結局の所、採用面接は‥
面接される時間が長ければ(必ずしも)いいというワケではない。
質問される項目が多ければ(必ずしも)いいというワケではない。
もちろん、当たり前だと言われてしまうと、当たり前なのかもしれませんけれど。
さて、複数の学校で採用する側を経験して感じたことでもあります。
学校の台所事情とも関連してくるので、必ずしも相関関係がある、とか、あてはまる、というわけではないことを念頭に今日の記事はお読み下さい。
さて、ここ数年、漠然と感じているのは、以前の学校の教員採用はかなり慎重であり、丁寧に質問を重ねていたように感じます。
もしかしたら、学校事情とも相まって、下手な採用はできないという点で半ば疑心暗鬼になっていた部分もあったのかもしれません。
たしかに面接は非常に丁寧にやっていたと思います。
質問も、丁寧に検討して、議論して、どの項目をどれだけ誰が質問をしていくのか。
段取りもかなりシナリオ(台本)のように決めていた側面もあったと言っていいのかもしれません。
ただし、それゆえに、必然的に面接の項目数も増えますし、それに伴い時間もそこそこ長くなっていた実感は私自身の中にもあります。
もちろん、純粋に応募者に興味があって、その場での質問も増えて、かなり根掘り葉掘り聞いて(お互いしっかり納得の上?で)採用に漕ぎ着けたケースも見てきました。
ただ、やはり面接は質疑応答の数や長さではなく、その場の空気感とだったり、質問の質だったり、応募者の質だったりするのかもしれない、と思ったことは過去にもあります。
実は、教科主任が変わる前と変わった後で、かなり質問の方向性が変わった、という学校に勤務していたことがあったんですね。
こればかりは教科主任の性格的なところにもよるのか、学校側で採用でミスできないというプレッシャーがあったからかわかりませんが、良く言えば丁寧(すぎる)、悪く言えばくどい面接のしかたをしていたようにも思います(後々振り返ってみればの話になってしまうんですけれども)。
変わった後の教科主任は(これも教科主任の先生の性格にもよるのかもしれませんが)、割とサバサバしていて、質問も端的でした。
問題点、改善点、メリットとデメリットなど、様々複雑に絡み合っているものを丸ごとうまく質問されていたのではないか、と最近思い出すことが実は多いのです。
もちろん、こちらの教科主任の先生が主体となって行う面接は、それまでと比べて何割か短く終わっていました。
しかし、それでいて的確(と思っているのは採用側の人間だけかもしれませんが)に学校に合う、欲しい人材を見いだせていたのではないかと思ってしまうんです。
こればかりは時の運のようなものもあるのかもしれません。
最終的には、応募者の実力というところにも結びついていくのかもしれません。
質問側が納得できずに質問の往復数が増えると面接の時間は長くなるようにも思います。
しかし、質問もある程度まとめて1~3個ほど投げかけ、応募者側も意図を汲み取ってやりとりができると、驚くようにパズルのピースがはまって面接が短時間で済んでしまったこともあります。
そして、面接側としても満足度はかなり高めで終えられていたんですね。
ということで、採用する側もいろいろ考えながら採用活動を行っています。
結局の所、話し方のテクニックなんじゃないの?と言われてしまうかもしれませんが、決してそれだけではないとも思います。
もちろん、話す順番などの影響はあると思いますが、それに加えて教員経験も上乗せされているという感じでしょうか。
ピタリとハマるような面接というのも、世の中には(僅かながらかもしれませんが)あるのです。
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