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「60歳になるって?」あるエリートたちの迷走 【丘の上の学校のものがたり Epi.】

先日ある会合で、自分の還暦が見えてきたひとに
「60歳になるって、どういう風ですか?」 
と聞かれ、自分が還暦の前後に遭遇した出来事とそこから考え始めていたことが心中に何やら浮かび上がってきたのだが、放りっぱなしにしているところもあり、その場では、うまく答えることができなかった。

60代も半ばともなると、後輩にあたるひとから同じような質問を受ける機会も多くなってきているので、この際、遅ればせながら、私(たち)の60歳はこうでしたということを少し整理して報告してみようと思う。

私の出身校は、中高一貫教育の男子校で、自由な学風が伝統の進学校だった。

ところが、私が高校に進級した春に、突然校長が退任し、教育者の資格のない人間が校長代行という名称で実質的な校長となった。

この校長代行が言うのには、私たち生徒はこれまで自由の名のもとで「スポイル」されてきたということだった。そして、「諸君らのことを慮った」愛のある「規律」のもとに、それまで無かった生徒規則が登場し、制服の着用が義務付けられ、学校内外での行動の制限などが始まった。

1970年という時代背景も影響している。

この後のことを簡略化するが、新聞紙の片隅に報道されたように、1年半後に、校長代行は、当時の生徒、教師、PTAなどの当事者により、お辞めいただき、「自由な校風」は蘇った。

以上のことは、出身校の卒業生はじめ母校関係者の大半が共有する事件だったし、母校の歴史や精神的伝統を語るうえで欠かすことのできない出来事でもあった。

そして、この校長代行を送り込む原動力となっていた卒業生全員による同窓会は、閉じられ、今も存在しない。卒業生の中から総理大臣がでたときに、いちど復活の声があったが、先の出来事の再認識をOBたちが共有し中止となったと聞いている。

私たちの世代は、この出来事のときに、高1〜高2ということもあり、この一連の騒動の中心世代と言われてきた。

そして、時は移り、WEBの発展ともに高校同期旧友たちとのメールの交換が徐々に普及し、それにより復活した同期会などで旧交を温めることも多くなり、個人間で始まった同期のメールのやりとりも、やがて同期の同窓会とリンクするメーリングリスト(以下ML)となり、同期300名のうち250名以上が参加する盛況となった。

60歳を前にするころに、このMLで、「現在母校で使われている歴史教科書は、自虐史観に基づいたものだ云々」という意見が登場するようになった。「何でもあり」といわれてきた母校の同期会なので、こういう連中もいるだろうなぐらいに思っていた。

ある日のメールで、「在米の日本人就学児童が、南京事件や慰安婦問題などについての間違った歴史認識(自虐史観による歴史認識)により、他国の児童から虐めにあっている」という情報が流れてきた。

びっくりしたのは、実際に、在米の就学児童をもつ父親だ。さっそく、この情報の情報源を発信者に尋ね、正確な情報を求めた。

ところが、発信者から返ってきた答えの情報源は、インターネットのサイトに屯する風説、噂のたぐいのもので、はしにも棒にもかからないものだった。

これで、このつまらぬメール情報発信の件は、発信者が謝罪してオシマイかと思った。

ところが、ここから驚くような展開があった、科学的な根拠のない歴史問題に関する風説風評噂の類を正しいと言う発信がぞくぞくと出てきたのだ。なかには、もう定年になるのでこれからは自分の思っていることを喋りたいと言って、ヒステリックにいわゆるネットウヨ的な言説をまくし立てるものまででてきた。

同期会のMLは混乱した。発端となったメールの発信者は、卒業以来ひとりで同期会の幹事を務めてきていた人物でもあったが、混乱の責任を取り、退任することとなり、同期会の業務全般は、新しく作られた、複数人による世話人会で行うこととなった。

ところが、これでこの騒動は終わったかというときに、新設の世話人会でML管理者に立候補し着任したML担当者が、これからは母校の教育姿勢に対する意見が出た場合は、同期会でまとめ、その意見を現在の学校幹部に伝え生かしてもらえるようにするということを発言しだした。

