見出し画像

短編小説 白竜様

◎例外者たちシリーズ あらすじ

ゴーストライターと無職の間を行き来しながら放蕩生活を送る主人公が、仕事や、私生活の場で、世界の片隅に潜んでいる奇妙な人々と出会い、交流する実話を元にしたフィクション。

霊能力を持つ老婆と孫の少女、早朝、井の頭公園で命懸けの瞑想している女性、フリー雀荘で出逢った“超人願望”を持つ男、不思議な言語で話す神がかりの女性、山の中にある新興宗教の施設で出逢った「弥勒様」・・・

日の光の下では見ることも認識することもできない、この社会における「例外者」たちの中に、わずかな希望の光と愛を垣間見る5つの群像劇。


例外者たちシリーズ1 

   白竜様

 それはかの大貴族、藤原家の血を引くという家系の家だった。その夏、私はとある自費出版の単行本の取材で、愛知県のO市を訪れていた。依頼してきたのは、三年前に癌で奥様を亡くしたという中年の男だった。最愛の人物の思い出を形にして残したい。これは誰にでも共感できる人間的な心情であるだろう。本という形にするのにプロの手を借りるのは、別段、恥ずかしいことではない。取材の最終日、義理の娘を失った母親の話を聞くために、この古めかしくも高雅な佇まいを持つ日本家屋を訪れたのである。

 玄関先には、小さな祠があった。中を覗くと、直径一メートルばかりの楕円形をした大きな石が祭られていた。石には蛇が這っているような白い網の目の模様があり、「白竜様」として祭られているらしい。白竜様とは、“神の遣い”とされている白蛇に由来するということだった。

「地元だけではなくて、大阪からお参りに来たりするんですよ」と依頼主のM氏は言う。
「でも、白竜様って何ですか?」と私は聞いた。「この辺りの民間信仰か何か?」
「いや、ちょっと母親が見たもので……」
「お母さんが?」
「少し変わった人なので、驚かないでくださいね」
「変わった人?」
「何でも、いろいろ見えてしまう人ということで、白竜様の先生と呼ばれているんですよ」とM氏は皮肉っぽく言った。「まぁ、少しぼけているだけかもしれないですけどね」

 M氏に続いて玄関からお邪魔すると、小さな室内犬が甲高い声で吠え立てる。知らない人間――とりわけ男性――には吠えるらしい。

 薄暗くて陰気な、きしむ廊下を歩き、いくつかの畳ばかりの和室を通り過ぎたのち、行き止まりの右手に和洋折衷の部屋があった。M氏に続いて中に入ると、夏だというのに十畳ばかりの部屋の中央にコタツが置いてあり、その向こうにちょこんと一人の老婆が座っていた。八十三歳になるというお母さんだった。息子が四十歳だから、相当な遅っ子である。小柄で、白髪のその女性は、きらきら光る邪心のない眼で、興味深そうにこちらを見つめている。何やら、本当にうれしそうだ。最初の一声は、次のような奇妙なものだった。

