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休職とかペルソナ5とか転職活動とかの話。

 以前twitter等でもチラっと書いたり、直接お会いした方には改めてご報告したりしているのだが、今年の5月から会社を休職している。新卒の頃からメンタル的に(低空飛行ながらも)安定はしていて、入社9年目ともなればそれなりに自分の機嫌の取り方も心得ていたつもりだった。ただ今年4月の異動から新しい仕事に慣れずしんどかったのも事実で、業務量を減らすための口実を作りたいなと軽い気持ちで病院に行ったところ、まさか結果的に長期で会社を休む事態にまでなるとは考えもしなかった。

 当時仕事に対して一応の責任感もあったので、「自分が今後空けてしまう業務は大丈夫だろうか」「迷惑を掛けてしまって申し訳ない」といろいろ考えたりしていた。新しいチームに入ったばかりだったというのもあって、配属後すぐに消えることに上司やチーム内から苦言を呈されるだろうという恐怖もあった。しかしそんな心配とは裏腹に、上司への事態の報告は事務連絡的に淡々と済み、最低限の引継業務だけを終えたあと、翌日には会社との連絡手段の一切を断つまでに至った。

 報告から休職に至るまであまりにも呆気なかったというか、うちの会社が元々人事的な体制を整えてたのもあるかもしれないけど、会社携帯や業務PCを返却したあと、「ああ、全然引き止められたりしないんだなあ」と思った。
 仕事には何の愛着もなかったつもりだったのに、働いている中で組織や社会の一員として確実に他人から求められたいと願う自分がいた。チームには悪いが、私が居なくなることでちょっとくらい大きな混乱が起きてほしかった。なんか自分の中にも社会人のプライドみたいなものが眠っていたんだな、と思うと軽く自己嫌悪したりもしたけど、それでも当時はやっぱり仕事から逃げられることの喜びが大きかった。そうして正真正銘週休7日生活が始まった。

 お医者さん曰く、仕事の負担が重なったのはもちろんだが、3月下旬に福岡から東京へ引っ越して環境が変わったこともストレスの一因である、ということらしい。心の底から望んでいた東京への帰任が実は心の負荷になっていたとはおかしな話だとは思うが、人間にとっては変化=すべてストレスなんだそうで、なんというか、仕事でもプライベートでも常にいろんなことに積極的に挑戦していける人って本当に偉いなあ、と思いながらゆっくりと日々を過ごしている。

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 休職して間もない時期はただひたすらに寝続ける日々を送っていたのだが、そんな生活にもすぐに飽きてくる。かと言って外出や運動をしたりするような気力もない。とにかく家の中で時間を潰す手段が欲しいと思って、友人におすすめのゲームを聞いてみたところ『ペルソナ5 ザ・ロイヤル』を紹介された。昔から続いている名作RPGシリーズで、ナンバリングはされているが物語はそれぞれ独立しているので、5から始めても全く問題ないとのこと。エンディングを迎えるまでの所要時間は100時間以上という超大作らしいが、休職でもしなければこんなゲームをする機会は滅多にないなと思いすぐにamazonでポチった。日中の殆どの時間を費やし1ヶ月強の期間をかけてクリアしたのだが、結論から言うとペルソナ5、人生でプレイしてきたRPG作品の中で一番思い出に残るゲームになった。

 ペルソナ5の物語を乱暴に一言で表すなら「世直し」なのだが、そこに立ち向かう登場人物たちがとにかく魅力的に映った。みなそれぞれが持つ過去や境遇と葛藤しながら、己の正義や美学を問い前に進んでいく。高校生たちの物語ということで多少の青臭さはあるものの、主人公や仲間の一人ひとりに「自分もこんな人間になりたい」と素直に尊敬できる部分があった。詳細のネタバレをしたくないので物凄く雑な表現になってしまうが、辛いことがあってもそれに向き合って耐える・生きることを応援してくれるような温かい雰囲気が物語全体にあった。

 就職してからだんだんと社会の輪郭が見え始め、自分が主人公じゃないことに気づいてからの人生の方が長いことに絶望しながら生きてきた。新卒の頃は「自分と一緒に仕事をしたいと思ってもらえるような人間になりたい」と大層な想いを持って入社したが、2年目で全く希望していない部署に飛ばされたり、ノルマや業務量に延々と追われる日々を送るうちに、結局自分は意志のない社会の歯車にしかなれていないと思った。自分の数字や業務を落としてはならない、組織の中でいかに自分が問題なく機能するかにしか目が向けられなくなっていたし、チームの人たちから自分はどう見られているんだろう、期待どおりに役割を演じなくては、ということを気にして、もはやそこに主体性を持つ気力は失われていた。

