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子育て日記、再びはじめてみます

ご無沙汰しております、荒井です。

前回の育休(2020年1月~3月の3か月間)から復帰して約1年4か月、7月から2度目の育休生活を開始しております。今回は約3倍となる9か月弱の休業期間を頂戴しました。

「え、前回から1年4か月ってスパン早くない?」

「9か月とはまたがっつりとったね」

っていう声が聞こえてくるほどこのnoteが読まれているかどうかは別として、まずスパンの件で言いますと主な理由は下記の2点です。

・そもそも前回の育休が長男の生後7か月~9か月のタイミングだった
・子どもが23週で産まれてきた(予定日より3か月以上早い)

9か月の期間についてはいろんな事情を経ての判断だったりするのですが、それについてはまた詳しく書くとして。

前回のように自分の備忘録的に、また育休について知りたいと思っている人にとって0.01ミリでも参考になることがあればいいなと思い、日常のことを記録していくつもりです。

今回はそもそも産まれるまでの日々も記録しておきたいことがたくさんあるので、そこから始めてみます。

妊娠発覚!送られてきたエコー写真につけられた〇印

ときは2020年12月初旬。妻からのLINE。

「来年は4人家族だよ!」

なななんと。

一人目の出産が父35歳、母33歳だったけれど「3人ほしいから2歳差でいけるといいよねぇ」なんてお気楽に話していた中でのぴったり2歳差。予定日は8月上旬。コロナで祖父母に面倒見てもらうの厳しいから、今度は産まれたらすぐに育休かねなんて話しつつ、年末にそれぞれの親にも報告しようかなどと段取りを考えておりました。

そんな中、二度目の検診後に妻から送られてきたエコー写真。しっかり赤ちゃんの影が映っている。

夫「やったね!楽しみだね!」

その後妻から再度同じ写真が。ただ、そこには二つの〇印。

画像1

妻「気づけ!笑」

夫「ダダダ、ダブル???」

「2歳差で」「子ども3人」という本来どうやっても5年はかかる所業を、双子という僥倖で達成せんとすとは。勝手な妄想がこんな形で叶ってしまっていいのかと、夫婦で戸惑いながらもニヤつきが止まらなかった年末。

そこからは二人乗りベビーカーの検索をしはじめたり、そもそも今の家でどうやって寝かせるんだなどひとしきり、いやよんしきりくらい盛り上がったあとで、「まあまだまだこれからなのでいったん落ち着こう」となりました。

年始、まだ安定期に入る前なので身近な最低限の人たちに報告しつつ、上司にも「双子となるといよいよ手が足りないので、無事に産まれれば長めに育休とるつもりです」と報告。前回の育休取得時から部長が変わっていなかったので、気軽に相談できたのはなんとも運が良かったなと。(もちろん、部長のフランクな人柄もありますが)

世の中はコロナで厳しい状況が続いていましたが、妻と子どもたちの無事を祈りながら日々を大切に過ごすという意味で、ほぼ在宅勤務でいられたのは正直ありがたかったです。もちろん母子へのリスクという意味では感染症なんてないほうがいいに決まっていますが、在宅中心で家庭にも気を配りやすい状況という面ではやはり助かりました。

このころは「さすがに夏には落ち着いて出産の立会もできるかな?」「そもそも立会もできないような状況で東京五輪なんてやれるわけないよね」なんて楽観的なやり取りをしていましたが、まったくもって立会もできないような状況でしたね。まあそんな話をしていた平和な1~2月でした。

夜、突然の破水。

2月中旬の平日夜。この日は妻がオンラインイベント的な仕事だったため、息子と二人でリビングで夜ご飯を食べていました。仕事部屋はリビングのすぐ隣で仕切り戸で隔てているだけなので、聞こえてくる声からそろそろ終わりかなぁなんて思いながら片づけをしていたら妻がバタバタと飛び出してきて、トイレに駆け込む。

「尿漏れみたいなんだけど、ちょっと量が多いんだよね」的なことを言っていて、心配だから一応病院に行っておこうという話に。息子の寝かしつけがあったので一人で行ってもらうことになり、タクシーを手配しました。出産予定の病院までは家から10分足らず。心配だったものの、なかなか寝つかない子どもを苦闘の末寝かしつけ、そのままベッドでうつらうつらしているところに妻が帰宅しました。

