見出し画像

壮大な嘘、隠していた望み

波に乗れているかと思ったら持っていかれそうになったり、ずいぶんと長いこと書けずにいました。で、今回は長文です。かなり支離滅裂だと思います。読んでもたいして面白くないと思います。それでもよければどうぞ。

Twitterでも書きましたが私は昨年12月に離婚届を出しました。夏からのゴタゴタですべてがひっくり返りました。いつでも離婚はできる、そう思ってなんとかやってきましたが私はすでにもう無理だったみたいでした。その前、最大にヤバかった頃の下書きが残っていました。今読んでもよくわかりませんが、ここに置いておこうと思います。

◆以下、2022年12月6日時点の下書きです◆

職場の代表として、メンタルヘルス講習会に参加してくるようにとのお達しがありました。いまこの職場でもっともメンタルがヤバい代表であろう私がなぜ。泣きたい。
毎日毎日、吐きそうになりながらなんとか職場へ向かう日々です。そんななか、あぁ、とも思うし やっぱり、とも感じる、後から入社して先に辞めていく人たち。
会社の福利厚生がいくら手厚くても、それはそれだけでは辞めたいと一度思った人をとどまらせる力はもたないのかもしれない。そんなことを思います。
毎日毎日、辞めたいと思いながら職場へ向かう日々です。そんななか、誰かと話すとちょっとだけ頑張ろうと思ってみたり、自分にもできることを探したり、毎日毎日、どうしたって落ち着かない私です。毎日毎日。

講習会のことがあってもなくても、メンタルはかなりヤバい状態だと思います。PCに向かって仕事しながら目に涙がたまっていたりするよ。
とげとげした空気のなか、八つ当たりに最適なのが私なのだろうか、私が振られた仕事を、できてもできなくても何でも、とにかく当たられる。ナンダロウネ、この感じ。そうかと思うと和やかな空気を醸し出される時もある。乗ってはいけない、とかつての私が言う。でも大丈夫だよ、といまの私が言う。大丈夫、こんなことでは死なないから。


そんななか
思わず「ウッ」となるツイートを見かけました。

はなすことのできない話って、ほんとうにあるのです。だから、なんとも奥歯にものがはさまったようにしか書けない。親友にさえ話せないもの。それを抱えてきてしまったために、この私を護ろうと、私のなかのそれらが頑張っているのだと思うのです。

正しくものをみれているかと問われたら、少なくともいまの私は全然そうではない。
端の端まで偏り、心は頑なであると思う。
◆下書きここまで◆


いろんなことを思いました。考えました。
でも、もう『ないわ。』
そして私から離婚を申し出ました。
狙ったわけではないけれど書類が揃ったタイミングで提出したらその日はクリスマスイブでした。

いろんな事情がありまして、離婚をした今、私の名乗る苗字は結婚前のそれに戻りましたが、暮らしは変わらず一緒なのです。あともう少しだけどね。いろんな事情があるからです。この状態になってみて『ねじれ国会みたいやな。』そう思いました。理由はわからないけど、なんかそう思いました。

誰も私たちが離婚した二人なんて思わないでしょうね。言えないけどさ。一緒に買い物に行き、一緒にごはんをつくり、一緒に食べる。ポポのごはんやお水をあげるのもトイレの始末も、遊ぶのも膝で寝かすのも一緒。だけど私は島を出るのでいっさいがっさい、部屋の中をすっからかんにしていかなければならず、黙々と箱に荷物を詰めては発送している。人にはみえないところで、少しずつ部屋から物が減っていく。
年末は特に断捨離について目にすることが多かったですが、うちはもはやそのレベルじゃない。なんとまあ物の多いことか。ふたりとも長男長女、しょうがないっちゃしょうがない。
ひとりひとりはいいとして、『ふたりのもの』であったものは、どちらかが引きとるか処分するしかない。『秒で』仕分けてる。

