〔連載〕思春期の子どもをもつ母親への心理学講座 その2:無条件の愛情と共感モード
2回目の本講座では、私たちがよく陥りがちな「要求伝達」ということの弊害について取り上げ、そのうえで「共感伝達」の大切さについて説明したい。
🔹条件つきの愛情
これまで、子育てというものは、我が子にたっぷりと愛情を注ぎさえすれば、まず非行に走ることはありえないと考えられてきた。
逆に言えば、非行に走るような子どもは、親の愛情が欠如していたのではないかとみられていた。
たしかに30年以上前であれば、そのような見方、考え方は、通用したであろう。
だが昨今は、むしろ一見するところ、親の愛情が一心に子どもに向けられていて、生活にさほど支障が生じていない一般的な家庭からも、非行に走る子どもたちが出現しているのである(もちろん、経済的な困窮家庭の子どもの非行がなくなったというわけではないが)。この現実をどう受けとめたらよいであろうか。
私はいま「親の愛情」の頭に「一見」という言葉を冠せた。
というのは、子どもに向けられた親の愛情は、必ずしも子どもの気持ちにより沿ったものではなく、親にとっての都合のいい一方的な愛情であることが少なくないからである。
また、そのような形で育てられる子どもは、親の愛情を“ありがた迷惑”つまり過剰な干渉ないしは介入として受けとめてしまっている節が認められる。
なかでも、親の思いとは裏腹に親から一度も、ほんとうの愛情をかけられたことがなかった、と述懐する非行の子どもたちがかなり散見されるのである。
親は一様に「子どものことを思って」あれこれと心血を注いでいるつもりでいるが、じつはそれは条件つきの愛情であることになかなか気がつかない。
条件つきの愛情は、いつの間にか継続的な条件つき子育てに成り変わってしまっていることが少なくない。
🔹具体的な事例
ここで具体例を用いて説明してみよう。
よくある話だが、ある母親が、我が子にたいして「テストで百点をとったら、あなたの欲しがっていたスマホを買ってあげるからね」と約束した。
子どもはテストに頑張って百点をとり、自分の目的を遂げた。
しかし、百点がとれなかったら子どもは、たぶん気分が落ち込んでしまうだろう。
また別の母親は「いつもいい子でいてくれたら、お母さん、あなたが好きよ」といったメッセージを繰り返し伝えていた。
これなどは、一見、愛情のこめられたメッセージのように思えるが、いい子でなければ愛されないのだから、子どもは知らず知らずのうちに親の顔色を見ながら育つことになってしまう。
いま紹介した二つのメッセージとも、条件付きの愛情であり、子どもにたいする親本位の期待のまなざしが感じられないであろうか。
そのような親からのメッセージを、あまり気にとめずに笑ってすませられる子どもは幸いである。
子どもによっては、母親の言葉が気になり「今度も、いい成績がとれなかったらどうしよう」とか「いつも、いい子でなければいけないのかな」などと不安になってしまうかもしれない。
したがって、愛情という名の過剰な保護や期待あるいは干渉は、ときには子どもにとって「やさしい暴力」になってしまうこともありえるのだということに、私達大人はもっと注意を払っておく必要がある。
🔹「要求伝達」の問題点
今述べてきたことに関連して、もう一つ重要なことを述べておきたい。
条件つきの愛情は、しばしば子どもへの要求を伴うということである。
たとえば、日ごろ、我が子の動作や態度が緩慢で、親のペースと合わないとする。親は当然ながら見ていられず、ついつい口をはさんだり、先回りの手を出したりしてしまうであろう。
身におぼえがあることと思うが、一日のサイクルのなかで、「さあ起きて」「早く食べて」「さっさと風呂に入って」「歯をみがいて」「着替えて」「寝て」といった言葉を、何度子どもに向かって繰り返していることだろう。
ぐずぐずしていれば、「もう学校に行く時間よ」というべきところを、ついつい「何をぐずぐずしているの!」と叱責してしまうかもしれない。
これらのメッセージを対人コミュニケーション理論で「要求伝達」という。
「要求伝達」ばかりで我が子に接していると、子どもはどうなってしまうであろうか。
自立するどころか事態は一向に改善されず、子どもは、かえって親の指示によって動くというパターンを身につけてしまいかねない。
🔹「共感伝達」モードで
では、どうすればいいか。「要求伝達」を極力ひかえて「共感伝達」のモードに切り換えて接すればよい。
たとえば子どもが学校から帰ってくるなり「お母さん、お腹すいたー」と言ってきた場合、そのときの子どもの気持ちをとにかく受け容れて、共感する言葉を返してあげることである。
「そう、お腹すいたのね」といった言葉を遣って。そこから子どもとの心の通い合いがはじまるはずである。
心の通い合いは文字通り一方通行ではなく双方向通行でなければならない。「要求伝達」は知的面を重視する伝達方法であるが、「共感伝達」は情緒面をより重視するコミュニケーション方法である。ともすれば親は忙しかったりすると、どうしても要求伝達に偏りがちになってしまうので心しなければならない。
なお、歌人の俵万智さんは「寒いねと声をかければ寒いねと答えてくれる人のいるあたたかさ」と詠(よ)んでいるが、まさに、これこそが「共感伝達」といえよう。
私達親は、子どもが何かを行ったから子どもを受け容れるのではなく、子どもの存在をそのまま無条件で丸ごと受け容れるようにしたい。
そうでなければ、子どもは自分自身を肯定することができず、いつまで経っても自尊心や自信を培っていくことができない。
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