 「一人ひとりが自分の人生の主人公である」みたいな大袈裟なことを言うつもりはないけれど、「自分が見たいように世界を見ていいんだ」ということをペルソナ5は教えてくれた気がする。他人からの期待に応えることも大事だけど、自分が正しい・進みたいと思った道を素直に進んでもいいと。物語内で主人公や「怪盗団」の仲間たちが立ち振る舞っていたように、周囲に変な遠慮をせずに「我」を出すことも時には大切なことなのだと知った。「周囲から見た自分」なんて視点は割とどうでもよくて、物語全体や登場人物一人ひとりを通じて、ありのまま生きることを肯定してくれたのが今の私にとって本当に有り難かった。「世直し」という立派な目標を掲げた怪盗団だって、たまたま目的や利益を同じくした個人たちが結果的に集団となって形成されただけで、(同じ方向を向いていながら)一人ひとりの軸はブレていないのだ。詰まるところペルソナ5という物語は、ベタな言い方だが「自分自身を信じて行動することの勇気」を象徴しているように見える。

 結局続編の『ペルソナ5 スクランブル ザ・ファントムストライカーズ』も併せてクリアしたのだが、誇張抜きにして創作物にこんなにも心を救われたのは初めてのことだった。以前松澤千晶さんが言っていた言葉を拝借する形になるが、ペルソナ5には本当に「執着に近い感謝」があるし、間違いなく自分自身のバイブル的存在になっている。この先どんなことが待ち受けているかわからないが、人生最大に落ち込んでいた時期にこの物語に巡り逢えたことは、今後の私にとって必ず良い方向に働くと思う。

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 休職してからおよそ3ヶ月が過ぎ、現在は体調もかなり回復してきた。会社には月1回の面談で訪問しており、今後復職時期の打合せ等が始まる予定なのだが、戻ったところで結局元の木阿弥になるのが分かりきっているのと、そろそろ自分の意志で方向転換をしなければという焦りもあって転職活動を開始した。
 複数のキャリアコンサルタントと面談をしたが、話を聞くにつれ、新卒から足掛け8年間営業職のみを続けてきた30代の転職は本当に厳しいという現実を知ることになった。とにかく営業から離れたくて当初は広報や人事など別の職種に就きたいなどと思っていたものの、そんな事を言っていられる余裕も経歴もないことに気づき、今はやはり営業職を中心に求人票を漁る日々が続いている。キャリアチェンジとか考えてる人は経歴的に相当な強みがない限りマジで20代のうちに動いたほうがいい。

 これと言ってやりたい仕事があるわけでもないし、適職診断では相変わらず芸術家タイプ(=社会不適合者をオブラートに包んだ意)しか出てこない。それでも生きるために働かなければならない以上、自分は今後どうすれば仕事を前向きなものに捉えられるのだろうか、ということを模索する日々が続いていた。
 その中で思い至ったのが、結局休職した時もそうだったのだが、自分は働く上で「他人から求められる」ための何かしらの存在意義が欲しいんだ、ということだった。そしてその存在意義は「労働の対価として金銭を得て、経済的に自立すること」でしか証明できないことに気づいた。

 病状が回復してからの週休7日生活はストレスから解放されて快適だったけど、働いている友人たちと会ったりすると、自分が何の役割も果たさずに社会にぶら下がっている存在でしかないことに向き合わざるを得ず、常に後ろめたさみたいなものが拭えなかった。
 社会的に生きる中で他人と生活や仕事をしていく以上、自分が有意義な存在でありたいという思いが、休職期間を重ねるにつれ強くなった。「自分でないと」とまでは言わないが、「居てくれて助かった」「一緒に居て楽しい」と思ってもらえる存在になりたい。なんかどっかの自己啓発本に出てきそうなキモい考え方だなというのは自覚しつつ、心のどこかでは確かにそう思っている自分がいる。だってさすがにもう30代の大人だもん。居ても居なくても変わらないオジサンになんてなりたくない。

 プライベートは別問題として、仕事の役割の中でそういう関係性や存在意義を作りやすいという上では、結局という感じではあるけど営業職という選択肢も悪くはないのではないか、と思い始めてきている。もちろん転職の現実的な落とし所も突きつけられての考えではあるけれど。でもいろいろ考えた末、「存在意義」みたいな、私が求めていることは営業に近いところで特に得やすいのかなと認めざるをえない。
 最終的に職種が営業になるかどうかはともあれ、周囲がどうとかではなく、何よりも私が「正しい」と思って行動することで自分の居る意味を作れる場所を見つけたい。そういう環境に身を置くこともまた、「怪盗団」のように、更に自分自身を信じて行動できる原動力にきっとなるはずだから。
 それは少なくとも今の会社ではないことは確かである。ガツガツ系の営業はもう御免だが、コミュ障だからとか言ってないでもう一度自分と真剣に向き合って考えていきたいと思う。

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