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『帰ってきた橋本治展』(県立神奈川近代文学館)

【内容】
小説家、イラストレーター、評論家の橋本治の回顧展。

※神奈川での展示は、すでに終了しています。


【感想】
港の見える丘公園にある県立神奈川近代文学館で開催している『帰ってきた橋本治展』を観に行ってきました。
20代の頃、一時、橋本治関連の本をかなり読んでいたことがあったりして、ほぼ事前情報のない状態で入館。

展示ブースの入口を入ってすぐで、本の制作を作業をまとめた映像が流れていました。
独特な風貌な大男が、ちょっと舌ったらずな口調で、熱心に打ち合わせしていました。
橋本治が実際に喋っているものを見たことがないと思っていたのですが、よくよく考えたら昔ニュース23か何かで、大柄な独特の喋り方をしながら、筑紫哲也と話していたことを思い出しました。

東大の学園祭である駒場祭のポスターで有名になったというちょっと変わった経歴の持ち主なのですが、展示の初めの方にそのポスターも陳列されていました。
ポスターは、背中を向け上半身に刺青のある男性の横に、毛筆体で「とめてくれるなおっかさん 背中のいちょうが泣いている 男 東大どこにへ行く」と書かれた水彩画。
正直、20代の頃に、初めてこのポスターを観た時に、何がウケたのかがサッパリわからなかったのですが、その後なんとなくわかるようなわからないような感じにはなりましたが…

それから、ワープロが流行っていた頃に、橋本治が使っていたシャープの『書院』が並んでいたり…
その後、手書き専門になったので、その原稿が結構な数展示されていました。
ものや時期にもよりますが、イラスト的を思わせるような独特の字体でした。手書き原稿なんて、当時でもめずらしくなってきていたでしょうし、編集の人間にとっては傍迷惑なことだったのでしょうが…
原稿を見ていて、活字化されてしまうことで、この手書きの文字から溢れ出る文章のニュアンスや情報量が削ぎ落とされていたのだとおもったりもしました。

あと、この展示を観るまで知らなかったのですが、橋本治のデビュー作の小説『桃尻娘』の挿絵は宇野亜喜良が担当していたりもしました。当時から売れっ子だった宇野亜喜良を起用していたりしたことを考えると、出版社としても力を入れて売り込んでいたのではないかとも思いました。

それから、この展示を観ていて、ふと橋本治が昔どこかに書いていた文章を思い出しました。
一人暮らししているアパートで、拾ってきた猫をしばらく飼っていたが、なんとなく捨てることにして捨てたといった話でした。
猫を捨てるといえば、ついこの間、ずばり『猫を捨てる』という題名の村上春樹の自伝的な本を読んだことを思い出しました。
村上春樹の方は、父親と猫を捨てに行った話で、こちらの猫は家に帰ってきて、そのまま飼い続けたといった話ですが…
その連想で、こんな話も思い出しました。
橋本治が以前日常のことを書いていた文章で、確か講談社だかの文筆家向けの保養施設に長期で泊まって小説を書いている時に、村上春樹も一緒にその施設で小説を執筆していたのだそうです。
その時に、橋本治が会話した内容を書いていたのですが、村上の実家のある神戸の方は、住む地域によって微妙に言葉が違うので、ちょっと話しただけで、住む地域や育ちとか諸々のことまでわかってしまうのでしんどいという話していたとのこと…
住宅街で育ったので、そういう話を始めて聞いたのでとても興味深いと思うと同時に、当時は村上春樹が故郷の話など語ることが殆どない頃だったので、そういう面でもレアな話だったので記憶に残っていたように思います。
その他にも、村上春樹も行っていたユダヤ系の留学制度(?)に、橋本治も声が掛かったそうなのですが、多額の借金返済のために行けなかっとかといった文章を書いているのも思い出したり…
その時はなんとなく引っ掛かるなあ、くらいの感覚だったのですが、よくよく考えてみると橋本治は村上春樹と同じ29歳で小説家デビューしていたなあと…
確か歳も近いはずと思って調べてみたら、村上春樹は1949年生まれ、橋本治は1948年生まれと1歳違い。
村上はデビュー作を応募する時に色々な文芸雑誌などもかなりリサーチしたらしいので、東大のポスターで話題となっていた橋本が小説家としてデビューしたというのも当然チェックして、意識はしていたはず。
橋本の『桃尻娘』は、当時のギャル言葉を使って時代性を切り取るという手法を使って書かれた本であり、村上はそれを見たりして、時代性に左右されない文体とか世界観みたいなもので、小説を書いたのではないか…

その後、村上がアメリカ文学の翻訳をしていくことで、自らの文学世界を深めていき…
一方の橋本治は古典を現代語訳したりすることで、自らの文学世界を深めていった。

橋本は自らフジテレビのキャンペーンに出演したり、広告批評などに文章を書き続けましたが…
村上も80年代の頃には、糸井重里と共著を出したり広告業界に近いところいたのに、途中からそうしたものとは極端に距離を取るようになっていった。
今までは、全く別次元の作家だと思っていた2人が、裏表のような関係だったのではないかなんてことを考えたりもしました。
今までそんなこと言っている文章は読んだことがないのですが、どなたかが指摘してたりするかもしれませんが…
そういえば、大のハルキストを公言し、橋本も大好きで対談もしている文筆家(?)の内田樹はどう思っているのか気になってきました。
内田樹は、橋本が難病にかかった後に対談していて、読んだことがあるのですが、橋本が完全に押し込まれているような感じの対談になっていた印象があります。
個人的には、社会人になって忙しくなったとこもあり、その辺りから橋本の文章も読まなくなっていたような気がします。

橋本は70年代の終わりから、日本が超好景気になっていく時代に乗って、ガンガン活躍して、日本が沈んでいくのと時を合わせるようにして亡くなってしまったのだなあと感じた展示でした。

個人的に、ものの考え方や見方にかなり影響を受けてということも再認識するとともに、観にきているのは40〜60歳代の男女が中心で外国人も全くいなかったりして、なんだか寂しい気持ちにもなりました。

橋本治が書いていた短編とか、結構ドラマ向きのような気もしますし、なんだかの形でまた作品が注目されると良いなあと思ったりしました。

今回の展示では、若い頃はかなり本格的にイラストレーターとして仕事していたことがわかるイラストや広告の展示もあり、そうした面でも楽しめた展示でした。

https://www.kanabun.or.jp/exhibition/19579/

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