、私が行くことで皆の不安がほんの少しでも減るだろうかとも考えた。いや、逆に増えるだろうか。
そんなこんなで、学生さん、保護者、私たちという小さなグループができあがった。
出発前夜、持ち物を準備する。
マドリードと言えば木板でしたね、覚えていますかと夫が嬉しそうに木の板を持ってくる。そうか、あれはパンデミアの最中だったと懐かしく思い出した。今では電車での自由な往来が再び可能となった。夫もクリアファイルを使うようになった。どちらもありがたいことだ。
マドリードまでは、1日かけて車で行く人、電車で行く人といろいろだ。
当日は受験会場である大学前で待ち合わせることにした。
試験前日、一泊分にしてはどう考えても多い荷物とともにAVEに乗りこんた。
日本から持ってきた小説を読んでいると、試験に関する連絡事項のメールが届いた。
保護者や家族用に用意されている待機室が今回は使えず、大変急で申し訳ないが、受験者以外は建物の外で待つようにと書いてある。
これはまずい。
12月のマドリードは寒い。寒空の中、4時間ほど待つのは大変だ。
しかし、それよりも、保護者たちが休憩時間に自分たちの子どもの顔を見られないと心配するだろう。
学生さんたちは、休憩時間のたびに待機室に来て、保護者と私に経過報告をするのだ、それでエネルギーをチャージするのだと鼻息荒く話していた。
これでは、試験が終わるまで会えないじゃないか。
今回の遠征のためにと夫が作っていたWhatsAppのグループアカウントに慌てて連絡する。
「これはもう祈るしかないね。僕たちはどこか近くで時間をつぶそう!」
「もう私たち着いたわよ。今からホテルにチェックインするわ!」
「電車のチケットを取ってなかったので、最終電車で向かいます…」
「明日待ち合わせどこですか」
「ぎゃー」
まあなんとかなるだろう。
私は4時間ほど、何をしようかな。
まあ、着いてから考えよう。
数時間後、アトーチャ駅に着いた。
マドリードの地下鉄には何度か乗っているが、シティセンター間の移動しかしたことがない。今回は郊外へ行くため、勝手が違う。乗り換えでひとしきり迷った後、なんとかホテルにたどりついた。既に夜9時をまわっている。
翌朝は早いので、近くのメルカドーナ(スーパー)でボカディージョ(サンドイッチ)やパエジャを買った。夫は、マドリードのメルカドーナの品ぞろえがアンダルシアと同じかどうかくまなくチェックしていた。この人はこういうところがある。試験前夜にやる必要があるのかはわからない。
20分後、大体同じだったことに満足したようだった。
夕食後、サッカーの試合を見て、ホーム(アンダルシア)から離れたことによるアウェイ感を和ませた。夫も私につられてテレビの画面を見ている。勉強はどうしたんだろう。
しばらくして、マドリードの寒さに負けそうになったため、毛布にくるまった。
翌朝、久しぶりに日本の冬のような寒さを肌に感じ、ふるえながら会場まで向かう。
めちゃくちゃ寒い。
アンダルシアの12月とは比べ物にならない。
レギンスを2枚ぐらい履くべきだったかなと薄着で来たことを後悔した。
会場前では、受験生らしきスペイン人たちが歩いている。
大きな大学だ。
受験する級により建物が分かれているらしい。既に学生さんたちから連絡が来ている。迷っている人もいる。大丈夫だろうか。
入口前は受験生でごったがえしている。
あと15分で開場だ。
こんなにたくさん人がいたら、みんなに会えるだろうか。
それらしき人たちがいないかと、あたりをみまわす。
「おいおい、なんやこの寒さは!」
「聞いてないで!雨も降ってるやないか!」
「鼻水出てきちゃった。緊張します」
「手が冷たい!」
私の心配は必要なかった。
群衆の中で声が一番大きい人たちが我らがアンダルシア人だったからだ。うるさいだけでなく、1人当たりが占めるスペースが他の人たちと比べて大きい。そして何より、アンダルシア弁の威力が強すぎる。
他の人たちがそれとなくちらちら見たくなるのもわかる。当の本人たちは、そんなちょっと冷たい視線には全く気付いている気配もない。
口元が緩む。
小走りで、彼らのもとに向かう。
「おはようございます、唐草!!こ、このアンダルシア弁で、わ、わ、私たちがどこにいるかすぐわかったでしょ!」
1人の学生さんが冗談を言った。
声が裏返っている。
隣にいた学生さんが抱き着いてきた。
おやおや。
よく見ると、皆顔がちょっと青白い。
挨拶を済ませると、彼らは急に静かになった。
目だけがあっちへこっちへと忙しく泳いでいる。
めちゃくちゃ緊張しているじゃないか!
