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心の羽音に耳を傾ける

37歳のクリスマス直前の夜、わたしは24年ぶりにカラオケに行った。

よし!!と覚悟を決めて、手はちょっと震えながらマイクを握ったの。

こんな日がやってくるなんて死んでもないと思ってたのに。

カラオケなんかでそんなにドキドキする??と思うかもしれないけど、

事あるごとに『わたしなんて、、どうせ、、、』が口をついて出てくるし、
自分の事が嫌いで、自己否定が当たり前で、内気で、
自分の思ってることを人に伝えるのが怖くて、
周りの人からは何を考えているのか分からないんだよねとか、

クラスの中に1人は私みたいな内気な子がいたんじゃないかな?

中学生までは自分に自信がないから声が小さくて
怒られたりしては勝手に傷ついていた子どもだったんだ。

だからカラオケでスピーカーからの大音量で自分の声を聞くなんて、
人前で歌を歌うなんてさ、もうね、苦痛で苦痛で。。

行こう!と誘われただけで頭の中が真っ黒になって氣分が悪くなるんだ。

そんなに拒否反応が出る?って思うよね。。

その半面、明るい子を見ると、
あぁ、あんな風になりたい、いいなぁと心の隅で憧れもあったんだけど、
わたしなんてが強すぎて憧れはいつも心の隅に埋もれていたな。

なんてあまのじゃく!!

何度自分に向き合う事から逃げ出したか分からない。

でも、
もう逃げるのはおしまい!

37歳、
マイクを握った時そう心に決めたの。

はじめまして!
元大工で、人前で喋るのが下手だった三児の母のしみずかよです。

あなたはカラオケってストレス発散できる?
わたしは大っ嫌いで、歌うのがストレス発散どころか
カラオケって言葉を聞いただけでも
ストレスが溜まっていたくらいだったからさ、
24年もずーーと避けてきたんだ。

初めてカラオケに行ったのは、中学一年生の時。
部活の仲間に誘われて、本当は歌いたい気持ちなんて1ミリもなかったけど、
『大丈夫だよ!一緒に歌うから!』って言われて、
心はざわつきながら重い足取りで初めてのカラオケへ行ったんだ。

でもね、自分の歌う番なんて来なければ良いのに、、
との願いも虚しく、友だちが一曲一曲歌うたびに
マイクは私の元へ近づいてきちゃったの。

何を歌ったのかは覚えていないけど、
ひとりじゃとても歌えないから友達に一緒に歌ってもらって、
なるべくマイクが私の声を拾わないように小さな声で歌ったのに、
それでも恥ずかしくて顔が真っ赤になってたのを今でも忘れない。

そして、

もう二度とカラオケには行かない!

と心に誓ったのでした。

とは言え、中学~大人になった今まで誘われることがあり、
何かと言い訳をして逃げること24年・・。

今考えたら、よく24年も逃げられてたよね(笑)

でもね、ついに
心の隅で憧れていた明るい自分になりたい!と思える出来事が起きたのです
しゃべるのが苦手で内気な私が大きく変わったキッカケをお話しするね。

【いつも不安だらけで自信なしだったわたしが!?】

今は子どもが三人と、優しい旦那さんもいます。
ずっと子どもが欲しいと思っていたので、夢は叶っている。

でも、いつも心のどこかに晩秋のように枯れ葉が落ちるような
過去から来る寂しさが私の中に積もっていたの。

物心つく頃には人見知りを自覚していた記憶もあり
失敗や良くも悪くも人前で目立つようなことがあれば、顔を赤くして

早く終わってくれ~(涙)

と心の中で叫んでた。

頭の中は『自分なんてバカだし、何にもできないし、ちびだし、暗いし、、、』
で自己否定でいっぱいの小学生。

今思えば、自分で創造していた悲劇ばっかり。
もったいないよね。

そんな私に一つの救いが!
私にとっての救いってなんだったと思う?

それはね、
やりたいこと、好きなことをとことんやる父がいたことです。

だって〜〜〜

あんまり子育てには興味はなかったようだけど、
父の大好きな海釣りや仕事について行った時には、
干渉してこないので自分らしくいられたし、
何となくほっとする感覚を今でも忘れない。

19歳の時、私が大工になりたいと思ったのも、
イキイキと家業の大工仕事に熱中している父を毎日見ていたことが影響していると思ってる。

小学三年生までは、ひいおばあちゃん、祖父母と
その他父の兄弟と一番多い時で9人で生活。

大正生まれのアルコール依存症の祖父と、
昭和初期生まれの頑固な祖母が毎日のように口喧嘩をするので、
母はしょっちゅうイライラしてる。

それでも、三食欠かさず時間通りにご飯を作り、家事も完璧にこなす。

わたしが赤ちゃんの時には、どんなに泣き続けていても
私を放っておいてご飯の支度をしていたとか。

こんな話、今の時代だと信じられないよね?

