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短編小説 誰一人欠けることなく

例外者たちシリーズ5     

 誰一人欠けることなく          
                                  
    1 弥勒様

 先日、仕事でO県に行き、M教の信者と三日間ほど付き合った時の話である。

 出版業界の底辺に棲息している私は、いつしか自分でも望まぬままにゴーストライター家業をして生計を立てるようになっていたのだが、必然、様々な人種と会うことになった。出版社から振られる依頼主は実業家から政治家、医者や講師、はては怪しげなスピリチュアリストから新興宗教の信者まで、種々様々である。

 本にもならぬようなネタを持ち込まれることは日常茶飯事だが、それが自費出版となれば断るケースは稀で、どんなものでも規定枚数に収めてとりあえず形にしてしまうのが常であった。しかし、今回のように「精神病」と「新興宗教」という組み合わせの持ち主が取材相手となると、少々厄介なこともあった。

 この風変わりな青年とのやり取りは実に興味深いものであったが、守秘義務があるためその内容を話すことはできない。

 さて、取材三日目のことである。依頼主が信仰している新興宗教の施設に案内されることになった。その日、その施設には、彼が尊敬し、畏敬の念を持ってやまない「弥勒様」が光臨なさる、というのである。

 「弥勒様」といっても教祖様とは違い、全国各地にある支部の一つの支部長という立場の女性らしいが、何でも弥勒仏のような慈悲深い人格と、威厳と、異能を持った、まさに「生き仏のごとき人物」として、信者から慕われている、というのであった。

 正直、この三日間、朝から晩まで青年の躁鬱的人格に振り回されていた自分はすっかり疲れ果ててうんざりしていたので、その神のごとき「弥勒様」のご尊顔を拝みたくはなかったのだが、「これも仕事だ」という思いと、ある種の俗物的な好奇心を抱きながら、彼が子供の頃から親しんだ教会のような施設に向かうことになったのである。

 市内からタクシーで一時間以上かけて行き着いたその山の上にある施設は、思っていたよりもはるかに質素で、まるでプレハブつくりのような平屋のこじんまりした建物であった。玄関の扉の上に、教団のシンボルマークと名前が書かれた看板がなければ、目立たぬ市民会館といった外観である。私は、その教団の高名な美術館や、本部にあたる宗教施設を訪ねたことがあったので、その落差を意外に思った。表面的な華やかさとは違い、地方の施設というのはこんなものなのだろう、と察した。

 中に入ると、これまた市民会館でちょっとした会合をしていたかのような中年の女性たち(男性も一人いた)数人がにこやかに現れ、慇懃に頭を下げて珍客を中に迎え入れた。私のような立場の者がこの施設の中に入ることは滅多にないらしく、好奇の視線も感じたが、彼らは一様にして愛想がよく、気配りも行き届いていた。むしろ、行き届きすぎているくらいであり、何か絡みつくものを感じたほどだ。

 通された部屋は、長机とパイプ椅子が並ぶ八畳ばかりの小さな会議室で、窓の外の侘しい冬山の風景の他は、何一つ装飾のない、殺風景な空間であった。ただ、教祖様とおぼしき柔和な顔をした老人のモノクロ写真と、「聖言」を記したらしい墨の文字が隣の額に入って飾られているところだけが、異質であった。

 依頼主とその施設で働いていた母親を交えて数十分雑談をした後(青年の生い立ちについて聞いたのである)、ようやく、「弥勒様」が現れた。

 私は、何か宗教的な威光を放つような、美しく、品のある人物を想像していたのだが、現れたのは、ごく平凡な、銀縁眼鏡をかけた六十歳前後の主婦らしき人物であった。しかし、素性の知れぬ相手のことを見る目には鋭い光があり、私の目には彼女が「弥勒様」と呼ばれるような慈悲深い仏のような人物というより、厳格で、理知的な教師か何かのように見えた。

 私たちは名刺交換をして、簡単な挨拶を済ました。名刺を渡す時に「悪用しないでくださいね」と念を押してきたのが、印象的であった。「弥勒様」は、人払いをするように青年とその母親に頷きかけた。彼らは何一つ言葉を発することなく、こちらを見ることさえなしに、そそくさと部屋を立ち去ってしまった。

