見出し画像

コロナとITがもたらす社会の分断 「公共圏」の再構築、対話で対抗

参加しているZoomミーティングで「インフォデミック」が話題になった。その異形的表出形態の一つといってよいだろう「自粛警察」のようなファシズム的動向も指摘された。

ITの希望

背景の一つに社会のIT化があることはいうまでもない。ITの普及によって情報の伝達力はスペイン風邪が流行した1世紀前(1918~20年)の約150万倍になっている。いま、私たちは外出の代わりにオンラインで「つながり」、中国やイスラエルなどではITを活用した感染拡大封じ込め策が奏功している。withコロナの不安の真っただ中で、ITに「希望」を見出す動きがある。

「皮下監視」などディストピアへの恐怖

その一方、パンデミック後の社会、afterコロナ時代になっても ユヴァル・ノア・ハラリ氏が指摘するように、こうした技術が国家による「皮下監視」にまで進む恐怖、危険性がある。私もディストピアへの危惧を有している。ITは当然ながら単なる道具・手段であり、どう使うかによって、天使にも悪魔にもなりうるのだ。それをコントロールするのは結局、私たち市民社会の力量にかかっている。

インフォデミックと自粛警察

だが、いまインフォデミックや自粛警察から見いだせる市民社会の姿は、ITを希望や天使の方向に向けるベクトルの力は決して強くはないと感じる。自分と同じような考えをもつ人同士がコミュニケーションをとることでますます考えが強化され先鋭化していく「集団分極化」や、見たい情報を優先して見たくない情報を遮断する「フィルター・バブル」、国会でも話題になった「正常化バイアス」などが、IT化によってますます強固になっている。つまり連帯よりも分断、「われわれ」の範囲をごくごく小さな集団にまで引き裂く方向に動いている(この「われわれ」の考え方はこちらに記した)。

これまでの分断の顕在化

これはなにも突然に起きた現象ではなく、beforeコロナ時代から生じていたことが、危機に際してより顕在化したに過ぎない。トランプ米大統領に代表される、憎悪の煽り、ファクトを無視した無責任かつ非理性的な言動、「敵」の設定による自己保身などによって進み続けた社会の分断が、一気に噴き出て来たといえる。

社会の個人化の末のファシズム的状況

また、G・バウマンやW・ベックが指摘した「社会の個人化」(家族やコミュニティなどの社会的中間集団が弱まり、好むと好まざるとにかかわらず、あらゆることを自己で受け止めることを余儀なくされた社会)が、より一層鮮明になったともいえる。

beforeコロナからすでに、つながりを失って寄る辺なく孤立化し、不安に流されていたバラバラな個々の「私」が、この大きな危機に直面して極限まで追い詰められ、極度の不安に直面している。その反動で、寄る辺としての「仲間」や「安心」をしゃにむに求め、事実かどうかは無関係に、安易な、信じやすい情報に依存し流されることで安心を得る。権力による「自粛強要」ムーブメントに飛びつくことで、「自分にもできる『正義』がある」と信じ、それをレゾンデートルにする。「仲間がいる」と信じ、そこに「居場所」を見出しているといえるのではないか。ITが安易にそれを後押しする。権力からすれば実に「操りやすい」大衆の出現といえるだろう。「仲間を守るために」といわれれば、皮下監視さえをも自ら喜んで受け入れることに疑問を持たない大衆だ。ファシズム的状況がそこに出現する。

こうした分断の先にある社会の姿。それこそまさにITを「悪魔」の方向に活用する動きを阻止できなかった末に生まれるディストピアだと考える。

公共圏の再構築

では、どうしたら、こうした流れに抗しきれるのか。簡単な答えなどあるわけがない。だが、ドイツの哲学者、ハーバーマスの指摘する「公共圏」を再構築することが、おそらくは一つの希望なのではないかと思う。カフェやサロンなどの場で対等の立場で議論することが当初は「公共圏」と定義されていたが、いまは、共生社会をつくるために社会に関する「共通の関心」を軸とした場をつくり対話するといった意味で使われる。

せめてもの奇貨に

雑にいえば、様々な場で「対話」を地道に続けていくことこそが大切で不可欠なことではないだろうか。議論でも会話でもない、対話。話をすることでたとえ相手の考えは理解はできなくても、お互いに相手も自分と同じく一人の生きた存在で、喜怒哀楽を感じながら考え、暮らし、いつかは死する存在だと感じること。肌の色も国籍も貴賤もなんの差もなく、まったく同じように新型コロナウイルスに脅かされる脆弱な存在だと感じること。同じ社会の一員、「われわれ」の一人なのだと感じること。いわば生きる者同士の共感を得る。そこからスタートすることで社会の個人化に抗し、つながりを生み出していくしかないのではないか。その方向にITを活用するというベクトルが生まれれば、もしかしたらコロナ禍はせめて、人類に連帯を生み出す奇貨となりえるように思う。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?