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第四章 4社目:”業務内容”のリセット

4社目:外資系化学会社 
年齢:29歳 
在籍期間:2年10カ月

「もしもし、博之久しぶり。あのさ、あの話ってまだ生きてるのかな?」
私は競合他社である日本の中堅化学会社に勤める大学の同期に電話をした。博之とは大学時代特に仲がいいという訳ではなかったが、同じ業界にいるということがわかってからはたまに飲みにいく関係だった。飲みに行くと必ず「うちに来いよ。うち営業を探してるんだよ。」と誘ってくれたが、サッカーでいう欧州強豪クラブからJリーグ中堅クラブに行くようなもので、ネームバリューも報酬的にも行く理由なんてなく、当時は気にも留めてなかった。

私は怪しいヘッドハンターに勧められるがまま大手外資系化学会社の選考に進み入社をした。英文レジュメもネットでサンプルを見ながら見様見真似で書いた。募集をしていたポジションが「花分野の農薬マーケティング担当」だったため、花も農薬も知っているという稀有なキャリアがそのポジションにマッチした。また自営業をやっていたという私の履歴書の染みのような経験をなぜか高く評価してくれたことも採用された一因だった。本当に人生はわからないものである。大手企業で自分の経験を活かした仕事。まさにこれ以上ない環境のはずだった。

私は本社のマーケティング部に配属された。勤務地は都心の高層ビル。ラフなオフィスカジュアルで勤務し、定時そこそこで退社する。また毎週のように飛行機で各地へ出張していた。入社当時はそんな全国を飛び回る“イケてる”ビジネスマン(稚拙なイメージだったが)的生活に満足していた。しかし“内向き”過ぎる仕事が絶望的に馴染めなかった。
日本法人のトップは本国の本社しか見ておらず、すべての業務は本国への報告用のためになされていた。会社ではトップに気に入られていたため事業部長直轄プロジェクトのメンバーに選ばれたり、入社1年でリーダーへ昇進したりと極めて順調なものであったが、最後までその本国のご機嫌取りのような仕事に馴染むことができなかった。

また、花の生産者団体などの会合に講師として呼ばれる機会が多く、少しかじったことがある程度の経験と、どこかから拾ってきたような知識で花の栽培管理についての講演をするのも苦痛だった。「半端な知識で知ったような口を利く。それがどんなに傲慢なことか。」かの岡本太郎も言っていた。

このまま社内資料作りだけが上手くなり、先生と呼ばれていい気になるイタい“勘違い野郎”になってしまうことに強い危機感を覚えた。また、まだそう感じるマトモな神経を持っているうちにリセットせねばと考えるようになった。

また、個人事業主時代の負の遺産である“ブラックリスト”からも脱退し無事クレジットカードが作れるレベルに与信が回復していたのも大きい。収入が増えたことでリース返済の金銭的&精神的負担も軽減され、何が何でも高い年収を追いかける必要性は薄れた。

一度“業務内容”をリセットし、本当に自分が心身ともに健やかに成長できそうな環境で働いてみることにした。

ちなみにこの会社の退職願は社内電子申請できるという極めて近代的(辞める人も多いことが理由かもしれないが)なもので、上司に渡すタイミングを悩むこともなく、本当にリセットボタンをポチッとおすようなものだった。

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