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言葉にできない思いがあるな、どう「書こう」「綴ろう」

ものすごく久しぶりのnoteの投稿になってしまった。

毎週1本の投稿を目標としていたのだが、9月はこれで2本目。
それには少し事情があったのだけれど、目標達成ができなかったことは素直に悔しい。


その事情とやらを少しだけここに綴らせてほしいと思う。

これは私の言い訳であり、迷いである。



まず、気持ちが起きなかった。

なんとなく、新しく始めたポッドキャストが楽しくなって、「書く」ことに惹かれなくなっている自分がいた。

始めたてということもあって、ポッドキャストを配信している方との交流が増えて、それが楽しかった。
Twitter上のSpaceという機能(clubhouseとほぼ一緒)で聞いていた番組の方とおしゃべりできるのは楽しかった。
反応がもらえるようになって、面白くなっていた。

声でのコミュニケーションに魅力を感じ、文字で綴ることの意味に迷った。
今は、少しだけ意味を見出してできそうだ。詳しくは後述する。


もうひとつ、言い訳がある。

言葉にできない不甲斐なさを痛感した。
8月は投稿がたくさんできたのだが、それは気分がノッていたというのもある。が、うまく筆が進んでいたのだ(もちろん、キーボードで打っているけれど)。
その理由はいくつかあると思うが、自分が書けることをうまく切り取ってnoteにしていたと思う。

比較的多くの人に見てもらい、スキを頂けたこの記事もそうだと思う。
言葉にしやすいテーマだと思う。

映画に関連することを綴ることもあったが、それらはどれも感想ではない。
見方の話がほとんどで、周辺情報を集めたようなものだ。

もちろん、それ自体に価値がある。
自分の中で整理されるし、読んでいただいた方の気づきになってもらえたらそれはもっと嬉しい。

でも、それは言語化ではない。
「まとめ」だった。


実は、6月から無印良品のノートに作品鑑賞ノートを作っている。
これは、映画や小説、アニメ、ドラマなどの作品を鑑賞したときに綴るもの。
監督や主要キャスト、制作会社などを簡単にまとめ、日付、場所も書く。
そして、どれだけ短くてもよいから感想を綴る。
この感想はnoteのような周辺情報まとめではなく、自分に正直な感想を綴るようにしている。

8月27日にみた映画『子供はわかってあげない』以降、タイトルと日付だけメモして、きちんと綴れていない。
おおよそ、noteがの更新が止まったのと一致している。


言葉にできない思いがあるな、と感じたのだ。

映画『子どもはわかってあげない』はいい映画だった。とても。
だけど、文字に起こしてしまうと、突然陳腐になる。
無理やり文字に起こしたとしても、なんとなく違う気持ちになる。
覚えておく、残しておくという機能もあるが、綴っていない部分が残したいことだった。大事な部分が抜け落ちて残ってしまう気がした。
やるせない気持ちになった。

中村佳穂のコンサート『うたのげんざいち』を見に行った。
正直、今年1番のコンサートだった。
昨年の藤井風の武道館の感覚に近かった。
だけれど、綴れなかった。
中村佳穂の魅力は、私の拙文では全く伝わらないし、残らない。
今、藤井風のnoteを見返すと、自分はこんな文章が綴れたのか、と驚く。だからこそ、たくさん読まれているのだろうけれど。

言葉にできない感想がある、という当たり前のことを言っている気がするのだが、ものすごく痛感した。
8月までは調子よく何でも書けると思っていた。
でも、綴りたい思いを言葉にできないことに真に直面した。




そして、今また書いている。綴っている。
このnoteは自分の心境の変化に近いものだから、なんとなく「綴っている」感じがする。

スランプみたいな約1か月をどのように突破したか。
大学の課題で小説を書いた。それだけ。
大学が始まって、とある授業で1200字の創作をしなくてはならなかった。
それは小説でなくともよいのだが、私は小説を書いた。
今年の春に、初めてその授業の課題で小説を書いたので作り方があっているかわからない。
けれど、少なくともその方法では書き始める前に「自分との対話」をたくさんする。
どんなことを伝えるものにするか、テーマどうするか、設定はどうしようか。
そのときに、久しぶりだと感じた。

書くこと、綴ることは同時に「対話すること」でもあると思いだした。
そして、その対話は孤独なもの。
これでいいのか?面白いか?と自問自答し、迷い、頭を抱える。

そのステップこそが書くこと、綴ることの核なのだ。
だから、言葉にできずに悩む時間こそが、自分にあの感動を刻みつける。
スラスラ進む書きものにも良さがあるので、勿論それがすべてではない。
ただ、そんな考え方、価値観を再確認できたということはこの上なく大きな収穫であるように感じる。

声のコミュニケーションは基本的にすぐに出てしまうものだから、孤独な対話がない。
書きと話しの違い。

パッと言葉にできないから諦めるのではなくて、もがいてみるのが大事かもしれない。


書くこと、綴ることに向き合えた時間があって、さらに頑張ろうと思える。
魅力的に思える。

来週からまた続けていきます。