2023年3月27日現在の話。

・去年の3月18日、前職の異動で福岡から東京に帰ってきて今の家に住み始めた。当時心の底から望んでいた東京への帰郷だったので、自分の中ではその3月18日をちょっとした記念日的な感じで捉えていたのだが、2、3日後に「あ、そういえば」くらいの感じで丸一年が経過していたことに気が付いた。体感的にはそれくらい本当にあっという間の一年だった。
 しかしいざ何をしていたかを振り返ってみると、とても同じ一年間で起こった出来事だとは思えないくらいに本当に色んなことがありすぎた。環境だったり気持ちの面だったりで、一年前の自分と今の自分で違っていることが沢山あるなと思うのだ。


・転職してからもうすぐ3ヶ月。職場を変えた選択が正しかったかどうかの結論をそろそろ出していい頃だと思う。本当に大正解だった。
 取り扱う商材が興味を持てるものになると、仕事への向き合い方についてこんなにも前向きになれるものだとは思っていなかった。別に大げさなことではないけれど、仕事の工程で何か新しいことをすることに以前はとても労力やストレスを感じていたのが、今は「もっと良くなるなら少しやってみよう」と自然な気持ちで取り組むことができる。労働意欲が上がったという訳では決してない。どちらかというと「なるほどね、普通の人ってこうやって仕事してたんだ」という感覚に近い。
 恵まれた環境に入れたというのも大きい。失敗してもその後フォローをするからまずはやってみよう、という空気を上司やチームが作ってくれているのをすごく感じる。これまでとにかく「与えられたタスクを正確に確実にこなさなければ」という強迫観念に追われて働いていたので日々気持ちが擦り減っていたが、自分がよい動きをするには何が必要かを自立して考えられる場をもらって、それが少しずつできるようになっていっている感覚がある。
 社会人9年目ともなればそんなことは出来て当然なのかもしれないけど、一緒に働くメンバーや環境によって仕事のしやすさってこうも変わるものなのかと思ったし、前職の辛かった8年間があるからこそ、今の環境のありがたみを日々ひしひしと感じることができる。だからもっと頑張ってみようかなって素直に思える。日常生活も満足に送れなくなるような苦労なんてもう金輪際したくないけど、それでも今こういう心境に至れるようになって、しんどかったけど自分今まで頑張ってきてよかったね、って思う。
 今の職場は本当に有能な人が多くて、そしてあんなに仕事ができる人が実は自分よりも結構年下だった!みたいなことがめちゃくちゃある。それとセットで自分の無能さや劣等感に向き合って落ち込んでしまうこともあるのだが、でも一方でそんなもんだよね。と割り切ることも少しずつできるようになった。今は自分のできることを少しずつ増やしていって、いずれ周りからちゃんと頼られる人になっていこう。そのための仕事の勉強も(嫌だけど)少しずつ頑張っていこうと思う。


・会社の近くに住むと破格の家賃補助が貰えるのと、遠距離通勤に嫌気がさしていたこともあり引越を計画していたのだが、先日その新居を決めてきた。まだ正確な引越の日程は決まっていないが、おそらく4月下旬から末頃の予定で進めている。
 2月下旬~3月上旬の転勤による混雑のピークから時期をずらして動いたため、不動産屋さんも時間を掛けて丁寧に対応してくれた。とはいえ激戦エリアへの住み替えを狙っていたため希望条件を満たす物件はなかなか見つからず割と難航した。それでも自分がこれから住むかもしれない家の間取りを見ながら、これから迎える新生活の妄想をあれこれとする作業はとても楽しい。
 ようやく1件だけここ良いかも!というところが奇跡的に内見もできるタイミングだったので実際の部屋を確認し、現状よりは少し狭くなるもののQOLが上がりそうなとてもキレイな部屋だったのでそのまま契約に至った。
 今住んでいる家が上下左右から住人の派手なくしゃみ音がめちゃくちゃ聞こえる、隣の人のアラームで強制的に起こされるなど散々な生活環境なので、防音については特に留意して物件探しを行っていた。前回の部屋決めの時はスペック上鉄筋コンクリート造ということで安心していたのだが、隣の部屋との壁だけは実はレオパレス並の薄さだったことを見落としてしまっていたのだ。
 今回はそれを見極めるために隣の部屋との壁をコンコンとノックした。低い音が出れば防音環境は概ねバッチリである。今住んでいる部屋は高い「ド」の音なのだが、内見した部屋は低い「ミ」の音だった(私は完全ではないが絶対音感を持っているのだ)。即決だった。
 今は新居の家具のレイアウトをああでもないこうでもないと悩んだり、引越を機に古くなってきた洗濯機を買い替えようかなあなどと、新生活の準備を楽しくやっている。今年のゴールデンウィークは引越作業で忙しくなりそうだ。


