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Q:矛盾した流派が淘汰されないのはなぜ?

A:どの流派も、外れを「ハズレ」と気づかない、強い思い込みがあるからです。また、どの流派にも熱心な支持者がいるので、廃業する理由がないからです。

Q:「当たらない」が本当なら、廃れないのはなぜ?』では、利用者(鑑定依頼者)の立場から姓名判断が廃れない理由を探ってみました。ここでは、提供者(占い師)側から廃れない理由を探ってみましょう。

●矛盾を気にしない、姓名判断の不思議な世界

姓名判断の業界では、常識的には有り得ないことが起こっています。たくさんの流派が顧客獲得のためにしのぎを削っていますが、彼らの相違は技法だけではありません。根本的な部分が食い違っているのです。同一漢字の画数が違ったり、同一画数でさえ吉凶が違うのです。

茶道や華道にも流派の違いはありますが、それは個人の美的感性の違いに起因するものでしょう。ですが、姓名判断では「当たったか、外れたか」という結果が求められます。本来的に個人の嗜好や感性とは無縁のはずです。

そこで、次のような素朴な疑問が頭をもたげます。「これほどいろんな流派が共存しているのに、なぜ占い師は他流派との矛盾にうんざりしないのか、そして姓名判断を見限らないのか?」その昔、私が真剣に悩んだテーマです。

占い師の回答は聞くまでもありません。ほぼ間違いなく「自分の流派は当たるから」です。それはそうでしょう。もし自分のやり方に疑いを持ったなら、さっさと他流派に鞍替えするはずですからね。

中には「儲かるから」というインチキ占い師もいるでしょうが、そうしたやからは当ブログの関心外です。他の専門家にお任せしましょう。

●外れても「ハズレ」と気づかない

では、なぜ占い師は「自分のほうが当たる」と思うのでしょうか。それは「アタリ」の印象だけが強すぎて、「ハズレ」を正しく認識できないからです。つまり、実際以上に当たっているという「思い込み」です。

曖昧あいまいでどちらとも言えない結果や、誰にでも当てはまる結果をアタリと勘違いする一方で、ハズレはうっかり見落としたり、すぐ忘れてしまったりします。

それに、たいていのハズレは、あれこれ理屈をつければ、アタリになるものです。その結果、当たった(ような気がする)事例だけが印象深く記憶に残るわけです。[注1]

余談ですが、思い込みが高じるとどうなるか? ある鍼灸師からこんな話を聞きました。同業者の中に自分の治療技術を自慢する人がいて、どんな患者も「たった1回の施術」で完治させるというのです。

なぜそう思うのか聞くと、「2回以上、来院した患者はいない」からだそうです。笑えますね。

本題に戻りましょう。それでも回数を重ねるうちに、どうにも説明のつけようがない、決定的な「大ハズレ」もあるでしょう。そのときばかりは、さすがに「今回は外れた」と気づきそうですよね。

ところが、そうはならないのです。一度思い込んでしまうと、その思い込みから抜け出すのは並大抵のことではないのです。

こういう不可解な現象を説明してくれる衝撃的な理論があります。社会心理学者フェスティンガーの有名な「認知的不協和の理論」です。

●どう受け止める?ー 決定的な「大ハズレ」

フェスティンガーの『予言がはずれるとき』が邦訳されたのは1995年(原書は1956年刊)ですが、今ではその筋の古典ともいわれるこの著作は、読み物としても大変おもしろい本です。[*]

それによると、人間は自分の信念や行動に反する現実に直面すると、不快感(認知的不協和)を減少させようとして、状況を都合よく解釈したり、自分の信念に合わせて情報を無意識に取捨選択するものだそうです。

さらには、一旦受け入れた考え方が誤りであると分かっても、なかなか認識を変えようとしない傾向もあるようです。

『予言がはずれるとき』にはオカルト熱心な米国人女性が登場しますが、この女性に突然、自動書記が起こるのです。そして、他の惑星に住む高級霊とチャネリングするや、この世の破滅と1954年の局地的大洪水を予言するようになるのです。

やがて周辺に奇妙な人々が集まってきます。彼らは高級霊のメッセージに従い、近いうちに空飛ぶ円盤が救出にやってくると信じました。

しかし、指定された日時に円盤は現れません。信者らの間に気まずい沈黙が訪れますが、それもつかの間、彼らを狂喜させるような新しいメッセージが届きます。そして準備に抜かりが無いか、念入りに身の回りをチェックしはじめるのです。