保護者の皆さんは、マドリードがこんなに寒いなら手袋を持ってくるべきだった、アンダルシアと違いすぎる、青空はどこや、このコートじゃ暖かくない、傘が小さい、お腹が空いたと親睦を深めている。
夫は登山にでも行くような大荷物の中から受験票を探している。
そろそろ開場だ。
「今日あなたはお母さん。行く前にぎゅってして!」
いつも生意気な口をきく人も今日は様子が違う。
そうだよな、みんな緊張しているんだよなあ。
「いつもどおりやってらっしゃい!」
皆が鉛筆と消しゴムと時計を持ったか再確認した後、がんばれのポーズとともに彼らを送り出した。
◆
さて、保護者と私は4時間ほど自由時間ができた。
まだ朝ご飯を食べていないという人たちと一緒に車でバルに向かう。彼らの中にいると、マドリードにいてもアンダルシア時間が戻ってきたようで、ほっとする。
「とりあえず、スーパーに行けばバルがあるだろう」
私が今回一番頼りにしている銀行員のお父さんが言う。
お父さんの発言に少々首をかしげたが、とりあえず皆が無事に受験会場に入ったことに安心したのか、私は暖かい車の中でだんだんうとうとしはじめた。
バルが開いていない、外のテラス席があるバルがない、と1人のお母さんがぼやいているのが聞こえる。
「アンダルシアにあってマドリードにないもの、それは週末もテラス席がいっぱい出ているバルよ!」
マドリードにもバルはあるだろうが、週末だからなのか朝早いからか、雨だからなのかよくわからない。確かにこのあたりには開いているバルがない。よくわからないのと眠さも手伝って、「そうですねえ」と後部席から適当に返事をしてしまった。
やっと見つけたバルでの朝食後、ショッピングセンターに向かうことにした。
寒いので、誰も外を歩きたがらなかったからだ。それに、美術館へ行っても、子どもや家族のことが気になってゆっくり鑑賞できないという。
ショッピングセンターの中は暖かかった!
「大きいなー!」
「私たちの町と全然違うじゃない!ちょっと、見て!唐草、あなたこれ写真撮って!床よ、床の写真を撮るのよ!!」
寝ぼけ眼でもぞもぞとコートを脱いでいた私に1人のお母さんが言った。
にわかにテンションが上がったアンダルシア人たちに私はついていけない。そのスピードたるや、かのウサイン・ボルトが100メートルを完走するよりはやかった。
なぜ床の写真を撮るのだろう。
「だってほらこれ!大理石じゃない!アンダルシアのお店の床にはないわよ!!」
アンダルシアにも大理石の床はあると思う。
「そして、これ!これも撮って!!」
ゴミ箱だった。こんなにきれいなゴミ箱はアンダルシアにはないから、撮っておけという。
真剣に考えた。
日本語の試験を受けるのと、アンダルシア人と4時間一緒に過ごすのと、どちらが大変だろうか。この調子だと、私の体力が持つかわからない。
言われるがままに、何枚か写真を撮った。
疲れていたので、どれもピントがあっていないか構図がおかしい。
ただ、やはりマドリードはザ、キャピタルだ。
郊外とはいえ、マドリードのショッピングセンターはきらきらしている。
このきらびやかなたたずまいは、アンダルシアにはない!