・昨年東京に帰ってきてからバドミントンを再開した。ネットで探して1個目に参加したサークルはなんだか水が合わず早々にフェードアウトしていったのだが、紹介してもらった2個目のサークルで良い人たちに恵まれて、そのまま週1回バドミントンをする生活が今も続いている。
 はっきり言って私はバドミントンが上手くない。それでもこの1年間続けてきたことで下手は下手なりに上達した。福岡の頃のサークルの人が今の私を見たらきっと驚くんじゃないかな。恰好の悪いジャンプをする癖は今でも変わってないけどね。
 前より少し上達してくると、今度は小手先のテクニックでもいいからもっと上手くなりたい、という気持ちが増してくる。YouTubeでダブルスの動画を漁る毎日だ。
 昔と比べて動画配信が当たり前になったというのもあるのかもしれないけど、その中で特にバドミントンって一線級で活躍している人が普通に丁寧な技術の解説動画とかを上げてくれてたりするのですごいよなって思う。今部活でやってる中高生とかは本当に楽しいだろうな。いろんな動画を観たあと、形から入るタイプの私は桃田のことをきちんと「桃田さん」と言うようになった。
 周りに恵まれながらバドミントンができていて、その中でもっと上手くなりたいと前向きな気持ちを持てていて、そしてその友だちとも飲んだり遊んだりして楽しく過ごして、東京に帰ってきて本当に良かったなって思う。


・体感的にはあっという間の1年だったはずなのに、帰郷、休職、転職、バドミントンの再開、引越、以前お世話になった方や友だちとの再会、その他諸々、振り返ると色んなことがあった。こういう時に「ジェットコースターのような一年だった」という表現を使ったりするのだろうか。結局のところこの期間を長かったと捉えるべきか、短かったとするべきかよく分からずにいるが、「濃い」一年間であったことは確かだ。
 この間職場からの帰り道を歩きながら、何をするでもなく「全部、うまくいってるな」とぼんやり思った。辛い時間もあったけど、それをなんとなくではあるが乗り越えて、新しい生活に向けても明るい気持ちを持てる日々が続いている。
 休職中、昼間なのにカーテンを締め切り、真っ暗な部屋で布団を被りながら延々とYouTubeを眺めていた日。近畿大学の卒業式の動画で、ゲストスピーカーとして招かれスピーチをしていた画面の中のピース又吉がこう言っていた。

嫌なこととかしんどい夜が続く時は、「これは次にいいことがあるための“フリ”だ」と。

水も、喉が渇いてる時の方がおいしいじゃないですか。「いつでも水が飲める状況よりも、飲めない時に飲んだ水がおいしい」みたいなのと一緒で、しんどいことがあったら、その後、必ず何かどっかで楽しさが倍増するような。面白いこと、楽しいことがあるんだっていう風に信じるようにしてるんです。

出典:https://youtu.be/rghxBpAASr8

 私にとって今は、“フリ”の後の期間だと思っても、きっとバチは当たらないよね。
 今そういう期間を迎えられている幸せもあるけど、排水口をずっと見つめているだけのような時間を乗り越えられたことは、自分にとって本当に良かったなと思う。自分なんてこの程度のものなのだという諦めを受け容れて、その上で前を見ようと思えるようになった。
 職場でもプライベートの友だちでも人間的に素晴らしいなって思う人が沢山いるし、そんな人達には絶対に追いつけない、という気持ちもある。でも自分は自分のペースで、少しでも人にやさしくなったり、一緒にいて楽しい人だなって思ってもらえるような人間になりたいなって思うのだ。

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