前述のように、母校の70年代はじめの一連の騒動の過ちは、当事者以外の一部卒業生が同窓会を通じて学校経営に口を出し始めたことだった。そのような重要なことを忘れたのか、無視したのか、在校時から、校長代行を支持していたのか、いずれにしろ、ひとりの新世話人の発言は、自由を尊ぶことを選択してきた母校の歴史とは明らかに齟齬のある発言だった。

ここにきての母校の歴史的な経験を無視した発言に、多くの同期生たちは唖然となった。私自身は、はじめは怒ったりもしたが、そのうち、どうしてこのような還暦の迷走が連続して起こっているかと、ただただ呆然となった。

この迷走については、いろいろな分析意見感想があると思うし、一部のひとたちの騒擾でしかないという意見もあるだろう。これから書くことは、還暦の迷走のひとりの伴走者の感想であることを断っておくが、この還暦の迷走は特殊なひとたちによる特殊な出来事であることはないと思う。あえて言うならば、還暦への焦燥感に駆られたやむに已まれぬ発情とでもいうような、ありがちな一種の感情暴発だろう。

同期会MLの参加者のほとんどはいわゆる社会的エリートといわれる人たちで、リベラルな資本主義社会のなかで自分の能力を組織や社会のなかで生かして生き抜いてきた人であろうし、それだけに自分の能力や価値観にプライドを持っている人であろうことは察しがつく。そのプライドの根拠は多くの場合現在に至る社会的地位や資産であり、その地位を用意しただれかが認めた功績だろう。そういうエリートたちが還暦を前にして発情してしまっているのだった。
同期会MLでの一連の騒動を見ているととても感情的なやり取りが続いていたことが見て取れる。

発端となったメールにあった情報がインターネット上の曖昧な情報であるならば、曖昧であったことを述べて、読む人に不安を与えたことを詫びればよいし、その情報が正確ならば正確なことを説明すればよいだけの話だ。こんな簡単な手続きが行われないままに、続いた複数人のメールのやり取りは、情報の交換や相互理解のコミュニケーションというよりは、自分の正しさを一方的に言うか、その正しさの根拠も説明できず黙るかという、不毛な感情の応酬になっていった気がする。

その後に起きた、ML担当者による母校の歴史的な認識の歩みをまったく平然と無視した発言も、また、今の自分の言いたいこと、今の自分の思うようになってほしいことだけを熱を込めて訴えた感情的な発信となっていた。

このように押し込められていた感情的な何かがやむに已まれぬ怒りの形で還暦前後に突然噴出してきた現象を還暦への発情と言ってみたわけだ。

還暦への発情に至る原因は、各自の心身、そして、社会的なシステムの中にあると思うが、そこには、今は立ち入らない。(僕の意見は後述する。)

還暦を迎える人間を襲ってくる還暦の発情が同期のなかではじまり、どうも客観的な知性が劣化はじめているように見えてくると、さすがに、わが身を振り返ざるを得ない状況となってしまった。加齢とともに始まった症候ならば、私とて例外ではない。

私の右眼は職業的な眼の酷使と加齢により、視界の真ん中あたりが歪んで見える黄斑前膜を発症している。(右目で他人の顔を見るとフランシス・ベーコンの肖像画のように見える)これでも普通に生活できるのは、正常な左眼の情報と合せて、脳内で3DのVR映像を組み立て補正し、両眼でみているような錯覚を与えているからだ。知覚を補正して過去と同じように世界を認識している、というわけだ。哀しいことだが。

加齢とは、往々にして、このように補正されたVRを見ているようになり、この自分が自分の都合の良いように世界を組み立て生きていることが多くなるということではないだろうか。あのバカたちついにネットウヨになりやがったと言ってばかりはいられないのだ。彼らには彼ら自身の世界観の有り様(VRの仕組み)が見えていないように私にも私の加齢によるVRの組み立てが見えていない可能性は限りなく高いことは、容易に想像できる。

こっちのほうがよほど怖い。加齢による知覚と認識の変化に気づかずに、さらに過去のプライドの行き場がなくなり、プライドも過去の残骸となり、その空虚を埋めるように亡霊のような感情的な価値観が噴出してくることの方が。そして、そこに伴う怒りの情動が。