お店の数でいったら、日本のアウトレットといい勝負かもしれない。
だんだん私も興奮してきた。
「レジェスのプレゼント、もう買った?」
お母さんたちが話している。
そうか、もうすぐクリスマスとレジェスだ。
この機会に夫に何か買っていこうか考える。
ネクタイなんてどうだろう。
お母さんたちからのアドバイスのお陰で、最近のスペインでの流行、おすすめの素材と柄など、アンダルシア流のおしゃれビジネスファッションをなんとなく理解した私は、いくつかまわったお店の中で気に入った一本を見つけた。これならどこにでもしていけるわよ!と、皆さんのお墨付きだ。
ネクタイを買った後は、本屋さんにも寄った。
ああ、楽しくなってきた。
まるで日本にいるみたいだ。
みんなでする買い物は、1人で必要なものをささっと買いに行くときとまた違う。アンダルシア人とする買い物はもっと違う。
彼らが「かわいい」と手にするもの、商品やサービスに対する鋭い、それでいてときどきよくわからない内容のコメントはとても新鮮だった。
1人のお母さんが、イタリアのコスメショップの前で足を止めた。娘に買ってやりたいものがあると言う。
数分後、お母さんがレジに持って行ったのは、皴予防のクリームだった。
娘さんは10代だ。
娘さんがメイクに熱心なこと、皴ができたらいやだからと今からアンチエイジングのケアを始めたことを教えてもらった。
にわかには想像しがたい話だが、娘さんが喜ぶ姿が目に浮かぶ。
「絶対内緒にしておいてよ。これはクリスマスプレゼントだから!」
お店の前で待っていたお父さんに、「お父さんもよかったら何か試してみますか」と聞いたら、「今日はやめとくわ」と返ってきた。こういうのが関西ぽいなと思う。
そうこうしていると、夫から写真が送られてきた。
大きな笑顔の学生さんたちと夫が一枚の写真におさまっている。
休憩時間中に皆が集まったらしい。
受験する級がばらばらだから建物も違うのに、わざわざ集合したのかと思うと、胸にぐっとくるものがある。
「あともう少し、皆で応援しています!」
メッセージを返す。
◆
別のお母さんが足を止めたのは、ボディケアのショップだった。
「ここ、全部日本製なのよ!唐草、あなたに合うものもあるかも!」
SAKURAと書いてあるクリームを見つけた。手に取ってにおいをかいでみる。
桜と言われれば桜なんだろうか。いい香りには違いない。
かれこれ10年以上桜を見ていないので、その香りというのがどういうものかわからなくなってしまった。
元エステティシャンのお母さんは、ひとつひとつ説明してくれる。このローションの次にこれ、その後はこれという風に。今はセール中なので、これを買うとこれがついてくる、普段ならこれはいくらなんだけど、今は何割引きだと、大声で説明をしてくれる。店員さんより詳しいんじゃないだろうか。
「よかったら、お試しになりますか?」
店員さんが声をかけてくださった。
「ありがとうございます。友人から大体の説明を聞いたんですけど、こちらの商品は全て日本で作られているんですね」
「え?日本?いやそんなことはないと思うんですけど」
「あれ?そうですか。お母さん、違うみたいですよ」
「え!これ桜でしょ!ここの商品は全部日本製って娘が言ってたけど、違うの?あらー!私ったらあなたに嘘教えちゃったじゃない!」
クリームの入っている箱を手に取ってみると、Made in Europeとある。その下には、アムステルダムとあるではないか(Akioさん、ご存知ですか?)。
しかし、お母さんに恥をかかせてはならない。
「そうでしたか!それにしてもいい香りですね。私はこのお店を知らなかったので、ありがとうございます!日本の友達にも教えようと思います。それでは、そろそろ行きましょうか?」
旅費に加えてネクタイや本を買ったので、既に予算オーバーだ。
お母さんお勧めのボディスクラブやらクリームを買う余裕はない。さりげなく別のお店に誘導しようとした。
「まだまだ時間はあるわよ!せっかくだから、試していきなさいよ!」
「いえ今日は」、「いいじゃないのよ」を何回か繰り返した後、気が付いたら私はボディスクラブと書かれた容器とともに店内にある製品お試しコーナーのようなところに立っていた。
わしゃわしゃとスクラブを手の甲に塗っている間、お母さんと店員さんが話している。
「そうそう、私たちね、こう見えてマドリード人じゃないのよ。今日はついでに寄っただけなの。この子に日本の商品を紹介しようと思ってね!」
「はい、それはもう先ほどのお2人の会話から、アンダルシアからいらっしゃっているんだろうと思っておりました」
「あらすごいじゃない!どうしてアンダルシアってわかったのかしら。おしゃれしてきたわよね、私たち?」
「素敵でいらっしゃいます。ただ、皆さんのアンダルシア弁を聞いたら、誰だってすぐにわかってしまいますよ。ふふふ」
アンダルシア弁は目立つ。私が住んでいる町の訛りは特にきついので、すぐにばれる。
「唐草、訛ってるってさ私たち!!ぎゃはは!」
道理で、と言ってお母さんが話し出したのは、マドリードのとあるレストランに家族で行ったときに、隣のテーブルの人たちに後からお礼を言われた話だった。