 その小さな部屋に残されたのは、なぜか私と「弥勒様」だけになった。ここから“想定外”の会話が交わされることになったのである。

    2 ラーメン

 二人きりになると、「弥勒様」は私のことを注意深く見つめ、しばらく黙っていた。

「あなたは、私たちのことをどのように見ているのでしょうか?」彼女は疑い深い眼差しを投げて尋ねた。

「どのようにとは?」私は相手の警戒心に驚いて聞き返した。

「私たちのことを面白おかしく記事にしたりしないでしょうね?」

「そういう取材で来たのではないので」と私は言い訳した。「K君の生まれ育った場所についての取材ですから。あくまで参考に、ということでお邪魔した次第です」

 どうやら、自分の来訪の趣旨が伝わっていなかったようだ。私は、改めてここに来た経緯を説明しなければならなくなった。その宗教はキリスト教と仏教を折衷したような独特な教義を持っていることは知っていたので、多少、宗教的な理解があることも示した。

 あくまで、自分は外敵でもなければ冷やかしや好奇心で訪れたわけでもなく、それどころか現実社会というものに対して似たようなスタンスの人間である、ことをそれとなく伝えたのである。すると、ようやく相手の表情が和らいだ。

「醤油と塩、どちらがお好きですか?」突然、弥勒様は微笑んで尋ねた。どうやら、ラーメンのことを聞いているらしい。

「醤油ですかね?」私は首を傾げた。

 すると「弥勒様」は部屋を出て行き、何か言いつけて戻ってきた。しばらく雑談を交わしていると、依頼主のK君が、お盆に二つのラーメンとお冷を載せてやって来た。飾り気のないねずみ色のどんぶりの中には、何一つ具が入っていない、インスタントラーメンらしきものが入っているだけであった。スープの色からいうと、片方は醤油で、もう一つは塩味らしかった。

「お昼、まだでしょう?」と弥勒様は言った。「いっしょに食べましょう」

 私は礼を言って、醤油ラーメンの入った器を受け取った。二人で無言で麺をすする。具が入っていなことに対する説明はなかった。

「このラーメン、おいしいでしょう?」と弥勒様は言った。

「ええ、とても」と私は答えた。まずくはなかったが、特に変わったところのないインスタントラーメンに思えた。

「有機農法で、麦から作っているんですよ」と弥勒様はうれしそうに言った。「無添加なんです」

「なるほどね、そういえば癖がないですね」と私は褒めた。「M教は、有機農業から芸術まで、社会に根付いた活動をなさっているんですよね?」

「その通りです」と弥勒様は誠実な口調で言った。「地味ですが、少しずつ社会に浸透していければ、と思っております」

「でも、多くの誤解や偏見もあるのではないですか?」

  弥勒様はラーメンを食べるのをやめて、私の顔を見つめた。

「たいへんな苦労というものがありました。半世紀以上、私たちは苦難の道を歩いてきたのです」

    3 五十六億七千万年後

「私たちのことを悪く言う人がたくさんいることも私は知っています」と弥勒様は続けた。「教団の子供たちや、信者の方々が、世間から白眼視されていることもわかっています。今では、昔のように表立って迫害されるようなことはありませんけどね。どれだけ社会貢献をしても、理解と言うものはなかなか得られないものです」

「それは、宗教だからでしょう?」私は核心を突いてみた。

「その通りです」と弥勒様は言った。「私たちは、この社会においては異物なんですね。境界線があるのです。だからどうしても、マイノリティとして白い目で見られてしまいます。でもね、宗教がなくては救われない人もいるのですよ? この社会はあまりにも弱者に厳しくできていますからね。誰かが受け止めてやらねばならないのです」

 私は意外に思って、相手の理知的な顔を見つめた。

「それなら、あなたは信仰者というよりは、指導者のような人なのですね?」

 弥勒様はラーメンを食べ終えると、水を飲み干して言った。

「私には信仰が足りないのです」

「でも、みなさんに弥勒様と慕われているのでしょう?」

 弥勒様は、何かを思い出したようにくすりと笑って言った。

「弥勒様とは何を意味するかご存知ですか?」

「確か、五十七億年後くらい未来に人類を救済する仏様ですよね?」

「正確には、五十六億七千万年後です」と弥勒様は言った。「そんな未来に、人類が存在するとお思いですか?」

「それはわからないですね」

「五十六億七千万後というのはね、太陽系の余命と一致するという説があります」と弥勒様は言った。「世界の終わりが救いだとしたら、私たちにはやることがなくなってしまう。そうは思いませんか?」

「そうですね」

「だからね、それは久遠の未来を指すのではなく、今を指しているのですよ。今、何をするかです。どんな誤解や偏見があってもね、私たちはやることをやらねばなりません。その志に、私は共鳴したのです」

