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幕を開ける前に 一般市民の民事裁判初体験記【1】自転車は空を飛ばない

 人間の怒りというのはどれ位経てば収まるものなのだろうか。もちろん、「怒り」といっても様々なレベルがある。ここで、取り上げているのは日常生活の中で感じる大きなものといったものだ。大災害に遭っただとか、凶悪犯罪に遭ってというような程のものではない。

 私がこれから書こうとしているのは、ちょっとした事故に遭ったという話である。具体的に話すと、自宅の駐車場に止めていた車をぶつけられて、ドアに傷が付いた。ぶつけたのは、隣人である。誰が見ても明らかな、過失割合は、当方ゼロ。相手方100の案件だった。相手方が、謝罪とともに、修理代を弁償してくれればなんてことはなかったはずだった。私の方で事を荒立てる気持ちはまったくなかったのである。なんといっても、それまでの10年余を隣り合わせで暮らしてきたご近所である。今後の付き合いのこともよく考えていた。ところが、その後の展開はそうはならなかったのであった。この小さな事故は、相手方のアクションによって、事件になり、そして訴訟になった。いや、訴訟にせざるを得なかったというべきか。そう。訴訟にしたのは私だ。私は、生まれて初めての原告になった。そして、その後、被告になった隣人と裁判所の法廷で対峙した。こんな体験は、一般市民ではちょっとしないだろう。

 気が付けば、事故発生のあの時から3年半の月日が経った。今の私は、当時のことを冷静に振り返ることができるようになった。それまでは、思う出すたびに腹を立てていたのである。なかなかつかないが、一旦ついたら消えない備長炭の火の如く、この時の怒りは私の中でくすぶり続けた。今更、こんな話を蒸し返す必要はないのかもしれないが、折角の貴重な体験である。後世のために役立ててもらいたいと思って、書き残すべくPCに向かい出した次第である。

 冷静になんてことを述べている私ではあるが、書いているうちに熱くなってしまうことも出て来るかもしれない。読者の方々はそれを割り引いて、「自分だったらどうするか?」を念頭に読んでいただきたい。これから私が書こうとしていることは、誰の身の上にも降りかかる可能性があることなのだから。

 さて、これから書き進めていくのではあるが、ちょっとしたトライアルを仕込みたいと思っている。当時の私のやったことを、今の(少なくとも当時よりは)冷静な私が検証してみることを入れる。なぁに、なんてことはない。私自身もこの稀有な体験からしっかり学び取って今後の人生に活かして行きたいのだ。 

つづく

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