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公務員は世の中を変えられないと気付いた霞が関時代

記念すべき初投稿です。
私は今、福島で結婚やパートナーの転勤、Uターンなどで福島に転入した女性達の転入後の暮らしをサポートする一般社団法人tentenを運営しています。https://tentent.info/
いわゆる民間行政的な活動をしているため、「公務員」という立場の方々と日々関わっており、色々考えることが。。

実は、私もその昔、公務員でした。
こんな面白くない仕事、今すぐにでも辞めてしまいたい!!
と思って実際に辞めたのですが、福島に来て、今は県職員や市役所職員の方がお客様のお仕事をすることになり、
公務員は最高にクリエイティブな仕事!
と公務員に対する見方が180度変わりました。

その経験を活かして、「公務員を楽しめる仕事に」をテーマに、公務員の意識改革を今後のライフワークにしたいな~という夢を目指して、その第一歩です。
このnoteでは、公務員の意識改革のこと、移住者支援の活動で感じたこと、女性が非営利活動を続ける(さらには仕事にする)ことについて綴っていきたいと思います。


意識低い系キャリア官僚誕生

私、その昔、霞が関のある省庁で国家公務員Ⅰ種官僚として働いていました。
小中高と特に夢もないままとりあえず勉強をし、国立大に進学。
就活を始めたころ、親に「女は公務員がいい」と言われ、公務員試験を勉強し始め、ギリギリ国家公務員Ⅰ種試験に合格。もともとコミュ力には自信があったので面接もクリアし晴れていわゆるキャリア官僚に。
この流れからも見てわかるように、「国を良くしたい!」「この国を変えたいんです!」というような強い想いがあって官僚になったわけでもなく、得意なこと(勉強)を一生懸命続け、親の言うことを聞いてたら運よく採用されたという意識低い系キャリア官僚でした。(本当にすみません)
キャリア官僚って、1年目に全省庁合同の研修が3か月ほどあるんですよ。
外務省、財務省のトップofキャリア官僚の人たちは、東大生とか京大生とかばかりで、知識も豊富で想いも強い人が多く、まだ仕事もしてないのに「うちの省は○○で~」とか話してて、「え、この人たちもう『うちの省』呼ばわりしてすごい自信やな・・・」と驚いたのを覚えています。

霞が関でがむしゃらに働いて気付いたこと

とはいえ、真面目が取り柄の私。
仕事には一生懸命取り組みました。想いはなくても目の前の業務をこなす事には夢中になれるんですよね。
1年目の私の仕事は、予算の財務省への折衝、あとは国会で質問が当たれば答弁たたき台の作成などでした。あまり忙しい部署ではなく、ほぼ定時で帰れる日々を過ごしていました。
2年目~3年目は、忙しい課に異動。国会の質問がよく当たる課だったのです。国会期間中は、国会議員からの質問を待つ国会待機、質問が決まったら答弁を作ってそれをどんどん上まで決裁を取りに行く、必要な添付資料があれば作成したり。経済特区の許認可の仕事も深夜まで結構やってた記憶があります・・・省内の会議資料も課長が手書きで作ったものをパワポに落とすという作業もしてました。終電なくなっても仕事、タクシーで帰宅という生活に一変。家で1時間だけ寝て、また1時間半かけて出勤するという日々が続きました。ストレスからか肌荒れがひどくなり、顔中ニキビだらけに・・・一人暮らしで食生活も適当だったので、身体がSOSを出していたのかもしれません。
4年目~5年目は、国際協力の課へ。発展途上国の大使を集めた会議などの準備をしたり、省庁担当のODA予算の政策評価を担当しました。

ここまで読んでいてお気づきかと思いますが、霞が関の仕事って、本当の受益者である国民の方にお会いすることはほとんどありません。誰に目線を向けて仕事をしているかというと、大臣、副大臣、政務官、官邸、国会議員なんです。大臣が一言何かを発言すれば、それに右往左往。総理大臣なら大問題です。そういう人たちの一挙一動、一言一言に神経を尖らせていないといけないのです。
働いてまだペーペーの私は、段々、「私は一体だれのために、何のために仕事をしているのだろう」と思い詰めるようになったのです。
意識低い系公務員の私はようやくその問いにぶち当たったのです。
そして気付いたことが。
世の中を変えたいと思ったら官僚では無理なんだ。政治家にならないと無理なんだ。

自分がやったことが誰かの役に立っていると感じられる仕事に就きたい

官僚では世の中を変えることはできない。
そもそも世の中を変えたいと思って官僚になったわけではない私でしたが、なんだかすごく虚無感に襲われるようになったのです。
大層な名前の会議で話し合われる小難しい話も、すべて机上の空論なのではないかと思うようになりました。
これって本当に必要とされている政策なの?事業なの?
現に、働きはじめて数年経って、日本の農業(あ、農林水産省勤務でした)が変わってるか?変わってないよね??とモヤモヤを抱える毎日が始まったのです。
でも毎日続く深夜残業。40~50代の課長補佐レベルの方々も毎日そういう日々を過ごしていて、残業中に聞いてみたのです。
「何のために仕事してるんですか?」と。
「僕は、自分がやってることが少しでも誰かの役に立ってればいいと思って仕事してるよ。」
と聞いて、「私は無理だ~~~~・・・・」と思いましたね。。
誰かの役に立ってると実感することなく、しかも本当に誰かの役にたっているという保証もなく、この辛い深夜残業を何十年も続けることは不可能だと。
「自分がやったことが直にダイレクトに誰かの役に立っていると感じられる仕事に就きたい!私がやりたかったことはこんなことじゃない!!」

そして私の転職活動は始まったのでした・・・


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