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短編小説 超人K

例外者たちシリーズ3
 
 超人K
 
 私がK君と遊んでいたのは、もう七、八年前のことになるだろうか。我々は無職の雀ゴロ(麻雀だけで暮らす人でなし)で、平日、休日問わず昼間っからいつもフリー雀荘に入り浸り、二人で打ち合っていたものだ。もちろん、お互いにつぶし合いは避けて、獲れるところからとっていたわけだが。
 
 当時のK君と私の境遇は、瓜二つと言ってよいほどのものだった。いや、外見から経歴、性格、容姿と何から何まで対照的なほどに違っていたのだが、世界観や、麻雀に対する心構えに対しては、他人とは思えないほど酷似していたのである。

 同じフリー雀荘で、自分と似たような人間と出会うとは思っていなかったので、私は彼に奇妙なシンパシーを感じていたし、向こうも同じだったと思う。もちろん、人として気が合うか合わないかといえば、それはまた別の問題で、お互いに敬意を持って接していたものの、学校で同じクラスにいたら友達にならないタイプだったろう。それでも、ある本質的な一点において、私と彼は同志であり、ライバルでもあったのだ。
 
 K君は百八十センチを超える長身で、ブルーカラー特有のいかつい体をしており、実際、麻雀で生活するだけではなく、日雇いで建築現場のアルバイトもしていた。水商売風の女性と付き合っていたので(時々、雀荘に顔を出した)、ひものようなものだったのかもしれないが、そのあたりはよくわからない。
 
 年齢は私と同じく三十を出たばかりだったが、えらの張った面長の顔に小さい意志の強そうな目、口髭を生やした彼の容姿は、初対面の人間にとっては威圧感さえ覚えるものだっただろう。声は大きく、しゃべり方ははっきりしていて、動作も力に満ちみちた男らしいものだった。一方、私はといえば百七十センチで痩せぎすの文学青年崩れで、軟弱にへらへら笑っているようなタイプだったから、同じ雀ゴロとはいえ好対照のタイプだったと言えるだろう。
 
 雀風は見た目どおり、K君が“剛”なら私は“柔”であった。彼はとにかく力強い麻雀を打ったが、私はスピードと動きの麻雀だった。結果的にどちらが強いかといえば、それは私の方だった。K君も私の麻雀は買っていて、「真似できない」といつも言っていたが、私も、彼の汚さのない、正直な麻雀が好きであった。
 
 何から何まで対照的な二人が意気投合したのは、お互いに「瞑想」に取り組んでいることが判明したからであった。K君は、何でも、中国からやってきたという気功の先生と知り合いらしく、気のパワーを手に入れるために瞑想をしたり、独特な呼吸法を実践したり、立禅に取り組んだり、様々な修行をしていた。これは彼とたまたま飲みに行って、気を許した時に聞いた話で、普段はこういう話はしない。
 
 フリー雀荘というのは特殊な場所である。社長から学生、サラリーマン、チンピラ、金貸し、無職者から前科者、ありとあらゆる人種が同じ卓につき、初対面でも金を賭けあう。多少、親しくなってもお互いの仕事や身の上を話し合ったり、質問したりすることはまずない。わけありの人間もいるし、偽名を使っている者もいる。たとえ仕事がうまくいっていようが、美人の彼女ができようが、それを自慢することは“粋”ではないとされるのだ。
 
 雀荘で評価されるのは麻雀の打ち方と結果のみであり、それ以上のものではない。さらにいうならば、その場を楽しいものにするキャラクターやコミュニケーション能力が評価されるだけで、雀荘の外にある価値は何一つ査定に値しない。しかし、だからこそ世間のありとあらゆる肩書きや、地位、年齢、財力といったものが剥ぎ取られ、対等な人間同士の力勝負の場となる。そこにある種の人たちは自由と魅力を感じてやってくるのであるが、現代のネット社会では、生きた人間同士の勝負の場は野暮とされる風潮があるらしく、何だか味気ないものだ、とつくづく思う。もちろん、ここでそんなありきたりの社会批判がしたいわけではない。
 
 二人が初めて意気投合したのは、とある晩秋の夜のことである。K君と私は、雀荘の裏にある飲み屋でこんな会話を交わしていた。
 
「やっぱり、メンタルがすべてだよね」と私は言った。「メンタルがだめな時は勝てないもん。技術じゃないよね、麻雀」
「N君、いつも勝ってるじゃん」とK君は笑って言った。
「それはね、メンタルの状態が良い時を選んで来ているからなんだよ。だめな時は来ないようにしてる」
「だめな時、何してるの?」
「散歩に行ったり、本を読んだり、瞑想したりしてる」
「瞑想?」
「そう、まじ坐禅組んでる」私は笑った。「いっちゃってるでしょ? でも、そんくらいやらないと勝ち続けるのは難しいよ」
「おかしくはないよ」とK君は真面目な顔つきになって言った。ここから、彼が前述したような自分の修行遍歴を語りだしたのである。数年に亘るインドの一人旅や、様々なグルや、新興宗教との関係等々…
「おれはね、超人になりたいんだ」とK君は告白するように言った。
「超人?」
「そう、一つの原理を身につけることで、すべてを乗り越えることができるような存在になりたい。先生はそれに近いかもしれないけどね、おれはそれ以上を目指してる」
「一つの原理って?」
「この世界のすべてに通ずる生きた原理だよ。その原理を理解して、この肉体に宿すことができれば、人はみな超人になる。超人になることで、人は、すべての苦しみがなくなるんだ。自分のものだけではなく、他人の苦しみさえなくすことができるだろう」
「ああ、その感覚はすごいわかるよ」と私がさらりと言うと、K君は驚いたようにこちらを見た。
 
