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短編小説「匂いのする彫刻」

ある街に天才彫刻師がいた。彼が彫る作品は匂いがするのだ。
ばななを彫れば、ばななの匂い。鹿を彫れば、鹿の匂い。
彫った彫刻が実物に近いほど、その匂いは強くなる。

写真を見せて彫刻をお願いすれば、そっくりに彫ってくれ、なつかしい匂いも蘇る。思い出の匂いを残しておきたい人々が、連日写真を手に彼の元へ訪れた。

とある富豪は、南国で食べた名も知らない果実を。
とある女性は、愛する人からもらったバラを。

彫刻師は、彼らの思い出話をよく聞き、写真をよく見て一心不乱に彫った。できあがった彫刻を手にとった人々は、鼻を近づけ涙を流した。

この彫刻師には秘密があった。実は、匂いのする彫刻は、魔法のノミが無いと彫れないのだ。普通のノミで彫刻をしたところで、匂いなんてしない。魔法のノミは、この彫刻師の父の母の父の…代から受け継いだ大切なノミだった。

ある日のこと、年老いた刃物売りが彫刻師の元を訪れた。自慢のノミを紹介し、ぜひ使って欲しいと願い出た。彫刻師が使ってくれれば、ノミが売れると踏んだのだ。彫刻師は断ったが、刃物売りはしつこく、お代は不要だと言って新品のノミを置いて帰った。

その夜、たまには新品のノミでも使ってみるかと、彫刻師は刃物売りが置いていったノミでりんごを彫った。続いて、魔法のノミでもりんごを彫った。その様子を刃物売りはこっそり窓から覗いていた。

彫刻師がベッドにもぐり、いびきを立て始めたころ、刃物売りはアトリエに忍び込み、新品のノミで彫ったりんごの匂いを嗅いだ。おかしい、匂いがしない。魔法のノミで彫ったりんごの匂いも嗅いだ。甘く爽やかな香りが鼻孔をくすぐった。

刃物売りはピンときた。彫刻から匂いがするのは、彫刻師の力じゃない。この古ぼけたノミのおかげなのだ!刃物売りは魔法のノミをコートのポケットに入れ、アトリエを後にした。

あくる朝、魔法のノミがなくなっていることに気づいた彫刻師はすっかり落ち込んでしまった。新しいお客さんは断り、彫刻もしなくなってしまった。

しばらく経ち、噂話が聞こえてきた。刃物売りの爺さんの家から、毎晩トンカン、トンカン、妙な音が聞こえてくるらしい。怪しく思った彫刻師は刃物売りの家を覗きに行った。

月夜の晩。トンカン、トンカン。刃物売りの家から硬い何かを打ち付ける音が響く。彫刻師は窓から家を覗き見た。思った通り。刃物売りは魔法のノミを握りしめ、木を前にハンマーを振り下ろしていた。

「こんばんは」と、彫刻師は刃物売りに声をかけた。刃物売りは驚いて、ぎゃっと言いながら尻餅をついた。そして、彫刻師の顔を見ると真っ青になった。

「ノミ、返してくれませんか?」と彫刻師が声をかけると、刃物売りは泣き出してしまった。壁には、やさしく微笑む女性の写真。そして、床にはいくつもの人の形をした木の塊が転がっていた。

刃物売りには、十年前に亡くなった妻がいた。妻はいつも石鹸とお花と、ちょっとだけ埃の香りが混ざった匂いがしていて、刃物売りはその匂いが大好きだった。

十年の月日が経ち、妻が身につけていた服やブランケットからも、その匂いは消えてしまった。それで、刃物売りは魔法のノミで妻を彫ろうと考えたのだった。

「自分で彫る方が、妻の匂いがよくすると思ったのだがね。ノミはあっても、俺には彫刻の才能が無かったんだ」
刃物売りはつぶやいた。そこで彫刻師は一晩中思い出話に耳を傾け、その後三日三晩、寝ずにノミをふるった。

完成した妻の彫刻は本物そっくりで、刃物売りは全ての財産と引き換えに彫刻を買い取った。

彫刻師は、その後ぱったりとお客さんをとらなくなり、いつしか行方不明になった。空っぽのアトリエには一体の彫刻作品だけが残っていた。それはノミを片手に持った、彫刻師そっくりの男の像だった。

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