「おや、出世する人が来たよ」

 何のことやらわからなかったので、作り笑いを浮かべながら挨拶を交わし、しばし義理の娘さんの思い出話をうかがった。ひと段落着くと、白竜様の先生はこう言った。

「手を見せてごらん?」

 手相を人に見てもらったことはなかったが、素直に両手を差し出した。

「あなた、神社で手を合わせているね?」先生はいきなり指摘した。
「はい、合わせています」と私は驚いて答えた。「近くにあるもので……別に神頼みはしませんが」
「それは良いことだ」と先生はうれしそうに言って、左手をじっと見た。
「おや、あなた、苦労してきた人だね」意外そうにつぶやく。
「そうは見られませんが」私は苦笑して言った。
「こちらの手には、努力と苦労が現れている」と左手を見ながら言った。「でも、こちらの手(右手)には何もないね。努力はない。人に恵まれて、運をもらって生きている」
「そんなに恵まれていますかね?」私はシニカルに聞いた。
「この線」と右手の中指の下の方の線をなぞる。「この線がこんなに上まで延びている人は、あなたの年ではなかなかいないよ。人に引き上げられる線がある。だから今は人とぶつかってはいけないよ。何かおかしいと思うことがあっても、頭を下げていなさい」
「おかしいと思っても?」
「そう、黙礼で良いんだよ」と先生は頷いて言った。「ありがとう、と言う必要はない。頭を下げるのは、ただなんだからね」
「なるほど」私は内心、どきりとして言った。ちょうどその時、私には他人から葛藤を与えられるような不条理な出来事があり、どう対応すべきか悩んでいたのである。
「あなたにとって敵と思える相手ほどね、強い運を持っていたりする。あなたは頭を下げることで、その人の運をもらうことができるんだよ。だから今は反発しないの」
「今は?」
「その時が来たら、言ってもいい」
「その時とは?」
「それはあなたが誰よりもわかっている。あなたはどちらにしろ、ものごとをはっきりと言う人だからね」
「わかりました、ありがとうございます」私は礼を言って、微笑んだ。自分の中のわだかまりが氷解してゆく心地よさを覚えながら、本質を射抜く老婆の慧眼に感心していた。
「手相を勉強されたのですか?」と私は聞いた。
「白竜様が教えてくださる」と老婆は答えた。
「お母ちゃん、手相を見てもらいに来たんじゃないんだよ」犬と戯れていたM氏が口を挟んだ。「この人は忙しい人なんだから。取材に来たんだから」
「そうか、そうか」と老婆は、わがままで聞き分けのない孫に対するように言った。「でもね、この人の大事な未来がかかっているんだからね、黙ってはいられないよ。それにね、あなたの人生だってこれからじゃないの? 私はこの人を通して、あなたにも聞いて欲しいの」

 内心、バツが悪かった。私はあくまで黒子のゴーストライターとしてこの家にやって来たのである。無色透明の受け手であることが望ましい。主役であってはならないし、ましてや、ボンボンのM氏は現在、無職の身なのだ。同年代の他人を褒める母親の言葉が面白いわけがあるまい。強引に話を引き戻して取材を続けていると、玄関の方から誰かが入ってくる音がした。

 部屋に現れたのは、五十歳くらいの冷然とした顔をした美しい女と、中学生くらいのひょろりとして、穏やかな雰囲気を持つ瓜実顔の少女だった。M氏の姉とその娘さんということらしい。今日は年に一度の大花火大会があるということで、娘を浴衣に着替えさせるために実家に寄ったのである。

「この子はね、霊感があるんだよ」先生は孫を指差し、うれしそうに言った。
「ないない」と冷たそうな母親は嫌そうに言った。
「いろいろ見えるんだよ」と先生はかまわず言った。
「見えないよ」と母親は即座に否定した。

 ユリと言われている少女は、見知らぬ来客がいることなどおかまいなしに目の前のコタツに入り、携帯をいじり出した。

「この子、良い子なんだよ、わかる?」先生は私に聞いた。
「わかります」
「毎日、私に元気かって、電話をくれるんだもんね?」先生は孫に微笑みかけた。
 ユリという娘は何も言わずに顔を上げ、にこりと笑った。
「この子が普通でないのも、あなたならわかるでしょう?」
「わかりますよ」
「今はね、見ないようにさせているの」と先生は言った。「ほら、勉強があるでしょ? 気が散るからね」
「なるほど」