さて、同期会メーリングリストで起きた一連の事件は、いわゆる、「反知性主義」といわれる世の流れに相応するのだろうとは、少し経ってからわかってきた。

愛読しているブログで、反知性主義に関する評論があるので紹介しておきたい。

『阿部和也の人生のまとめ』
「うつの体験から考えぬいた、平成の反知性主義を克服する方法」(1)
http://cazz.blog.jp/archives/28457966.html
阿部さんのこの論考の元のサイトは
「うつの体験から考えぬいた、平成の反知性主義を克服する方法」
『知性は死なない 平成の鬱をこえて』 與那覇潤氏インタビュー
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/13686

還暦への発情に対する解決策は私も持ち合わせてはいないが、プライドの根拠にもなっているひとの能力について、與那覇潤氏の記事にあり、阿部氏も引用していた下記の発言は、わが意を得ていた。

『たとえば、病気の症状もあって「能力が低い」人がゲームに交じると、進行が滞って、みんな不愉快になる。そういう風に考えがちですよね。率直に言って、自分も最初はそうでした。
しかしそれこそが、平成の知識人と同じ誤りを犯していないか。むしろ能力を個人ではなく、その場にいる人びとの全体が共有しているものだと考えて、「個人単位で見た場合の能力差があっても、みんなが面白く楽しめるように、この場を運営すること」こそが、本当の意味でやりがいのある「ゲーム」ではないか。
そうしたいわば「能力のコミュニズム」を通じて、ギスギスとしていく社会に新しい展望を開きたい。』
(『』内引用)

ひとの文章を勝手に引用して、こういうことを言うのもなんだが、ここにある能力の捉え方「むしろ能力を個人ではなく、その場にいる人びとの全体が共有しているものだ」は、個人の能力主義を旨とし、そこを自らのプライドとしてしまいがちな個人や、そこに焦点をあてて評価する世間に対して私なりにささやかに提案したいことだ。

能力が自分に属しているわけでなければ、加齢により環境が変われば、能力そのものの実態も能力に関する評価が変わるのは当たり前のことなのだ。加齢による能力の失墜と思えるものは、環境の変化による能力の変化といえるのではないか。

もうひとつ、私には、還暦への発情と名付けた妙な情動行為に複雑な思いがある。高齢者になることは社会的な弱者という立場に置かれることであり、リベラルな資本主義という能力社会の中で社会的強者の地位を生きてきた人間にとって、弱者という立場は容認しがたいことであろうし、その苛立ち腹立ちは想像に余りある。過去あったプライド(本人にとっては現在もなければならない)を侵される怒りの情動が、自分を超えて(噴出して)歴史的な過去の事実を認めたくないという怒りの情動と結びつくのもよくあることではあろう。現時点の自分に対する(過去の自分からの)否定、そしてそれに伴う現在の自分への怒りの情動の鳴動が同じ立場の他者たちと情動的に共鳴してしまうという現象。怒りの情動は個に発して、集に共鳴し、増殖し、化け物になる、とでも言いたくなる。

老いることに、過去の自己像を基準にして老いた自己像を審査するという慚愧と怒りのプロセスがあることはよく指摘されることだ。そこでは、老いに伴い底知れぬ絶望に満ちた激しい怒りの情動が誕生してゆく。

『論語』には、「六十歳にして耳順う」とある。これは、別に他人に意見におとなしく従いなさいということではなく、世間を認識する知覚の修正を今なりに行い、もういちど世間を今の修正した知覚で再認識し、同時に過去の自己像から離脱するということではないかと思う。怒りの源は過去にあり、過去を放さない自分にある。現実はほんとうに骸になっているのか。

ひとの能力というものをあらためて見直すと個人に属してはいないことを認識し、能力主義の中で育成した過去の自画像から離脱するという方向づけが恥ずかしながら私なりの還暦からの発見であった。過去の自画像は人によってさまざまで、私の場合は能力主義的な土壌で培われた自画像だったのだろう。

「60歳になるって、どういう風ですか?」 
と聞かれ、前記の同期会での愚かな騒動が頭をよぎり、うまく答えられなかったことで始めた文章だが、私(たち)の60歳はこうでしたという報告にはなっただろうか。