隣でこんなに面白い漫才みたいな話が聞けると思っていなかったから、とても楽しかったと言われたそうだ。
困っちゃうわ、私たち普通に話してるだけなんだけど、と悩むお母さんがかわいい。
私がスクラブを洗い流している間、彼女はアンダルシアにあってマドリードにないものの話を延々としている。店員さんは明らかに困惑している。お父さんは待ちくたびれている。
5分後にお店を出た私の手には、スクラブとボディクリームが入った袋があった。
このあたり、完全にアンダルシア人にはなりきれない、日本の私がいる。いや、もはや日本は関係ないのかもしれない。
桜の香りはとても気に入ったので、いいことにする。帰ったら節約だ。
その後、1人のお母さんは宝くじを買いに行った。
どこに行っても、宝くじ売り場があると素通りできないんだよな、彼女は、とお父さんが言う。
戻ってきた彼女が私に手渡したのは、宝くじの紙一枚。
「これ、今日の記念に。当たってたら半分こね!でも、実際に当たってたら私が独り占めするから。連絡がなかったら、当たったんだと思っておいて!うふふ!」
アンダルシア人は、こういう粋なことをする。
◆
一度も座らないまま、4時間が経過した。
車で大学へ戻る。
「唐草さ、あなたこないだ夫婦ともにコロナにかかったでしょ。クラス休みになって、娘も心配してたけど、もっとたよっていいのよ。車もないし、大変なときもあるでしょう」
「外国人として海外に住むのは簡単じゃないよな。君らがどんな苦労をしているのか私には想像もできないけどさ、たまには息抜きもしなきゃ」
「そしてね、あなたクラスでは日本語を使うでしょ?もっと外に出てスペイン人と交流した方がいいわね。例えば、大学のクラスを取るのもひとつよ?私と買い物や散歩に行くんだっていいし」
「家族みたいな存在はここにもいるのよ。忘れちゃだめ」
「さみしくなったらね、この番号に電話するだけでいいの。娘じゃなくて私と会えばいいじゃない?もっとたよりなさい」
彼らの言葉に暖かい車内の温度がさらに上がったような気がした。
最初の方こそ、そうなんですよね、徒歩圏内でうろうろしていますが大丈夫です、へへへなんてやっていたけれど、だんだんがまんできなくなった。
アンダルシア人は人を泣かせるのがうまい。
私がぐすっとなったのをフロントミラー越しに見たお母さんは、あーらもうこの子、いらっしゃい!と抱きしめにかかる。
アンダルシア人はどんな大人をも子どもにかえらせてしまう。
ダイレクトに魂でぶつかってくるからだ。
私はアンダルシアに来てから泣くことが増えた。
もしかすると、彼らと私はそれほど年が変わらないのかもしれない。
私はこんなあたたかい言葉を、そしてこんなあたたかい態度をもって人に接することができるだろうかなと思った。
その後、車内では地元の人にしか通じないアンダルシア弁講座が始まり、私は超レアなアンダルシア弁の言い回しを2つ手に入れ、ネクタイやら本やらクリームやらでぱんぱんになったリュックと、たくさんのラブでいっぱいになった体で大学に到着した。
ぱんぱんになったリュックについては、サプライズプレゼントが苦手な私は、これはサンドイッチだと夫に言うことにした。
大学の構内が何やら騒がしい。
見ると、日本のテレビ局が取材に来ているようだった。
ディレクターのような人が、なぜかお辞儀をしてくださる。
ここで、ふと我にかえった。
パンパンのリュックを担ぎ、アンダルシア人に4時間揉まれ疲れ切った顔の、防寒対策優先の格好をしている今日、絶対にテレビに映りたくない。しかも母国日本のテレビというじゃないか。この状況で映ったら、茶の間の皆さんに対してもとんだお目汚しだ。誰も気にしちゃいないのに多大なる自意識過剰ぶりを発揮し、大変申し訳ないがディレクターの方のほうは見なかったことにした。
そうこうしていると、試験が終わった学生さんたちがぞろぞろと出てきた。
テレビ局の人たちは、学生さんたちへのインタビューを試みている。日本の歌を歌ってほしいようだ。
そのうち、私の学生さんたちも教室から出てきた。
「アイドルになるんだろ!一曲歌ってきなさい!」
お母さんたちが女の子に声をかける。
興味はあるものの、どうしても無理だと彼女はいう。唐草と一緒なら行くというので、丁重に断らせて頂いた。
さっきのお店では外交問題に発展せぬようボディスクラブとクリームを購入したが、今回は何としても譲るわけにはいかない。
学生さんたちは、取材陣の方をちらちらと見ている。気になるのだろう。でも、歌いに行く勇気が出ないようだ。何より、試験直後で頭がまわっていないのとお腹がぺこぺこだと言う。
しばらくすると、地元マドリードやほかの場所から来ている数人の学生さんたちが歌いに行った。インタビューにもこたえている。J-POPやアニメソングを歌う人たちの声が聞こえてきた。
もうスペインでいうお昼ご飯の時間だ。
朝から5時間ほど荷物を持って立ちっぱなしのため、座りたくなってきた。
カフェにでも行こうかと思った頃、受験生にはおよそ見えない、人一倍大きなバックパックを背負った人が出てきた。夫だった。
今回も一泊だけなのに荷物が多かったよなあ。
ともかく、これで全員揃った!