昨日、久しぶりに森へ行ったら、会いたかった子にやっと会えた。写真をバシバシ撮っていたら背後に気配を感じ、ふと見るとウォーキング中のご婦人が不思議そうに私たちのようすを見ていらした。
「ご覧になりますか?」
そう言って葉っぱに載ったちいさな翡翠色の子を見せると、わっ、なにこれ可愛い、待って待って、メガネ取ってくるからと車まで走って行かれ、走って戻ってこられた。
スマホ持ってるけど写真撮ったことないのよ、どうやって撮るのと聞かれ、たぶんここをこう…ですよ、と教えてご自身で撮影してもらいました。フラッシュがたかれてたけどね。きっと夢中でそれどころじゃなかっただろうね。「珍しいー、なんていうの、これ?」「『アオミオカタニシ』です」エッ何?アオ?ミオカ?
いつまでも覚えられないで、それでもなんとか頭に入れようとされていたけど、メモできたかな。どうしてこれを知っているの、これを探しに来たの?よくここには来るの?いろいろ質問されてふたりで答えて。きっと、離婚した二人だなんて思われなかっただろうね。

片付けはまだまだ。限られた粗大ごみの日に厳選して大物を出し、リサイクルショップにあらかた引き取ってもらう予定です。もう少しだ、がんばれワタシ。

今思うとね。
メンタルヘルス講習、結局は行ってよかったんだよ。参加者はもちろん他にもいたけれど、私のために開かれたような会で、私はそれに参加すると決めていたんだろうね。いったい、何がメンタルヘルスになるのか。行政が何をしてくれる?職場が何をしてくれる?それもある、でもそれだけじゃない。自分に正直にいると決めてそうすることが最大に最高なんじゃないのか。


見事なまでの嘘にこれまでのすべてをひっくり返されての離婚と、引っ越し。
夏からの一連の出来事が、そう言ってしまえるほどの見事さだったために、それに目を眩まされて、私は自分の抱えていた、それを上回る壮大な嘘に気づかずに通りすぎてしまうところだった。

あわない職場(これもいろんな事情があって行くことになった)とわかっていて無理をしようとした私も嘘つきだった。そもそも行きたくないのに自分をおりこうさんに仕立てて行くことを決めた私も嘘つきだった。

そして何より、
(彼の嘘があってもなくても)

あの頃とはちがう、もういまの私の居場所はここではないのでは、と感じていたにもかかわらず、ここに私を縛り付けようとしていたのは
この島でもなく文化風習でもなく、嫁の立場でもなく、
私だった

ということに気づいたとき、脳天に稲妻が走った。

嘘をつかれていた私、たいせつにされなかった私、待った私、耐えた私、・・・ひとつひとつ足を止めてたしかめ、ともにいる必要のある感情もそこにはもちろんあるだろう。
だけど私は。
下書きにあげた引用ツイートを見るよりもはるか前から、
『被害者として生きることは選ばない』
そう決めているから。
たしかに反応の初動はゴリゴリの被害者だった。でも、私はそれとしてあり続けることを選ばない。

私が。自分で。これを選んだ。
自由をつかむために。不自由を味わった。
ほんとうの気持ちに出会うために。誰かの嘘に向き合った。
だけど。
ほんとうは。私が。この島を。出たかったんだ。
いや、そんなはずない!って言いたい私もいまだにいるよ。書くと涙が出るけどね。

自然がなくなり、変わってゆく島を見ているのが耐えられなかった。
どこかで見たようなオシャレな店が増え、どんどんつまらない島になっていくのがイヤだった。
それを楽しめる人たちが羨ましくて、楽しめずにいじけている自分がイヤだった。
だけど自然は私にいつも優しかった。海も空も、足元のちいさな花も。
うちを選んで来てくれた(と思いたい)ポポも。

多分まだまだフラフラします。でも。
自由になるなんて簡単だよ!ホラ!
そんなふうに言える私に出会える日を楽しみに。
私は生きます。

ゆっくりでもいいから。


よろしければサポートお願いします。いただいたサポートは活動費に使わせていただきます。