【加筆】2020.10.01

元の文章を書いたときにすでに、同期会の一連の騒動は終わっていたと思っていた。

ところが、どうもそうでもなかったがわかったので、加筆しておく。

先に書いたように、同期会は、ひとりの幹事に任せるのではなく、複数による世話人会というグループが行うこととなった。2~3人が同期会開催や事務全般を行う同期会幹事、経理、そのときの都合によっては、相談役輔弼1~2名(不定)、他にML担当1名となって、世話人会が現在構成されている(らしい。というのは、私は現在同期会にかかわっていないので)

このうち、同期会の開催事務担当は、2~3年で交代、相談役は、その都度、経理担当は固定(卒業以来)、ML担当は?。

ML担当が?になっているのは、先の文章の最期の事件で、母校の歴史認識を著しく欠いた投稿により、さすがに本人が恥じて辞意を表明するかと周りが思っていたML担当者が、巌とした意思で担当を継続したのだった。もともとが自由な校風の学校なので、本人の意思を重んじる伝統があり、誰も辞めろとはあえて言わなかった。

さて、それから数年。

しばらくして、今までMLで利用していた業者のサービスが中止となり、サービス業者を換えることとなった。MLへの参加を引き続き参加することを希望する人は、ML担当者に申し込むこととなった。このときに、私は、このMLから抜けた。

最近、同期会の世話人の1名から、海外に住む同期のひとりに連絡があった、「同期会のメールは送られてくるか?」と。この海外に住む同期のひとりというのは、一連の騒動の発端となった在米で就学児童をもつ親である。

彼のもとには、同期会のメールが送られていないことがわかり、同期会の幹事が例のメーリングリスト担当者に、問い合わせた。単に、事務的な手続きの行き違いとだれもが思っていた。

しかし、メーリングリスト担当者から帰ってきた回答は驚くべき内容だった。

「彼(海外に住む同期のひとり)にはメールを配信しない。なぜならば、彼は、(騒動の発端となったメールを発信した)前の幹事と(ML担当者である)私に暴言を吐いた(注:ML担当者の表現)からである。」
「(サーバを換えるときに)同期会としての正式なメーリングリストとしてではなく、当面は、私が個人的に立ち上げるメーリングリストとして、運用させていただきたいと思います。
と申し上げており、参加希望者をお断りすることは、私の判断でできると考えていること、です。もっとも、登録をお断りしているのは、彼以外は、○○さんだけです。(注:○○さんもML担当者とメールの応酬があった)」

同期会ML担当者は、いつのまにか、他の世話人どころか、同期250名の知らぬ間に、本人の独りよがりな論理で、同期会のMLメンバーの選抜を行うなどして、実質上、同期会MLという公的なシステムを私物化していたのだ。

同期のだれもが、「公的な同期会メーリングリスト」と思っていたものは、メーリングリスト担当者の「ただの私的なML」になっていた!

ここまで来れば、もう、笑い話である。

サーバを換えるときに、ML担当者は、「当面は、私が個人的に立ち上げるメーリングリストとして、運用させていただきたいと思います。」というメールを発信しているが、普通に同期会といういわば公的な組織の連絡網であるMLについて、こう書いてあれば、「まだ、同期会の混乱も続いているし、ML担当者がサーバ引っ越しの事務手続きのわずらわしさ(皆の承認を得ることを含め)を考慮し、いわばボランティアでMLシステムの引っ越しをやってくれるんだ、ありがたいことだ。」と思うだろう。ほぼ全員がそう思ったはずだ。

「参加希望者をお断りすることは、私の判断でできると考えている」という常軌を逸した行為がそこで行われることを想像したメンバーは、あのときも今もまずいないんじゃないかと確信できる。

こうして、私(たち)の還暦騒動は、続いていたことを報告しておく。

それだけ、還暦への発情は重病なのかもしれないので、ひとつの症例として。

【加筆】2021.04.01
2021年冬に同期会の幹事会により、同期会メンバーの安否確認が行われ、新しいMLが作られ始動し始めた。

これに至る推移については、また、書くことがあるかもしれないが、今は、同期による同期MLの立て直しが行われたことを喜びとし、立て直しに携わった幹事会の尽力に感謝し、報告するのみとしておく。

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