偏差値の高い大学に合格する方法

高校受験に失敗し、偏差値52の星稜高校普通科(特進にも落ちた)に
入学したにも関わらず、偏差値62の神戸大学経済学部に入学した
エピソードをブログにしたい。

私は勉強の素質があるわけではない。
これは今人生を振り返って明確に言えることだと思う。
だからこそ、本気で取り組めば、大概の人は旧帝レベルの大学に合格できる
と思います。

まずは私の実績についてもう少し細かく話したい。

①高校受験失敗(星稜高校普通科に入学するまで)
私は中学では、ヘミニス金沢という石川県のクラブチームに所属し、
数度全国大会(全て予選敗退)に出場し、レギュラーで活躍していた。
セレッソ大阪U15やジュビロ磐田U15といった世代トップクラスの
レベルと張り合うことが出来ていた。

そんな状況は中学生にとっては、天狗になるいい機会。
人生なんて余裕だと常に思っていた。
大して能力がないにも関わらず、天狗になっていた人間が努力できるはずはなく、偏差値65の金沢二水高校に受験するも失敗。
さらには、偏差値60程度の星稜高校特進にも落ち、偏差値52の星稜高校普通科に入学。
その経験は味わったことのない、人生最初の挫折だった。
そしてそれが私の挫折人生の始まりだったなと今思えば、懐かしく思う。

②大学入学(高校での実績と神戸大学への合格まで)
高校1年~2年の間は、40人程のクラスで15位程度の
学力であり、全体(特進120名+普通280名)で約400名中
100番程度であった。
それにも関わらず、なんとセンター試験で400名中1位を取ることができた。
散々高校受験に失敗し、当然1年~2年にサボっていたわけではないため
私が元々勉強ができたわけではない。
そんな私になぜそのような学力の飛躍が起きたのか。
その要素は大きく3つある。

1つめは、努力ができる才能が人並み以上にあったこと。
2つめは、その努力をしなければならない状況に追い込まれたこと。
3つめは、人よりプロセス(勉強方法・大学受験へのアプローチ)が優れていたこと。
以上3点だと今振り返れば思う。
(当時は自分が頭良いと思ってました笑)

それぞれの要素について、説明していきたい。
1つめと2つめはセットなのだが、これについて説明するうえで
星稜高校サッカー部での挫折がキーとなる。
前述のとおり、中学で全国大会に出場するレベルにあった私は
遊学館高校から推薦が来るほどサッカーのレベルは高かった。
しかし、遊学館高校はあまりに学力が低いため、入学しなかった。
受験失敗でたまたまサッカーの名門校である星稜高校に入学したので
サッカー部に入部した。
今振り返ればこれはとても幸運な出来事であったと思う。

しかし、結論としては、サッカー部で一度も公式戦のメンバーに選ばれることなく引退した。
これも自身にとって大きな挫折であった。

そしてさらにショックな出来事もあった。
星稜高校サッカー部のメンバーのほとんどは、Pコースという全国から
サッカーをすることに特科した体育科コースをメインに構成される。
よって私のような普通科コースでサッカー部に所属していること自体
とても肩身が狭かった。
Pコースは我が物顔で学校に存在しているし、下のヒエラルキーに
いると感じてしまうほどの存在感であった。

そんな中、同じクラスで学力とサッカーのレベルが同じ友人がいた。
当時良いライバルだった。
そんなライバルに大きく負けたショックなイベントが発生する。
それは、高校3年の夏、私は高校受験を見据えて部活を引退した。
ただライバルの彼は、勉強と部活を両立する道を選んだ。
そして私が引退した後の夏のインターハイでライバルの彼は、
見事インターハイのメンバーに選出されていた。
体育科コースがあるなか、勉強と両立させ、インターハイに出場している
難易度は相当高い。
試合に出れたわけではないが、本当に凄いことだと今でも思う。
羨ましく思うとともに、悔しさを覚えたことを今でも強く覚えている。

そしていよいよインターハイが終わり、受験が本格化するなか、
大手予備校の模試の結果が出た。
当然引退した私は全力で勉強していた「つもり」だった。
その模試の自分の結果は覚えていない。覚えているのはそのライバルの
順位に大きく負けていたこと。
私は、ライバルにサッカーも勉強も大きく負けてしまった。
直接言われたわけではないが、ライバルの彼も私をライバルと認識していたのだろう。
ライバルの彼がとても誇らしげな様子であったことを覚えている。

「絶対にこいつに負けない」その時に心に強く誓ったことを覚えている。
それまでの人生においてそれほどの覚悟を経験したのは初めてのこと。
そしてそれは少し情けないことではあるが、今会社員人生を振り返っても
当時の覚悟を超える経験はない。

ライバルに対してサッカーと勉強どちらも惨敗を喫した私に取り残された道は、勉強しかない。

以上のように、努力しなければならない状況に追い込まれ、
努力を重ねた結果が、センター試験学年No1という結果であった。

3つめの、「人よりプロセス(勉強方法・大学受験へのアプローチ)が優れていたこと」については、誰でも真似できるものです。
続編とします。

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