皆の健闘を称えあった後、学生さんたちとその家族は、美術館やらショッピングセンターやらホテルやら次の目的地へと出発した。
「また来週!」
私たちは、2時間後の電車でアンダルシアに帰る。
お疲れ様と夫に声をかけ、帰ろうとした。
「あれはテレビですか」
「そうみたい。さあ、帰ろうか!」
早足で歩き始める。
お昼ご飯はどうしようか。この分だとアトーチャ駅でサンドイッチを買うぐらいだろうか。
「チャンスの神様は前髪しかないと言いましたね」
「ああ、そうそう」
「私、行ってきてもいいですか」
「え?」
「いとうあさこさんの番組と言っています。私の好きないとうさんです。応援していますと言います」
夫は話こそやたら長いが、人前に出ることはそれほど好きではない。
私はびっくりした。
いとうあさこさんの力は強かった。
山登りのようなバックパックを背負ったまま、夫は構内に戻っていった。
やれやれ。
一体どうなっているのだろう。
疲れ切った私は、外の椅子にこしかけ、昨夜スーパーで購入したDORAYAKIを食べることにした。
中はチョコレートだった。
どら焼きというか、スポンジ生地にチョコレートを挟んだお菓子だ。
20分程して、夫が戻ってきた。
明らかに動揺している。
落ち着いて話してみてと言うと、次のようなことがわかった。
・よく考えてみたら、試験直後でとても疲れていたことにマイクを持ってから気が付いた
・魚の歌を歌ったら誰も知らなかった
・奥さんの名前を聞かれた後、どこが好きか、奥さんの写真を見せて、奥さんが外にいるなら連れてきてと言われた。絶対に後で私に怒られるだろうと思い断った。
・舞い上がりすぎて、肝心のいとうあさこさんがんばってくださいが言えなかった
J-POPを所望されたようだが、サビぐらいしかわからないので、魚の歌を歌ったという。
魚の歌ってなんだったか。
さかなさかなさかなー
さかなーを食べると―
夫が歌っている。
それは、日本に半年住んでいたときに、近所のスーパーでかかっていた「おさかな天国」じゃないか。
確かほかの学生さんたちは、浜崎あゆみをはじめとするJ-POPを歌っていた。
「誰も知らなかったんです。私、説明したんですけど、首をかしげられました」
ここで笑ったら彼のトラウマになってしまう。
必死に笑いをこらえ、よくやった!、あなたはよくやったのだ!とほめた。
夫は、帰りの電車でもまだしょげていた。
美空ひばりかどぶろっくにすればよかったと選曲ミスを反省している。どちらもふり幅が大きすぎるし、こうなるとめんどくさい。
本来であればサプライズにしておくはずだった本を渡すと、途端に機嫌がなおった。
気遣いやら何やらでくたくたの私はその後のことを覚えていない。
目が覚めたら、窓の外には見慣れたアンダルシアの風景が広がっていた。
年明け、試験結果が届いた。
全員合格だった。
マドリードまで行って受けた試験だ。
アウェイすぎる場所での挑戦にもかかわらず、皆がんばった。
どうか盛大にお祝いしてください!と皆さんにメッセージを送る。
予算的には赤字になったマドリード遠征だったが、皆の合格と、お母さんたちの愛と、桜のボディスクラブと、どら焼き風菓子パンとの出会いと、夫の魚の歌と、実りのある時間だった。
以上、長々と書いてきたが、もはや4カ月以上たっての振り返りを終わる。
ちなみに、後日放送されたテレビ番組では、夫の歌とインタビューはひとつも映っていなかった、ということを友人が教えてくれた。
本人はまだちょっとすねている。
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