見出し画像

僕がnoteで伝えたいこと

 みなさんこんばんは、テネリと申します。
この記事ではまず僕のことを簡単に紹介したいと思っています。

 最初はこのペンネームについてですね!テネリってなあに?と思うかもしれません。このテネリというのは「Teneritas」というラテン語から取っています。

この言葉の意味は「優しさ」。

優しい人になりたい、そして優しい文章を書きたいという願いからこのペンネームにしました!

能取岬-04324

 次に僕のnoteについて紹介させてください~!ちょっと長いかもです、、
プロフィールにもあるように僕はカメラと小説とスポーツが好きな男性です。歳は20前半で今は医大生として日々勉強しています。

で、今回の記事のメインはこの医療系大学生を志した理由です!

 僕は高校生の時にSLEという難病に罹患し、入院を余儀なくされました。その後他の難病で片目の視力を失い、またもや難病で股関節は壊死してしまいました。
それまではずっとバドミントンをやっていたんですが、それもドクターストップを受け、今では歩けはしますが大好きだったバドミントンはもう二度と本気ではできない身体となってしまいました。

さあ、この時の僕はどうでしょうか?

病気を宣告された時期のことは鮮明に覚えていますが、いつもお風呂場に入るたびに泣いていました。シャワーで音をかき消し、家族に泣いてることを悟られないように。絶望した、というのが簡潔でぴったりな表現でしょう。この時の僕は自分を不幸だと思っていました。

ここで一つ質問したいのですが、僕はこの時不幸でしたでしょうか?
僕が不幸かどうか皆さんの思いを持ちながら次へ進んでくださいね!

では、今の僕はどうでしょうか?

あれから数年たち、難病というのは治ることは稀です。落ち着くことはあっても完治することはほぼないでしょう。つまり、絶望していた時期からなんら病気に変化はないのです。なのに今の僕は絶望なんてしていない。むしろ絶望していた頃とは打って変わり、難病という経験を持つ医者はきっと患者さんに対してプラスに働く面もあるはずだ!と決意し、医学部進学を目指して実際に今は医学について勉強中です。

ここでも質問したいのですが、皆さんから見て僕は今不幸に見えますか?

 結論から言うと、「どちらの時期も不幸ではありません。」
これは一体どういうことなのか。

 ちょっと残酷に聞こえるかもしれませんが、病気やケガというイベントは「それ自体は不便ではあるけど決して不幸ではない」と僕は考えています。特定のあるイベントが必ずその人にとって不幸になるということはあり得ません。もっと言えば、特定のイベントが全員にとって幸せということもないですから。もし全員が幸せになれる道があるのなら今頃みんな幸せでしょう。

 ひとつ誤解なさらないでほしいのですが、落ち込むなというわけではありません、なんなら僕がめっちゃ落ち込んでましたから笑
そうではなく、病人やけが人=不幸な人生ではないよということです。

 たくさん沈んでいいんです、思う存分落ち込んでください、嘆いてください。その時の感情を大切にとっておいてください。自分を不幸だと思ってもいい。生きたくなくてもいいです。それくらい辛いことなんだから。

 落ち込んだ時、周りに誰か一人でもいれば落ちすぎることはありません、もし今周りに誰もいないというのなら僕がいます。
 あの時助けられたように僕も悩んでいるみなさんを救いたい。

 ってなわけで医学部に進学しました!そしてnoteを書いている理由でもあります。

稚拙な文章です、伝わりづらいかもしれないけど、僕のnoteがみなさんの心を軽くできたら何よりです。

これからもたくさん投稿していきたいと思います。
その中で少しでもみなさんの心を軽くできれば、


それは僕にとっての幸せです。

画像2


この記事が参加している募集

#自己紹介

227,825件

よろしければサポートお願いします。より一層皆様に心を軽くできる内容をお届けできるよう努力してまいります