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なぜ美女でなければならないのか?

なぜ美女でなければならないのか?
なぜ風俗では満足することができないのか?

すべては以下の一節に答えがある。

– – – –

美しい女が、
衣服もプライドも恥もすべて投げ出して、
「好きよ」という。

これほどすごい自己確認は世の中に他にない。

これほどすごい自己確認は世の中に他にない。

その女は、すべてを受け入れる。

名前、職業、顔、肉体、そして○器も、○液も、である。

美しい女によって得られる自己確認がもっとも嬉しいから、
たとえ大統領になってもノーベル賞をとっても、
オリンピックで金メダルをとっても、
いや名誉や金や権力があればあるほど、
男は決して満足することなく、求めるわけだ。

村上龍
– – – –

美女でなければならない理由。

それは自己の存在に関わる問題に繋がるからに他ならない。

人は無意識のうちに、自己の確認を他者を通じて行っている。

「○○商事のxxさん」と呼ばれるから自分が○○商事だと認識できる。

「頼れる後輩」「尊敬する先輩」
と言われることで自分がどのような人物であるかを認識できるし、
与えられた役職で、自分がどのような人間であるかを判別している。

母親が自分を息子だと言うことで、自分は息子であると認識する。

ある日、親族全員が「あなたは誰?」なんて言ってきたら、
本人はとんでもなく混乱する。

全世界の人間から無視されたら人は生きれない。

それが過ぎると自己が崩壊する。

男女問わず、素晴らしい人物を恋人にしたがるのは、
それによって自己が大いに確認できるからだ。

本当は高校時代に彼女ができたはずなのに、
告白はされたことがあるのに、
結局付き合うことはなかったというパターン。

可愛くない地味な子が告白してきたからだ。
あんな子と付き合うなんて、と、部活の仲間から言われそうだからだ。

クラスの連中から後ろ指をさされるからだ。

可愛い子と付き合えないのならば、誰とも付き合わないほうがいい。

なぜなら可愛くない子と付き合うと、自分のランクが下がるから。

つまり自己を確認できない、確認したくなくなるからだ。

美女でなければだめなのだ。

しかもとびっきりの美女。

とんでもない美女で、常に周囲から告白されていて、
取り巻きの男性も超ハイスペック。

そんな彼女が、すべてをかなぐり捨てて自分を求めてくる。

もう何もかもいらないし、何もかも捨てるから、
あなたといっしょになりたい。

いっしょにいさせて。

村上龍が言うように、衣服もすべて脱ぎ捨て、すべてを求めてくる。

すべてを受け入れる。

何もかも。

○器も。

そして○液も。

悲しいかな、これを求めるのが男性というものだ。

オスというものだ。

どんなに偉くなっても、どんなに金持ちになっても、
有名になっても、これを求める。

求めてしまう。

それほどまでに強烈なのだ。

なぜなら自己が懸かっているから。

アイデンティティの問題だからだ。

人間は集団社会で生きるようプログラミングされている。

そのプログラムの中に他者を通じた
自己確認がプログラミングされている。

悲しいことに人間は、
他者を通じてしか自己確認をすることができない。

だから美女を求める。

そしてそれは風俗であってはならない。

風俗にたどり着く人は多い。

しかしそこに長くとどまれる人は少ない。

なぜなら虚しくなるからだ。

結局は心は金では買えない。

いくらお金を積んでも、ロングコースにしても、
裏で会って一日中デートをしても、
外国で女を買っても、 お金が介在している以上、
自己確認ができないからだ。

そうじゃない。

男性が求めているのは、
お金も何もなしにすべてをかなぐり
捨ててこちらを求めてくれること。

素晴らしい美人がすべてを投げ売ってまでこちらに来てくれること。

お金のために来られると分かると男性がムッとする理由。

それは自己の確認に関係するからだ。

「結局はカネ目当てなんだろ!!」と憤慨する理由。

それは自己を侮辱され、否定され、
そのままだと自身を保てなくなるからだ。

自己確認のために他者を利用している、という批判もあると思う。

そんな理由のために他人を使うなと。

だが自分はその論には断固として異を唱える。

自己の確認はそんなに軽いものではない。

「そんな理由」なんて問題じゃない。

いじめを受け、仲間はずれにされることで自殺してしまう人がいる。

それは仲間からの疎外により自己が保てなくなってしまった結果だ。

インスタグラム中毒になる女性がいる。

投稿にうまくいいねが付かないと、爪を噛み、髪をかき乱す。

真っ赤に充血した目で、一日中アプリを更新してしまう。

整形に手を出して整形中毒になってしまう人がいる。

すべては自己の確認のためなのだ。

そしてそれは死活問題なのだ。

上手くいかなければそれは自己の死を意味する。

精神の終わりを意味する。

それほどに自己確認は重要な事項なのだ。

すべての芸術は自己確認だ。

すべての戦争は自己確認のためだ。

自分の地位を保つため、権力を維持するため、
美人をはべらすため、 人は法を変えてまであらゆることをやる。

たかだか自己確認のために、、
なんて軽いものではないのだ。

死には種類がある。

物理的な死以外にも死はある。

それが社会的な死であり、精神的な死であり、自己の死である。

他者と上手く関われない場合、運が悪いとそれは本当に死に繋がる。

美人からの承認というのはそれほどまでに強力なのだ。

数多くの美女からの承認。

様々な種類の美女からの承認。

これらはただの好みとか、
好き嫌いとかレベルの問題ではなく、
自己の確認、自己の存続、社会的な生など、
もっとも高次のレベルに位置する問題なのだ。

お金で解決できる問題ならどれほど楽か。

だがお金持ちで全然うまくいかず苦しんでいる人たちを沢山知っている。

権力や地位、学歴で解決できる問題ならどれほど楽か。

だが東大医学部、某県知事、
などの肩書を持ってしても全然うまくいかない人を知っている。

魅了という術を身に付けるほかはなく、
そしてその道は険しく長いということ。

鍛錬が必要だということ。

結局、答えはなかなか見つからず、
たとえ見つかったとしてもそこから先は長い道のりが待っている。

一筋縄ではいかないということ。

野心も体力も経験も必要になる。

それなのに瞬殺されることも多々ある。

それに耐える忍耐力も必要になる。

だが自己に関わる問題なので、
投げ捨てて放置するにはあまりに問題が大きすぎる。

結局オスというものは精子みたいなもので、
ただひたすら卵子に向かって泳ぎ続けるしかない。

ただひたすら卵子に向かって走り続けるしかない。

ライバルと競争しながら。

障壁を乗り越えながら。

その繰り返しだし、この競争は延々と延々と続いていく。

それでも走り続けるしかない。

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