母は本当は泣いてるわたしを抱っこしたかったけど、
嫁としてご飯を時間通りに出さなければいけないという
見えない縛りにいつも苦しんで歯を食いしばっていたな。。

だからいっつも時間を気にしていて、
私の動きが遅いと置いていかれて悲しくなることも。

ご飯を食べながら、目の前の母が歯を喰いしばっているのを見るのは
すごく嫌で嫌で、

こんな奴らみーんな大嫌いだ!

と思ってた。

きっとそんな環境にいた母は、
自分らしさなんて封印していたんだろうなと、大人になった今は思えるけど、
子供の頃のわたしにはそんな考えはできませんでした。

そんなイライラしている母に自分の気持ちや悩みを相談したいとは思えないよね。

だから私も我慢しなきゃと自然と思うようになって、
おまけに心の扉まで閉まり、かたいかたい殻が出来上がっていったのでした。

【そんな私に転機が!】

末っ子が幼稚園に通うようになる半年前、
入園したら自分の時間ができるし、
何か仕事をしたいなぁと考えるようになり、
昼間の数時間で何ができるかなといろいろ模索していたある日、

ふと『日本みつばち』を飼いたい!と思ったの。

え??日本みつばち!?って思う人が多いだろうし、
そもそも急に日本みつばちなんてワード出てこないよね。

でもね、わたしにとっては『日本みつばち』っていう
ワードは日常的によく耳にするものだったの。

それはね、結婚する前の話しになるんだ。

15年位前に大工の仕事で古い住宅の改修工事をしていたら、
縁の下から日本みつばちの巣が出てきてたの。

みつばちの巣にあるものって言ったら?
そう、はちみつだよね。

そのはちみつを舐めたら『わぁ~!!』って感動する美味しさだったんだ。

そのはちみつを食べるまではね、
はちみつの甘ったるさが嫌いだったのに、

なんと一口でお目めキラリンになっちゃったよ!

あれは今思えば、本物のはちみつに出会っちゃった瞬間だね!

そして、一緒に現場にいた父がおおきに入りで、

『これは飼うしかねえ!』

ってことで、巣箱を手作りするところから
実家の日本みつばちの養蜂ライフが始まったのでした。

あなたは『ハチ』と聞いてどんなイメージがあるかな?

当時の私は、『ハチ』といえば『怖い』ってイメージしかなくて、
はちみつは確かに美味しかったけど、
飼うなんて、、、刺されたら怖いじゃん。

というかハチって個人が飼えるものなんだ、、、
といろいろ恐怖や疑問はあったんだ。

だけど、思い立ったら吉日の父は養蜂をやっている知り合いの大工さんに電話して、
ハチの捕獲や、巣箱の作り方などを念入りに聞いて、巣箱を作り始めました!

こうして、父はあっという間にみつばちとの距離を縮めていったのでした。

こうして隕石のようにわたしの目の前にやってきて、
身近な存在になった日本みつばちちゃんたち。

飼い始めて巣箱のそばでじっと観察していると、

まあ、かわいいこと!

ちっちゃくて愛くるしいころんとした体で、
花粉を丸めて足にくっつけて巣に戻ってくる姿に
ついつい見惚れちゃってね。

一生懸命働く姿に尊さと尊敬の眼差しを送り続けちゃって、
時間を忘れさせてくれるんだわ。

だけど、そんな彼女たちとお別れしなければならないときがやってきてしまったの。

それは、わたしの結婚です(笑)

ここで暫くわたしのみつばちライフは終了し、
今度はかわいい我が子との暮らしが始まったの。

お子さんをお持ちの方なら分かると思うけど
我が子が生まれると自分のことなんて
二の次になっちゃいますよね?

そうして、自分のやりたいことは後回しの生活を
私は10年間送ってきました。
子どもを通していろんなことを教わり、わたしを成長させてくれた10年。

そろそろ自分のやってみたいことに一歩踏み出したい!

だってわたしにはわたしの人生があるじゃん!

よし!動き出せ~!

ってことで、10年前まで私を癒してくれていた
『日本みつばち』がふと脳内にやってきたのでした。
そして、みつばちちゃんたちの魅力を伝える仕事がしたい!
フツフツと私はエネルギーが湧いてくるのを感じていました!