「それが社会奉仕活動になる? 大乗的な考え方ですね?」

「そう、私たちのやっていることは大乗仏教そのものです。ただ、仏教にはない一つの約束があるんですよ」

「約束?」

「つまり、復活です」

「死後にも生き返ると?」私は目を見開いた。「あなたは、それを信じているのですか? とてもそうは見えないんですが?」

「だからね、信仰が足りないのですよ、私には」弥勒様は苦笑した。

「それなのに、弥勒様と呼ばれている?」私は疑問を呈した。「あなたのような人が、こうした役割に甘んじるとはとても思えないのですが?」

「同じ名で呼ばれている人はたくさんいます」と弥勒様は言った。「それは管理職の名前のようなものに過ぎないのです」

「失礼ですが、あなたはいつからこの道に入られたのですか?」

「学生運動に失敗してからです」と弥勒様は目を伏せ、シニカルに笑って答えた。「それから結婚にも失敗して、出産にも失敗して、病気になって、その時にこの宗教に出会って、救われたのです」

「どうやって救われたのです?」

「あなたは信じないかもしれませんが、ここの治療によって病気が治ったのですよ。それから、この道に賭けたのです。もちろん、今となってはいろいろと思うところはありますけど、幸い、私を必要としてくれる方々もいますから」

「あなたのような人がここにいてくれたことに、ほっとしています」と私は微笑んで言った。「でも、あなたはご自分の道の限界も感じておられるようですが?」

「それでいいんですよ」と弥勒様は微笑して言った。「それでいいんです。あなたはまだお若いから、ご自分の可能性を信じるのもよろしい。でもね、今、ここで私を必要としてくれる者たちのために、あえて立ち止まる人生というのもあるのですよ。そのことだけはわかってください。誰もが、いつかは立ち止まって、目の前の愛する存在のために生きなければならないのです。その身を捧げなくてはならないのです。それが命懸けということです。何かを為すためには、命懸けでなくてはなりません」

 この時、何の前触れもなく扉が開き、一人の白いワンピースを着た少女が姿を現した。七つくらいのたいそうかわいらしい顔立ちをしたお下げ髪の少女は、一輪の見事に咲き開いた白い百合の花を持っていた。しかし、少女の目は盲目者のそれで、この世界の何とも焦点が合っていなかった。うろうろとしながら、「弥勒様」と呼びかける。

「ヨウちゃん、ここだよ」と弥勒様は立ち上がって言った。

 すると少女は天真爛漫な笑みを浮かべて、そちらに歩んでゆき、「弥勒様」のスカートにしがみついた。

「ほら、お客様に花を差し上げなさい」

 少女は、「弥勒様」に手を引かれて、私の前に立った。

 そして、まるでこちらが見えているかのように、真正面から百合の花を差し出した。私が「ありがとう」と言って、花を受け取り、相手の頭にそっと手を載せると、少女はひどく恥ずかしそうに笑って、「弥勒様」の腰にしがみついた。そして、自分の試みが成功したことを誇るかのように、年配の女の顔を見上げた。

 私は、盲目の少女に手を引かれて、部屋を出た。そして別棟にある、小さな教会の講堂のような場所に連れて行かれた。

 そこには、七、八人の子供たちが、高校生くらいのまだ若い女性の指導によって、歌の練習をしていた。子供たちはよく見ると、いずれも義足であったり、目が見えなかったり、補聴器を付けていたりした。私たちが入ってゆくと、彼らはみな振り返って、こちらを見た。その顔はいずれも、何一つ汚れのない、心からの喜びと歓迎に満ちたものだったので、私は驚いて、立ち止まった。 

「さぁ、お客様に、歓迎のお歌をうたって差し上げましょう!」と弥勒様は子供たちに向かって高らかに叫んだ。

 その合図と共に、彼らは天使のような清らかな声で、賛美歌のような祈りの歌をうたいだした。私は、ついぞこのように純真な響きの歌声を聞いたことがなかった。

 誰一人欠けることなく
 私たちは神に愛されている
 あなたの微笑の中に
 あなたの夢の中に
 私たちは今、幼児のように安心して眠る

 誰一人欠けることなく
 私たちはあなたを愛している
 あなたの喜びの中に
 あなたの悲しみの中に
 私たちはいつも寄り添う、あなたの運命と共に

 誰一人欠けることなく
 私たちは未来を信じている
 あなたの永遠の命を
 あなたの愛の証を
 私たちは信じている、あなたとまた出逢うことを

 我ら神の子 
 あなたの微笑の中に 
 あなたの御手の中に
 懐の中に、今、安らいで眠る
 誰一人欠けることなく

(メルマガMUGA第21号・2013年4月配信 掲載作品改稿)

※実話を元にしたフィクション「例外者たちシリーズ」の最終話になります。

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