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カスタマーレビュー003.見える世界が本当に違うように見える N.R.さん

お久しぶりです。
テニス以外のことばかり相談していた※※です。(笑)

今回こそはテニスの質問をしたいと思います(汗)
その前にですが、少し現状の報告を…
このサイトに訪れてから何度も相談に乗ってもらっていましたが、自分が結局欲を満たすためにという視点で見てたことに気づきました。
テニスで上手くなるために集中する。私生活も集中。
いつのまにか修行に変わってました(爆)
周りによく思われたい、そんな自分の方がいい
周りによく思われない、バカにされたりするそんな自分が嫌いでした。
前にも自分を認めることが大切だというメールをもらいましたが、その時の自分では認めたら強くなれんだね、じゃあ認めるか、みたいな感じでして…
最終的には認めててもなんも変わる実感もないし、あんまり変化ないといって辞めていた次第です…

自己肯定感がどん底まで行ってどれだけ大切かわかりました。ステータスやスペックで自己肯定をしようとしていたこと、誰か外の人間に自分を認めてもらおうとしていたことに気づきました。

自分に認めてもらいたくて、努力していたと思うと胸がいい意味で苦しくなりました(ちょっと気持ち悪いですね笑)
無条件で許し、認めるとホッとします。見える世界が本当に違うように見えます。
今頃かよって感じですが、ほんとに勉強になりました
テニスゼロのおかげです。ありがとうございます!
長くなったのでテニスのことは分けます(笑)


回答
「結局欲を満たすため」という生き方は、さぞ辛かったでしょう。

「こうなりたい!」「あれを手に入れたい!」という欲は、
一見するとエネルギッシュで明るい印象かもしれませんけれども、
その実態は、とても陰湿でジメジメとしています。

確かに、ものすごい香りを放つのだけれど、
それは汚物のような強烈な臭いであって、
そのせいで、私たちを気持ち悪くさせます。

気持ち悪くなるだけならまだしも、心身にも不調を来して、
具体的な病名のつく精神疾患や、肉体的苦痛をも招きかねません。

甘く見てはいけないのです。
しかし、敵対してもなりません。

「欲を持っちゃダメだ!」
「欲なんか消えて無くなってしまえばいいのに!」
という敵対構造からは、「平和」は決して築けないからです。

むしろ、「欲を消してしまいたい!」という新たな欲が増え、
心身にさらなるタメージが及んでしまいます。

どうすればいいか?
いつも申し上げている通り「客観視」し、
そして、ご指摘いただいている通り「認めてやる」のです。

「こういう欲があるんだな」
「今はこうなりたいと思っているんだ」
「これが欲しいと思っているのか」といった具合に。

そうして客観視し、あるがままに認めてやると、
欲の言いなりになりにくくなります。
するとおっしゃる通り、まったく別の世界が見えてきます。

なぜなら、今までは欲として使われてきた強大なエネルギーが、
今度は集中力として、リサイクルされるからです。

見えるもの、聞こえるものは、
よりハッキリ、クッキリと見え、聞こえるし、
味わえるものは、シンプルな味付けの中にも、
豊かなバリエーションを求めることができます。

同じ房のイチゴを食べても、1粒ずつ違う味を楽しめます。
エスキモーが、私たちが「白」と表現する色の語彙を、
数十種類持っているようなものです。

勿体ない話です。
大切なエネルギーはそうやって、知らず知らずのうちに分散しています。
欲に、怒りに、妄想にと……。

それらを束ねて「集中力」として使えるようになると、
見える世界が本当に違うように見えてくる。


私も長くなりましたので、
テニスのことは分けてお応えします。


スポーツ教育にはびこる「フォーム指導」のあり方を是正し、「イメージ」と「集中力」を以ってドラマチックな上達を図る情報提供。従来のウェブ版を改め、最新の研究成果を大幅に加筆した「note版アップデートエディション」です 。https://twitter.com/tenniszero