ところがこのメッセージも空振りに終わってしまいます。すると彼らは、内心モヤモヤしつつも、「あれは予行演習だった」などと勝手に納得するのです。

こんなことが何度か繰り返され、結局、何も起こらないまま予言された日が過ぎてしまいます。著者はこの集団にこっそり研究メンバーを送り込み、彼らの行動をつぶさに観察したのでした。

予言が外れるたびに、信者らがますます確信を深めるという不可解な現象は、歴史上、数多く見られるそうです。

●個人的ハイライト

信者らの思い込みで一番 けっさく なのは、子どもがいたずら電話をかけてきたときです。彼らは新聞広告を出すなど積極的に活動していたので、世間でも評判になっていたのです。

「うちのお風呂場が洪水になっちゃったよ。それで僕たちパーティー開くんだ。おばさんも来る?」信者らは「これこそ高級霊の使者に違いない」と確信したものですから、聞き出した住所をめざし、興奮して出かけていきました。

ところが、15分もすると、すっかり落胆して帰ってきます。彼らは子どもの母親から門前払いを食らったのでした。

彼らが何度、否定的な経験をしても目が覚めないのは、抜き差しならないほどの深みにはまり、今さらその信念を捨てられなくなったからです。多くを捧げてきた信者ほど、事実と信念との間の認知的不協和は増大しますから。

お気の毒ですが、彼らの将来にハッピーエンドは想像しにくいですね。[注2]

●多くの流派が淘汰されない理由

姓名判断の業界にも同じ解釈が当てはまります。それは客観的視点の欠如です。他流派との矛盾に関心が向かわなければ、独善に陥るのは明らかです。

「自分の流派は当たる」と信じる理由はいくらでもひねり出せるのです。ハズレはうっかり見落とし、大ハズレは不合理な理屈をつけて強引にアタリ(少なくともハズレではない)にすれば、どの流派も「よく当たる」ことになります。

その結果、どうなるか。「他流派との矛盾に うんざり することもなく、姓名判断を見限ることもない」です。

そして利用者(鑑定依頼者)にも同様の心理的メカニズムが働きます。「この占い師(あるいは流派)は当たる」と信じ続けるのです。

こうしてすべての流派は、それぞれに顧客を獲得し、かつ安定的に相互関係を維持するので、いつまでも淘汰されることがないのです。[注3-4]

==========<参考文献>=========
[*]『予言がはずれるとき』(フェスティンガー/リーケン/シャクター著、
勁草書房、1995年)
[*2]『占いの予言が「的中する」とき』(村上幸史著、社会心理学研究第21巻 第2号、2005年)

===========<注記>==========
[注1] 外れても「ハズレ」と気づかない
 心理学でよく知られた「確証バイアス」「記憶バイアス」等により、状況認識に偏りが生まれる。
詳しくはこちら⇒『当たったのか?当たった気がしただけか?(1~2)

[注2] 繰り返し予言がはずれても目が覚めない「狂信的な思い込み」
 このグループの主要メンバーは「予言のはずれた期間を通じ・・・確固たる信念を持ち続けていた。彼らは、自分たちを導いてくれるかもしれないメッセージを死にもの狂いで捜し求めたが・・・自分たちが間違っていたかもしれないと示唆するようなことは、決してしなかった」という。

 そして、予言の決定的大ハズレから約5ヶ月後にも、主要メンバーとその家族はカレッジビルの地を訪れ、一晩中、空を仰いでその時を待っていた。「(この場所で)空飛ぶ円盤にピックアップされるだろう、というメッセージを受け取っていた」からだ。「彼らの信仰は限りないものであり、予言の失敗に対する抵抗力はたいへんなものだった」ことが分かる。

[注3] どの流派にも熱心な支持者は結構いる
 詳しくはこちら⇒『Q:「当たらない」が本当なら、廃れないのはなぜ?

[注4] 熱心な支持者ほど「占いの的中率」に偏見を持つ
 占いに好意的な人ほど「的中した」と判断しやすいことが、実験で分かっている。その理由は、占いに好意的な人には「確証バイアス」が働くので、占いに合致した情報をより想起しやすいためと考えられる。[*2]

 そしてこの「的中した」という感覚は、いっそう「この占い師(あるいは流派)は当たる」という信頼度を高めていると考えられる。


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