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更新の滞りと映画2本備忘録

15日間、更新が滞ってしまった。毎日書くぞ〜とがんばっていた日々を思い起こす。仕事が忙しくなって、日中考えることが多くなると頭を空っぽにしてしまいたくなる。文章を書いていた夜の時間は、ほとんどゲームをして過ごしていた。

SNSもあまり見ないようにしていて、誰が何をした、考えた、結果がでた、そういった情報が洪水のように自分に流れ込んでくると疲れ切ってしまう。

細々とした投稿を受けとることをやめると、当然、自分も発信をやめることになる。自分は人の投稿を見ないのに、発信をするのはコミュニケーションとしてどうなのよ、という思いがあるからだと思う。

ここ2週間は、仕事の関係で車で1〜2時間程度離れた場所へ行くことが多かった。形になった仕事の完成確認とお祝いに出向いたり、これからスタートする仕事の打ち合わせをしたり。小児科、こども園、NPO法人、など向いている方向は共通している。他、劇場や美術館の仕事で地道に文化芸術を伝え、興味関心を持ってもらうことについて考えることが多い。作業時間の確保と効率化が課題。

SNSや文章の代わりに、映画鑑賞と読書は捗った。最近見たり読んだりしたものはこちら。

戦後、西ドイツの多くの人が戦争の記憶、犯した罪を忘れ去ろうとしていた。そんな時、一人のジャーナリストがアウシュヴィッツ強制収容所の元親衛隊員が教師をしていることを突き止める。若き検事ヨハンは圧力や苦悩を抱えながら、ナチスがどのような罪を犯したのかを明らかにしていく。

映画や本でヒトラー関連が続くのは、近代史上最悪の出来事を興味本位でのぞいているのではなく、戦後につくられた本や映画について、第二次世界大戦の悲惨な出来事から学び、解釈して創作されているものが多いから。加えて現在の戦争も、この時代と地続きなので、理解しておきたいと思ったからだ。以前まではざっくり「欧米」と一括りにしていた国々がこんなにも歴史や価値観が違っていたのかと、自分の解像度の低さに驚きながら学んでいるところ。

「顔のないヒトラーたち」は、戦後、ドイツの犯した罪に蓋をして忘れ去ろうとしていた時に、立ち上がった一人の若い検事が、正義を持ってその罪を暴こうとする。ただ、その罪を追えば追うほど、正義とはなにか、罪を犯すとは何かを突きつけられ、検事自身も絶対の正義ではないことに気づきはじめるストーリー。無知ゆえ、若さゆえに、自分の正しさを疑わず他者を罰するところから、葛藤と挫折を経て、苦慮しながらも決断をする姿は時代を問わず共通した人間の成長物語だと思った。

6歳のムーニーと母親のヘイリーは定住する家を失い、“世界最大の夢の国”フロリダ・ディズニー・ワールドのすぐ外側にある安モーテルで、その日暮らしの生活を送っている。シングルマザーで職なしのヘイリーは厳しい現実に苦しむも、ムーニーから見た世界はいつもキラキラと輝いていて、モーテルで暮らす子供たちと冒険に満ちた楽しい毎日を過ごしている。しかし、ある出来事がきっかけとなり、いつまでも続くと思っていたムーニーの夢のような日々に現実が影を落としていく—

私自身も以前、娘を連れて離婚している。幸い、手に職があり友人と家族に恵まれていたので難を逃れたけれど、離婚前後の出来事はしばらく振り返ることができず、最近になって自分も傷ついていたんだなと理解できるようになった。なので、この映画はとても気になるけれど見るのに勇気が必要だった。

「貧困」「シングルマザー」という言葉でなんとなく人物像や背景を一つのイメージに固定化してしまうのは良くないと思っている。その人の一面ではあるけれど、全部ではない。若い母親のヘイリーは20歳前後だと思われ、頼るあてもなく幼いムーニーとモーテルで暮らしている。管理人のボビーは、そんなヘイリーを始めモーテルで暮らす人々を厳しくも温かい眼差しで守ってくれている。

親子の愛情、モーテル内での友情、地域住民の優しい眼差しと並行して、放火、暴行、無銭飲食、売春など、様々な犯罪が日常の中で起きる。この日常の舞台がキラキラとしたディズニーランドのすぐ隣のモーテルであることも、この構造を示唆している。幼いムーニーの目線はフラットにこの世界を捉え、生きるために歩みを始める。

福祉やボランティアの人々が途中介入している。それは、真にその人たちを保護する目的で行われているけれど、どう受け止めているかは本人たちにしか分からない。そういった距離感の難しさ、繊細さがきちんと描かれていた。管理人のボビーという良心が、自分にできることを示してくれている気がした。

他、いくつか映画と本も読んだけど長くなるのこのへんで。

SNS疲れの原因のひとつに、インスタグラムのように無垢で綺麗で翳りのない世界と、ツイッターのように正義同士がぶつかり合う世界があって、偏った情報に何か満たされない気持ちになっているのだと思う。1枚の写真、140字の文章では、そんなに単純じゃないよね、という気持ちが共有できず、なんとなく寂しさを覚える。映画や本と対峙すると、ひとつの事柄に対してたくさんの見方を示してくれるので気持ちが埋まる気がする。そんな込み入った会話をするほど、人と長時間話すことも減った。noteに書き散らして埋めてみた。

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