 すると娘の母親はうんざりした様子で部屋から出て行って、隣の仏間で亡くなった父親のために線香を上げ、般若心経を唱え始めた。ちらりと見ると、空で唱えている。

「うちの家系は、みんな空で唱えられるんですよ」とM氏が説明した。「ユリも唱えられるもんな。全部唱えられないのは俺だけ」
「僕も覚えたいと思っているんですが」と私は言った。
「覚えるとよい」と先生は言った。「般若心経があなたを助けてくれる」
「ユリ、金をくれ!」いきなりM氏が叫んだ。どうやら、名家では落ちこぼれにあたるM氏は、道化めいた役回りを心得ているらしい。
「ない」とユリはちらりと目を上げて答える。
「金を貸してくれ!」
「ないよ」とユリは言って、再び携帯をいじり出した。
「ユリちゃん、この人を見てごらん」と先生が私を指差して、聞いた。「どう思う?」
「すごい」とユリはこちらを見て、ひとことつぶやいた。
「病気や事故はどう?」
「知らない」
「気を使わなくていいんだよ」と先生は優しく言った。
 ユリは、何も言わずにうつむき、携帯をいじり出した。
「白竜様って何ですか?」と私は聞いた。
「夢に出てきたの」と先生は言った。「降りて見えられてね、あの石に宿ったって。そしたらね、翌朝、石が私を見ているの。怖い、怖い。じっと見ているんだから。これは祀らなきゃいけないと思って」
「それで、いろんな人が訪れるようになった?」
「でも、白竜様は気位が高いと見えてね、近づけない人は近づけないんだよ」
「近づけない?」
「そう、敷地に入って来れないのさ」
「今、白竜様はここにいますか?」と私はずばり聞いた。
「いるよ」と老婆は言った。「いるよね? ユリちゃん」
 少女は携帯から目を上げ、小さく頷いた。
「ほら、感じるだろう?」と老婆は左手の背後をちらりと見て言った。「そこにとぐろを巻いていらっしゃる」

 私は、その視線の方向に恐る恐る目をやった。確かに、何かがそこにいるのを肌で感じた。手に取れるほどリアルな何かが、そこに存在していた。それを感じているのは、先生と、ユリと、私だけであった。M氏は何も感じていなかったし(我々の会話に対して、呆れているようであった)、般若心経を唱え続ける娘の母親は、感じる力はあっても、あえて触れないように生きている人のようであった。おそらく、彼女がこの家では、もっとも複雑な人生を送ってきた人間なのであろう。興味を惹かれたが、身も心も、こちらに対して固く閉ざされていた。

 帰り際、出迎えの時に吠えた犬が、老婆と一緒に見送りに道路にまで出て来てくれた(母と娘は途中、花火に出かけていた)。短い間に自分のことを受け容れてくれたようで、うれしかった。私は、誰にともなく深々と頭を下げていた。それはこの不思議な家族との一期一会の出逢いに対する感謝からだけではなく、目に見えぬ巨大な存在に対する畏敬の念からでもあった。

 別れ際、白竜様の先生はこんな短歌を贈ってくれた。

 踏まれても 根強く忍べ 道芝の やがて花咲く 春もくるかな

 M氏の車の助手席に乗り込み、出発する。後ろを見ると、いつまでも見送ってくれている先生の小さな姿があった。

「すみませんね、おかしな母親で」とM氏は運転しながら言った。「いつもああなんですよ。だから友達も連れて行けやしない」
「すばらしいお母さんじゃないですか」と私は言った。「でも、ユリちゃんもとても良い子ですね」
「ユリには母親の力が全部いったみたいね」M氏は興味なさげに言う。「見た目もいいのに、霊能力まで全部持っていっちゃうんだから。俺には何もないのにな」

 瞬間、まだ明るい夕暮れの空に、一つ、花火が上がる音がした。

 試しの打ち上げだったのだろう。音ばかりで見えない花火に違いなかったが、どういうわけか、私の目には、確かにその美しい色と形が見えたのである。

※この小説は、実話を元にしたフィクションです。

(メルマガMUGA第14号・2012年9月配信 掲載作品改稿)

例外者たちシリーズ2 短編小説 秋|那智タケシ (note.com)

例外者たちシリーズ3 短編小説 超人K|那智タケシ (note.com)

例外者たちシリーズ4 短編小説 芹姫(せりひめ)|那智タケシ (note.com)

例外者たちシリーズ5 短編小説 誰一人欠けることなく|那智タケシ (note.com)

この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?