見出し画像

父とローストポーク

保育園年中の頃、近所の友達と歩きながら帰っていると
自分の進行方向よりも少し先のところの路肩にグレーのローレルを寄せ、歩いてくる僕を眺めながら佇む父がいた。

友人と戯れることにそれまで夢中だった僕は、父の姿を見て落ち着きを取り戻し、父のいるところまで歩み寄っていった。


「乗りなさい」
後部座席のドアを開け、乗車を促すように父は言った。
何が起こっているかはまだ分かっていなかった僕は友人たちに「じゃーねー」も言わずに戸惑いの中乗車し、父は車を発進させた。

父は忙しい人だった。
朝起きたときにはすでに仕事で家を後にし、帰宅するのは僕と妹が寝静まった後だった。
夜中トイレに起きて階段を降りると晩酌をしながら母と仕事の話をしている姿を時折見たのを覚えている。が、その都度「おかえりなさい」というのはなんだか憚られ僕はそっと階段を上り寝床へ戻る。父との距離感はそんな感じであった。


そんな父が平日の夕方に車で迎えに来ることなんて当時の僕には特段的に非日常な瞬間だったのだ。
しかし「父さんが迎えに来てくれた!」と僕が糠喜びしなかったのはそんな事実に裏付けされる不穏な予感が僕にもあったためである。


「母さんの具合が悪いんだ」
父は前を向いたまま後ろに座る僕に言った。

ああ、やっぱりそっか。


「これから母さんのいる病院に向かう」
父はそのまま運転を続けていた。

母は妹を生んでしばらくした後に体調を崩していた。
元気いっぱいな母が、休みの日には時折とてつもなく疲れた顔をしていて、家の外から母の寝室に目をやりながら外へ遊びに出かけていたことがここの所とくに多かった。
そういえば今日も「行ってらっしゃい」と言われていなかったな


病室に入ると、すでに親戚のおばさん夫婦がいた。
叔母はまだ二歳の妹を抱きかかえ、椅子に座っていた。

「お母さんに声をかけてあげなさい」

おじさんがそういって僕を母のところまで抱きかかえて
僕はいつもよりかなり高い目線から寝ている母を見下ろした。
母は起き上がることができず、横になったまま「ごめんね」と僕に言葉をかけた。
僕は何も言わなかった。何を言えばいいのかわからなかった。


病室をでた。
大人たちがたくさん何かを話していたのを覚えている。
おばさんがジュースを買ってくれて、妹を抱きながら僕が一人にならないようについていてくれた。

「いくよ」
父が歩み寄ってきてそういった。表情が読めない人だが、その声はいつもよりかなり柔らかかった気がする。
病院を出ると外はもう夜中だった。
車に乗り、座席で何も入っていない空のカバンをただ眺めるだけの時間。


車が止まった。
降りると目の前の建物は、僕の家じゃなかった。
玄関の前でインターホンを押し待っていると、扉が開いた。
父が深々とお辞儀をしている。
少し父と話していたこの家の家主が扉の陰から顔を出し、僕を見つけた。
母の父、僕の祖父である。

多分生まれてから何度か会ったことはあったが、
まだその時の僕は”よく知らない人”を見るような感覚だった。


「あがりなさい」
父がそういうので靴を脱ぎ、家に入った。
玄関の絨毯が妙に分厚いので何で出来ているんだろうと不思議に思い下を向いていると、視界の端で父がまた深々とお辞儀をして

「それでは息子をよろしくお願いします。いい子にしていなさい。」


そう言い残し父は外へ、玄関の扉を閉めた。
少しだけ目が合ったのを覚えている。


父はこれからいろいろな手続きや、家のこと、仕事、そして母のことと、たくさんやることがあったのだろう。
当時の僕にはそんな想像は全くついていなかったが、厳しくも優しくあったあの父が僕や妹を投げ出したわけではないということだけは今振り返っても幼心によくわかっていたつもりだ。


かくして、僕は祖父の家でしばらく暮らすことになった。


一度にたくさんのことが起きた一日。
祖父の家に着いてからは
その日のことを今ではもうあまりよく覚えていない。


さて
長くなってしまいそうなので
今日はこれま……

え?

ローストポークが一文字も出てきてない?
だいじょうぶですよ。ちゃんと出てきますって。
それはまた次の機会に。


See ya.









この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?