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共通だが差異ある責任とパレスチナとESG

 ある会社のメルマガに書いた記事を再録。
 なんとなく、きれいごとを言っている会社も、ESGとか言っても、今のパレスチナでのジェノサイドに対して何の声も上げない、というかイスラエルと取引しているのであれば、それはもう、ESGのSの部分でダメなんじゃないか、ESGって嘘だったのか、とか思う件。
 気候変動問題でも、先進国は「共通だが差異ある責任」というのを無視してきたし、全く同じことがイスラエルによるパレスチナでのジェノサイドでも起きている。当然だけど、これは欧米により重い責任がある問題だけれど、その欧米、とりわけ米国、英国、ドイツなどは責任をとろうとしていない。思考能力のない日本政府に至っては問題外。その点、南アフリカやブラジルが強くイスラエルを非難していることとは対照的だ。
 そして、これも似ているのだけれど、気候変動問題と同様に、若い世代ほどパレスチナを支持している。イスラエルに与することは、少しも持続可能ではない、人権が軽んじられる混乱した未来の世界を引き受けなければならない。先が短い、既得権益にしがみつく世代ほど、気候変動を甘く見ており、イスラエルを支持している。
 そんなことを、ビジネスマン向けに書いたものが、以下の記事です。

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 「共通だが差異ある責任」という言葉は、地球温暖化問題の国際交渉ではなじみ深いものだ。気候変動の責任はすべての国・地域にあるが、その責任の大きさは異なり、先進国に大きな責任がある、というものだ。確かに、今でこそ最大のCO2排出国は中国だが、累積でいえば先進国が圧倒的に多い。
 
 これはあまり言われることはないが、世代間にも共通だが差異ある責任がある。高齢の世代も若い世代も責任は共通するが、当然だが、高齢の世代ほど責任は大きい。そして将来への影響は若い世代の未来でもある。
 
 共通だが差異ある責任には、非対称性も含まれる。責任が小さい途上国の方が経済力は弱く、被害が大きい。若い世代は先進国では少子化の影響でマイノリティとなっている。大きな責任を持つ側の方が、声が大きいということだ。
 
 けれども、これは気候変動問題だけではない。イスラエルによるパレスチナでのジェノサイドという問題についても、よく似た構造が見られる。ここでは、SDGsという文脈で考えてみたい。
 
 日本のメディアはあまり報道しないので実感がないかもしれないが、欧米ではこの問題をめぐって、国内が分裂している。
 欧米はロシアや中国に対しては厳しい姿勢を示してきたにもかかわらず、イスラエルについては黙認してきた。第二次世界大戦後に欧米主導でイスラエルが建国されたが、ユダヤ人の問題をこうした形で決着させてしまったのは、その欧米の都合だった。
 80年近く、パレスチナ問題を放置してきた欧米政府の多くは、昨年10月7日以降のイスラエルによるジェノサイドについても、強く非難をすることができずにいる。むしろ、米国をはじめ、ドイツ、フランス、英国では、パレスチナ寄りの発言をすれば、社会的地位が奪われかねないのが現状だ。
 
 しかし、毎日のようにガザ地区での悲惨な状況がメディアで流され、実際におよそ3万人の人々が死亡し、100万人以上の人が飢餓に直面している中でなお、イスラエルがジェノサイドを続けていることについては、欧米でも多くの人がパレスチナを支持し、デモにまで発展している。英国では深刻な社会の分断となっており、BBC Newsで大きく取り上げられている。
 米国も同様で、とりわけ若い世代ほどパレスチナを支持する意見が強い。元々、共和党はイスラエル寄りで、ユダヤ教に近いキリスト教福音派も強い力を持っている。しかし、民主党は分断されている。このことが、バイデン大統領の再選を阻む大きな要因ともなっている。
 
 イスラエルに対して国際司法裁判所に提訴しているのは南アフリカであり、ブラジルなどもこれを支持している。欧米のイスラエルに対する及び腰に対し、途上国・新興国がイスラエルを強く非難しているということだ。
 もっとも、同じ欧米といっても、英国を除く北欧やスペインはパレスチナ寄りの姿勢を示している。
 
 正直に言えば、毎日のようにガザの、あるいはヨルダン川西岸の悲惨な状況と、無慈悲なネタニヤフ首相の発言が報道されれば、多くの人はつらい気持ちになるだろう。
 でも、それは感情的な問題だけではなく、パレスチナ問題、というよりもイスラエルによるジェノサイドが、社会を持続可能な発展から阻害していくということだ。
 そしてこの問題が、気候変動問題と同様に、欧米により大きな責任があり、途上国と若い世代が正義を求めている、という構造も似ている。異なるのはタイムスケールだ。
 
 さて、ここではイスラエルのジェノサイドを批判することは目的ではない。そうではなく、この問題が、ESGという文脈にどのように関係しているのか、そのことを示したい。
 ESGのSは社会を意味している。これは人権と読み替えてもいい。企業の活動においては、人権問題が重視されるようになってきている。レアメタルの貿易では紛争鉱物が問題となるし、強制労働による生産品の扱いも問題となってくる。そして、企業が気候変動に関する非財務情報を開示することが求められるように、人権問題に対する非財務情報の開示も求められるようになってきている。TCFD、TNFDに続いて、TSFD(社会関連財務情報開示タスクフォース)の立ち上げも進められている。
 こうした文脈においては、当然だが、イスラエル政府やイスラエル企業との取引や投資についても、開示が求められるだろう。そして、その内容によっては、企業は社会的批判を受けることになる。メディアがガザの状況や国際社会の強い批判を浴びつつも強硬な姿勢を崩さないイスラエル政府についての報道が続けられた中では、気候変動問題と同様に企業が積極的に対応すべき問題となってくる。
 実際に、伊藤忠商事はイスラエル企業との軍事的協力をめぐって、ファミリーマートでの不買運動まで起きた。結果として、伊藤忠商事は協力関係を解消している。
 イスラエル政府やイスラエル企業との取引の是非、ではなく、取引がこうしたリスクを抱えている、ということだ。
 
 SDGsという国際的な政策、ESG投資という持続可能を求める経済活動は、環境問題と経済問題をリンクさせたように、政治問題と経済問題もリンクさせている。
 そして、より大きな責任は先進国の高い年代層にあり、それが途上国の持続可能な発展と若い世代の将来につながっているのである。
 

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