「みつばちの魅力を伝える仕事って何?」
「いやいや、そもそもそんな仕事ないでしょ」
「じゃあ自分で起業しちゃえばいいんじゃない?」
と考えていたの。

ただこの時、起業という言葉はわたしの普段使いの辞書には入っていなかったの。

いざ、みつばちを飼うにしても、飼う場所もないし、
飼えたところでどう仕事に繋げていったら良いのか全く分からず、
そのまま子どもと平凡な日々を過ごしてました。

が、やっぱりこの熱くなった想いをほったらかしにしている氣にもなれなくて、

その想いを周りの人に話しまくりました。
『そろそろ仕事したいなと思ってて、日本みつばち飼いたいんだよねー』と。

自分の想いを声にして、言葉にして周囲に伝えていくことで、
自分の中でも飼っていくことでどうしていきたいかの
整理ができることに氣づいていったの。

氣づいてしまったら、もう黙ってるなんてもったいなーい!と思い、
ますます飼いたいんだ!という氣持ちを周囲に話しているわたしがいました。

それまでこんなことをしたことがなかったので、
話している自分に驚きもあったけど、
今思えば、心の奥底『エネルギーの源泉』から
湧き出る想いに繋がっていたからなんだろうな。

源泉と繋がれたことで、今まで自分で作りあげてきた壁を受け入れることができて、
自分の人生を創造し始めることができたんだと思うの。

そして、ここからの動きが氣持ちが追いつかないほど早かったんだ。

想いを聞いてくれたひとが、
良いじゃん!
応援するよ!
やりたいことがあるって素敵だね!
え!?みつばち?飼えるの?わたしも飼ってみたい!と言ってくれて、

飼える場所が見つかったり、同じような感覚の人とのご縁が急激に増えていきました。

自分の気持ちを言っただけなのに、不思議だよね?
今まで言いたいことを言わず、心にため込むのが当たり前で苦しかったわたしに、
急に新しい時代がやってきた感じ。

でも自分で選んだ道に何一つ間違いはないんだと思う。

自分の想いを人に伝えるってこんなに気持ちが良いんだね。

すごく心が軽いよ。

確実に魂は喜んでいたよね。

【もう逃げない】

心の変化に驚いていたある日、
知人に『わたし、カラオケが苦手なんですよね』という話しをしたら、
『じゃあ!行ってみよう!』ということに。。。

げっ!!
うわぁ〜 嫌だな~と思い、二か月位放置。

この話しをインスタライブで話し、なぜか、いや、必然だったのか分からないけど、
『だれか一緒にカラオケ行ってくださーい』と言ってしまったのです!

そして直ぐにそれを聞いた友達が、行こう!と声を掛けてくれました。
嬉しい氣持ちと、逃げ出したい気持ちで当日を迎え、

ついに自分の番が来てしまい、もう逃げられないと決意しマイクを握った。

歌い始めてそんなに時間が経たないうちに、あれ!?めっちゃ氣持ちいいじゃん!!

ナニー!この感覚!最高!もっと歌いたーい!

何だったんでしょう。24年間逃げてきたわたし。
一曲歌いきってしまいました。

歌い終わってからは、歌えた嬉しさに自然と涙が。

そして、
こうしてカラオケに付き合ってくれる友達に出会えたこと、
カラオケに挑戦する機会を与えてくれた知人に出会えたこと、
そして、自分の感情に向き合い当日を迎えられたこと、

もう全てがありがたくて、どれ一つも欠けてはここにいなかったと思うと
感謝で泣けてくる。
誰にも邪魔されたくない!ひとりの方が気楽でいいや!って思っていたけど、
やっぱり人は一人では生きていかれないんだなぁって氣づいた瞬間でした。

【本音で生きて、自然と調和することの大切さを伝えたい】

自己主張をして世界が変わり、やりたいことを見つけた!

日本みつばちとこの地球で共生し調和していくことの大切さを伝えていきたいのです。

まるで人間が生態系の頂点にいるかのようなふるまいの今、
どんどん生きにくい地球になってきているのを感じずにはいられない。

地球はもちろん、人の心までもが荒んでいる。

そんなふうに感じるのは私だけでしょうか?

自分に素直になり、みつばちのように自由に飛び回る人を増やしたい!

もっと自然の声に心を寄せる余裕があったら、世の中の異変にも直ぐに氣づいたり、
人として本来持っている力を発揮できるような氣がしてならないからだ。

自分の在り方に氣づいた私だからこそ
そう思えるのかもしれない。

自分を信じて心の羽音にマイクを向けてみるってとっても大慈(だいじ)。

だって何のために生まれてきたの?誰かの為じゃないよね。

今までは誰かの為だったかもしれなくても、
いつだって『和多志(わたし)』の為に生きられるんだって分かったよ。

今まで生きてきて辛かったこと、
悲しかったこともありがたいって思えた瞬間から、
目の前の景色がガラッと変わったんだ。

我欲ではなくて、わたしを大切にすることは社会貢献、
果てや地球貢献にだって繋がるんじゃないかな。

自分を見つめて愛してあげられたら、みつばちの羽音が、
日本人の持っている調和の精神が心地よく回転するよ。

そして、氣づいていないだけで、生き物はわたしたちに
いつもメッセージを送ってくれている。

生き物はみんな主張の名人じゃないか!

自然と心の声を破壊しないで。

自分が主張することで、世界が変わる!

あなたも想いを声に出してみませんか。

内側から輝ける人で溢れる世界に一緒に行こう!

あなたもYes you can!

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