見出し画像

高校時代後編…。          ☆人生のターニングポイントのサッカー☆そんなてんかんとのかかわり

高校時代が密すぎて3巻になってしまいました。

高校時代はサッカー部でしごかれたというお話は以前からお話ししてました。そこおかげで今があるという事実もまたあります。レギュラーから離れて2年生になった時には指導役になってました。

この指導役結構いまでも役立っていまして、てんかんにも、病気における自己分析やそこからのフィードバックにも一役かってます。

指導役はただ伝えるのではなく教えるということが求められます。

教えるのは最初めちゃくちゃ苦手でした。いろいろな子がいてみんなに同じことを言うと理解してくれる子もいれば全く理解していない子もいて戸惑いました。

そんなときいろいろな悩みをしているときによく発作が起きていました。その時に考える時間もあったし、フィードバックと教えるということを考えました。

そこから自分のてんかんはもしかしたらみんなと同じではなくそれぞれではないかと思うようになりました。その考えと思いは教えることと一緒でした。

この経験が今のマインドの礎を築いてます。

このような考え方を変えてからは正直楽でした。なんせみんな違うんだ、と考え方を一新。やり方を試行錯誤しながらみんなへアプローチする楽しさを覚えました。それは病気を教えるひとへも一緒です。

とにかく教えるときのリアクションはみんな多くが

★それはできない

★やりたくない

あとでやります

だいたいこの三つでした。なので先に言われても大丈夫なようにネガティブ思考からポジティブ思考へと持っていく方法へ自然とかんがえるようになりました。

だいたいの言い訳はわかっていたのでそこからどのように個々を動かす言葉を選んで言うかでした。あとはS先生とのコミュニケーションをよくとりました。なかなか1年間は濃いものなので慣れてない子はだいたいけむたがる先生でしたしね。

フィルター役回りは指導役の自分であり今思えば適材であったのかもしれません。

このころになると自分の中でもうひとつやってみたいことがでてきて特に先生みたいなことをやってみたくなってきました。高校3年生くらいにこの気持ちはありましたが教師になるとう現実的な目標は厳しかったので諦めていました。

それでもやっぱり教えることは好きでした。

そんなとき3年生になって練習試合で相手のからのチャージでファウルを受けて右足外側靱帯損傷の大けがを負いまして高校サッカーがほぼおわりました。松葉杖に1か月リハビリとかもろもろきつかったですが楽しい3年間だった。

そのおかげで復帰後もいろいろなことにチャレンジできたことはあります。まずおおきな転換期となった時期のひとつとしてこの時期でありサッカーをどう続けていくかとうことで高校卒業後ちょっと悩みました。

そこで新たなものに出会います。

てんかんにとっても自分に当てはめていたものがいい意味で崩れてんかんっていろいろあるしいろいろなアプローチがあるんだなぁとわかるようになってきました。

そうなってくると対応策もだんだんわかってくるもんだし、傾向もつかめます。そういった面ではすごくこの高校時代の3年間とサッカーとの出会いは自分の人生においておおきなターニングポイントになりました。

次はてんかんにとって大事な職業について。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?