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入管法と人権後進国日本、そしてTSFD

 入管法改正が、政治のトピックスになっている、はずである。はず、というのは、このことがあまり報道されていないから。たぶん、知る限りでは東京新聞が連載までしていたのが、一番大きいかも。
 とりあえず、廃案になってほしいし、その先、最低限の人権が守られるようになって欲しいと思う。
 現在でも、難民認定は日本ではなかなか通らないし、通らないと収容されるか仮放免されるけど、仮放免されたところで仕事につくことができないので、生活が成り立たない、というのが現状。そして、難民認定されなければ、強制送還ということもあるかもしれないけれど、その中には日本で生まれた子供もいる。それに、難民にとって祖国に送還されるということは、危険な場所に戻ることを意味する。
 そして、収容所も非人道的な施設で、医療にアクセスできずに亡くなった人もいる。

 難民を非人道的なまでに排除しようとする日本政府だが、その根底には人権意識の低い日本社会がある。
 人が人としてどのような権利を持っているのか、そのことについての合意がない社会ということだ。
 人権に関する問題としては、入管法だけの問題ではない。ようやく、見直しの方向で議論されるようになってきた、外国人技能実習生の制度も、実習生という言葉を借りた「奴隷制度」と言われている。実際に、最低賃金すら支払われず、行動の自由もないのだ。でも、彼らがいなければ、成り立たない事業者もあるという。

 今年のG7広島サミットでは、LGBTQの権利が話題になっている。政府は、LGBTQ理解促進法をつくろうとしているが、与党内での調整すらできていない。しかもこれは理念法でしかない。
 また、選択的夫婦別姓も20年以上前の政府の審議会で制度改正を求められつつ、何もしていない、というものだ。

 人権問題といえば、死刑制度もあてはまる。先進国で死刑があるのは日本と米国だけだ。

 あまり関係ないと思う人もいるかもしれない。でも、実は最低賃金もまた、人権問題だといったらどうだろうか。
 健康で文化的な生活ができるだけの賃金が支払われていないとしたら、やはりそれは人権問題だろう。
 その点では、生活保護の金額も低く、捕捉率も2割だ。

 日本は教育費の負担が大きい。お金がなければ、大学進学ができない、というくらいだ。国立大学ですら、授業料は安くない。すでに教育の機会均等が保証されていない。

 そして、その教育現場だが、最近までブラック校則が当たり前のようにまかり通っていた。子どもの人権を無視した教育現場で、子どもの人権意識など育つわけがない。

 ここで述べたことは、人が人としてどのような権利を持っているのか、その合意がない社会こそが、共通している、ということだ。
 それどころか、「人権」の話をすると、「人権ガー」がネットから出てくるのだが、まあそれはさておいて。
 本質的なこととして、日本経済・社会が沈下しつつあるということも、実は人権に関係している。
 日本経済において、内需が拡大せず、景気回復の実感がともなわないというのは、まさに最低賃金が上がらないことと関係している。非正規雇用を拡大し、上がらない最低賃金にリンクさせていく。このことが、OECDにおいて唯一賃金の上がらない国になってしまったこととも関係している。
 それでも足りなくて、外国人技能実習生を使っているのが実態だ。

 少子化も同様である。子どもの権利が保障されないことと、とりわけ女性のキャリアが重視されないこと、この2つが少子化を招いている。これに、賃金の問題も加わる。
 子どもは社会の宝だ、といいつつ、すべては家族まかせにしてしまうが、その家族にはもう子供を育てる力がない。
 それでも、家族が維持されるのであればいいとして、家族を構成する個々の人間には目がいかない。個人よりも家が大事、という考えの人は少なくない。

 それでも、外国人の人権をもっと尊重することができ、国籍も出生地主義にすれば、「日本人」は増えるだろう。しかし、そうした選択肢は選ばれていない。

 死刑制度もそこに組み込まれている。死刑廃止というと、「殺された人や残された家族はどうするんだ」という意見が出る。でも、実は死刑制度を維持する一方で、殺された人の家族のケアはなされていないし、政府が何か保証してくれるわけでもない。そうしたコストを支払うかわりに、死刑制度で問題を終わらせているだけだ。もちろん、死刑囚の家族のケアもなされていない。

 とまあ、人権後進国の日本なのだが、まさにそのことが国際社会の中で問題となってくる。しかも、経済的な問題にもなりかねない。
 現在でさえ、死刑廃止や難民受け入れなど、さまざまな勧告が日本になされている。
 でも、これからは、人権問題そのものが、気候変動問題と同じような問題になってくる。それが、企業にとってものしかかってくるということだ。
 現在、上場企業に対しては、気候変動対策の情報開示が求められている。それが、TCFD(気候関連財務情報開示タスクフォース)の報告書に基づくものだ。次に控えているのは、TNFD(自然関連財務情報開示タスクフォース)の報告書。生物多様性にどのように配慮しているのかも開示しなきゃいけない。開示するということは、取組みが求められているということでもある。
 そしてその次に提案されそうなのが、TSFD(社会関連財務情報開示タスクフォース)である。社会とは人権と言い換えてもいい。例えば、人権侵害が起きている国からの調達などが問題となる。ウイグル自治区やコンゴ民主共和国などからの輸入が思い当たるだろう。
 ということは、外国人技能実習生をつかった企業からの調達も問題となる。さらに、賃金が不当に低く、サービス残業をさせている企業からの調達だって問題となる。実際に、日本企業には、取引先にこうした点を要請しているところがある。
 取締役に女性を入れなきゃいけない、というのはもはや、当たり前の話で、これはもう、コーポレートガバナンスコードに入っている。

 そして、人権が守られていない国からの輸入は、企業が努力したところで、禁止される可能性すらある。
 今の日本はやはり、輸入すべきではない、と海外から思われるようになるかもしれない。

 日本は、平和憲法とよばれる「日本国憲法」があるし、それを誇りに思う人もいるだろう。まあ、中には、憲法第9条を中心に変えたい人もいるし、そうした人たちは、そもそも基本的人権が理解できていないので、そちらも日本の現状にあったものに変えたいと思っているのかもしれない。もちろん、かつて自民党がつくった改正案の話だ。
 でも、護憲派の人たちも、胸をはって平和憲法を守ろうといっているのは、ダメなんじゃないか、とも思うような現実なのである。
 立派な憲法があるのに、基本的人権の項目が少しも守られていないというのが、日本社会の現状であり、日本政府の行動なのだから。

 だから本当に、人権のことは真面目に考えないと、日本は没落する一方だし、せっかく日本国憲法というよりどころがあるのだから、もっと利用すべきだと思うのだけど、どうなのか。
 以下、余談だけど、とまあ、そんなふうに考えていくと、憲法の理念が実現されていないことを見ずに議論している憲法審査会がサルだって言われても、しょうがないよな、とも思う。

 それにしても、差し迫った問題として、入管法の改正は廃案になってほしい。難民の人権を考えられる日本社会であって欲しいと思うのだよ。
 

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