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「愛こそはすべて」


僕が、今までに、

とても印象に残っている

「事故」なんですけれど、

「他人様の死」について語るのは

人間としてどうなのかな?

と思います。


また、

「過去の出来事」なので、

「ご遺族のかたの心情」を察すると、

そっとしておくほうがいいのですが、

大変申し訳ありませんが、

「失礼」「無礼」を承知で、

語らせていただきます。


「雪山の遭難事故の話」

なんですね。

僕も、「新聞だけ」でしか、

読んでいません。

たったそれだけの「情報」で

「赤の他人」がどうのこうの言うのも

「大変失礼」な話でございます。


何年も前の話なのですが、

そのかたは、「自営業」をなさっていて、

「ご夫婦」でされていたんですね。

だいぶお歳を召されていたと思います。


それでも、「現役」で、

しっかり仕事をなさっていて、

「奥様」も「ご主人のお手伝い」を

なさっていたそうなんです。


お二人は、とても仲が良く、

ご近所でも有名な、

「おしどり夫婦」だったんですね。


どこに行くにでも、

お二人一緒だったのだそうです。


このお二人、ご趣味が、

「登山」だったんですね。


休みの日には、計画を立てて、

お二人で登山をされる。という話も

有名だったそうです。


「雪山に登る」というだけで、

なかなかの「登山好き」だったと

お察します。


結局、お二人は「雪山」で

「遭難事故」にあうんですね。


僕が、バスの運転手時代に、

「休憩時間」にこの記事を

新聞で読んで、

どれだけ、「自分が走らせる次のバス」を

走らすのが

「嫌」だったか。(笑)


「そんな話があるんか!!」と。


なんとも「残念な話」で。


たったそれだけの「記事」

それだけの「情報」で、

「詳細」はわかりません。

が、

おそらく、お二人とも

「凍死」だと思うんですね。


さぞかし、お互い、

「恐怖」を感じ、

「後悔」があり、

「無念」であったことと思います。


「お子さん」といえど、

もう、成人もされて、

家業を引き継ごうか、のような、

お歳であろうと思います。



人間の「魂」の

最終段階の「課題」とは、



「愛」なんですね。



「愛」あるがゆえに、

お二人は、亡くなるその瞬間まで、

この世で「生きて」

もう一度、しあわせをかみしめようと、

「必死」でご努力をされたことと思います。


長年連れ添い、

愛しあったお互いを

「生きよう」「生きよう」と

励まし合ったでしょう。


僕が、いくら書いても

「想像」でしかありません。


「ご遺族」は「突然の別れ」に、

「とまどい」や

「悲しみ」が

「計り知れない思い」だったと思います。


「雪山で命が絶える」ということは、

僕も、「素人の浅はかな知識」

ではありますが、

「外傷」が無いと思うんです。

本当に眠ったように、

旅立たれたのだと思います。

最期の最期まで、

あきらめなかったのだと思います。

ですが、

いくら、「こちら側の現世」で、

どんな「思い」であろうが、

どんな「人」であろうが、

「勝手」なんですね。


生きていても

亡くなられていても

「その人の気持ち」というのは、

「誰にもわかりません。」


「赤の他人の死」を

勝手に取り沙汰し、

勝手に美化をするようですが、

こんなに、愛しあい

しあわせな絶命の仕方があるのか、

と、

僕は思ってしまうんです。



雪山にて、

「寒くて」

「不安」で、

「恐れ」

「悔やみ」

計り知れない

「絶望感」を味わいますが、


「愛するひとがそばにいる」


「お前だけは助かれよ」

「あなただけは助かって」

互いに思ったでしょう。



人は愛あるが故に、

迷い

恐れ

怒り

嫉妬し

傷つけ

奪い合い


「自我だけを守る愛」で

溢れかえる世の中で、


お二人は出会い、

愛しあい

共に喜び

共に笑い

共に泣き

楽しみ

与え合い

病める時も

健やかなる時も

敬い

尊び

分かち合い

譲り合い

励まし合い

苦労をも共にし、

最期まで、

共に過ごせたことは、

「不幸」と呼べるでしょうか?


「この世」で「生」を受け、

「唯一無二の魂の相手」に

出会えた事に

感謝することを

あたりまえにできているんですね。

で、なければ、

お二人で、「雪山登山」なんかしません。


「赤の他人」がどれだけ言ったところで、

「本当のこと」はわかりません。

「残念」

「無念」ですら

「こちら側の勝手」かも知れません。


「普通」ならここで、

「お二人のご冥福をお祈りいたします」

と、申し上げるのですが、

「ご冥福」とは、

「冥土」(死後の世界)での

「福」(しあわせ)を意味するのですが、


「お二人にはご冥福しかございません。」

としか、

僕には言えないんです。


「この世」での

「責任」や

「やり残したこと」や

「人間関係」なんか

「関係ない」んです。


お二人の「魂」が


「愛の完全体」

「魂の最終形態」になったから、


「その時」が訪れてしまった。


と、僕は思います。


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