「赤ちゃん、ダメになっちゃった」

すやすやと寝息を立てる息子の横で、堰を切ったかのように号泣する妻。突然のことに動揺してしまい、妻にかける言葉が見つからない。涙を拭くタオルを渡すくらいしかできず、しばらくして少し落ち着いた妻から状況の説明がありました。

はじめの内診では「赤ちゃんは元気」と言われたが、破水の傾向があると言われた。その後エコーで詳しく確認したところ、左の子の部屋が破水していて、羊水がほぼない状態であること。その子が生きて産まれてくることはないこと。

胸が引き裂かれるような話を聞かされたあとで、今すぐに病院でできることはないので、一度家に帰って家族のそばで安静にしていたほうがいいのでは、と言われ帰宅することになったそうです。

双子は、単胎に比べて無事に出産を迎えられる可能性が低いことはもちろん頭では理解していましたが、どこかでそれは統計上の話であって自分にふりかかるものではないと高を括っていました。

が、それはあまりに突然に現実として目の前に突きつけられました。受け止め方がわからなかったのか、そもそも受け入れることを拒んでいたのか、号泣する妻の横で僕は、全く泣くことができませんでした。

そして、入院。

今後の対応については追って、という話でしたが、翌朝に病院から電話があり、「子宮内への感染があるとよくないのですぐに入院を」という話になりました。

平日だったので子どもはとりあえず保育園へ送っていき、気持ちも落ち着かないまま妻の入院準備。その時点では検査ほかで2週間かもう少し長くなるかも、という話だったのでそこまで大荷物にはならず。幸い病院はいつでもすぐにいける距離なので、足りないものがあれば届けますよということで荷造り終了、病院へ向かいました。

コロナ禍ということもあり原則面会はNGなので、荷物を引き渡すとあっさりとお別れです。次に会えるのは2日後、医師からの状況説明のタイミングとのことでした。差し入れはできますが、これも看護師さんを通じて渡すルール。妻の不安や息子の寂しさを思うと辛いけど、感染リスクを考えれば仕方ありません。その他の説明を聞いて、入院手続きを経て病院を出ました。

ひとりになって、この先のことを考えます。おなかの子どもに関しては厳しいけれど、まずは検査結果を含めた今後の話を聞くまで、信じて待つしかないと言い聞かせました。

現時点で自分にできることは妻にできる限り寄り添うことと、息子を不安にさせないようにできるかぎり変わらない日常を過ごすこと。仕事に関してはできる範囲でやるしかありません。入院が長引く場合は自分一人でやれることにも限界があるので、息子の送り迎えなどを親にもお願いしよう。そう決めて、帰り道に母親に電話をしました。

できるかぎり平静に報告をしようと思っていたのですが、おなかの子どもが置かれている厳しい状況を説明しようとしたとき、言葉に詰まってしまい込みあげてくる涙。前夜に妻から話を聞いてから、初めて流した涙はしばらく止まりませんでした。電話の向こうからも状況を理解した母の涙声。気を取り直して、今後の相談などをして電話を切り、帰宅しました。

自宅で急ぎのメールなどに対応しつつ、一息ついたあとに上司への報告。「家族のことを最優先にして、仕事はチームのメンバーを頼ればいいから」と言ってもらい、少し気が楽になりました。その日は仕事があまり手につかなかったので、まずは今夜から始まる息子との二人暮らしをどうしていくかを考えました。

妻とおなかの中の子どものことは病院がフォローしてくれるけど、母がいない中で息子にはしばらく自分しかいません。息子が落ち着かないとなれば、妻にさらに心配をかけることにもなります。とはいえこの時点では入院期間もどうなるか、今後どんな経過をたどるのかもわかりません。とりあえず、目の前のやれることをひとつずつやるしかないと言い聞かせ、いつもより少し早めに保育園に自転車を走らせました。

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まずは子どもが産まれるまでのおよそ2か月間、息子との二人暮らしを中心に振り返りたいと思います。



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