 実は、私もまったく似たようなことを考えていたのである。いや、考えていたというよりも、そうならなければ自分は生きていくことはできない、と考えていたのだ。
 
 当時の私にとって「麻雀」と「人間関係」と「芸術」の完成は、同じ価値を持つものであった。どれも絶対的な答えがない、不可解な世界だからこそ、その不可解さを乗り越えるたった一つの真実――「超越的原理」のようなものがあるはずだ、と思っていた。自分が生きていくためには、その三つの不可解さをつなぎ、乗り越える、たった一つの原理が必要だった。その絶対的原理を感得するために、あのような放蕩生活に身を落とさなくてはならなかったのである。
 
 なぜなら、その原理なくして、ある種の人間は決して満たされることがないからである。そして私はある種の不幸な人間であり、真実を求めてさ迷うサニャーシであった。人並みの生活を楽しむためには、何か絶対的なピースが欠けていた。
 
 K君との違いは何かといえば、私は決して他者の内に真実を求めたことがなく、目立たぬよう、常に独りで作業を続けていたことである。だから、誰も私をそのような求道者タイプの人間とは見ていなかったし、私自身もそのような人間に見られることを極力避けていた。軽薄な遊び人と見られる方が気楽だったし、性に合っていた。
 
 しかし、K君のような人物との会話はスリリングで、楽しくもあった。おそらく、孤独であることに少しばかり倦いていた時期だったのかもしれない。むろんのこと、彼と知り合ったからと言って、私の中で何かが進むわけでもなかった。やはり、私は一人でいたかった。
 
 一度、K君の師匠にあたる気功の先生の下に連れて行かれたことがある。その先生は呼吸法を重視していたが、ぜんそく持ちの私にとって、呼吸をベースにした修行法は最初から論外だった。これはルサンチマンだったかもしれないが、私のようなハンディのある人間がその中に入れない方法というのは、不完全だと感じていた。呼吸法ができない私は、ここでは劣等生にすぎないだろう。何かが間違っているように感じていた。
 
 私には「見る」ことしかできなかった。他には何の武器もなかった。自分の暗闇を鷲掴みにして、直接的に見る。ただそれだけだった。そしてまなざしを上げれば光がある。ただそれだけだった。
 
 私たちの蜜月は半年ばかりで終わった。
 
 きっかけは、M田という闇金業者の社長であった。当時、M田はフリー雀荘の常連で、我々にも小金を貸したり、馬券の「ノミ屋」をしたりしていた。私自身、手持ちの金がない時にM田から一万円だけ借りたことがあるが、特別に一ヶ月間無利子にしてもらったのを覚えている。銀縁眼鏡に目立たぬ顔、ひょろりとした体躯の彼は、一見、真面目なサラリーマンに見えたが、やっていることは相当に悪徳だと評判であった。闇金のM田ということで、あだ名は「M金(Mキン)」と呼ばれていた。ちなみに、M金の前歯はすべて差し歯ということであったが、これは「殴られても金を渡さなかったからだ」と本人が自慢げに語っていた。むろん、本当かどうかはわからない。
 
 私は別段、この男と仲が悪くなった。M金と彼の中国人の愛人と三人で雀荘の近くにある中山競馬場に行き、馬券を買うのを楽しんだことさえある。実を言えば、M金に競馬を教えたのは私であった。彼がすぐに「ノミ屋」を始めるとは思いもしなかったのだ。
 
 「ノミ屋」というのは、他人から頼まれた馬券を飲んでしまう(買わない)ことで利益を上げる、というふざけた商売である。頼む方は「一割バック(一万円頼むと千円返ってくる)」になるし、わざわざ買いに行かずにすむので――今ならネットで気軽に買えるが、当時は競馬場やWINSなどに足を運ぶ必要があった――、違法行為と知りながら、ついつい彼に頼んでしまう。私はM金と共に競馬場に行く度に、「この馬券来ると思う?」と聞かれ、「来ないとは思うけど、万が一があるからやばいでしょ」などとアドバイスしたりしていた。しかし、彼の元で働くつもりはなかったし、こんなやつと本当につるんだら終わりだ、と思っていた。
 
 ところがある日、K君がM金の元で働き出した、との噂を聞いた。実際、馬券を頼むためにいつもの携帯番号にかけると、K君が出た。経済的な理由もあるだろうから、私は追及もしなかったが、K君はどこかばつが悪そうにしていた。「いずれ、独立するつもりだから」などと夢を語ったりしていたが、そんな甘いものじゃないだろ、と思っていた。
 
 ほどなく、M金が私に声をかけてきた。雀荘の近くの喫茶店に行き、自分の元で働かないか、と誘ってくる。電話一本でこれだけ儲かるよ、と言い、背広の内ポケットから百万円の札束をちらりと見せたりした。
 
「でも、取り立てとか自分はできないですから」と私は断った。
「いろんな仕事があるんだよ」とM金は言った。「Kにやらしているようなのとは違ってね、仕事にはブレインが必要だから。君には月四十万出すよ」
 
 正直、心が揺れた。麻雀で何とか日銭を稼いでいたものの、当時、競馬で負けが込んでいた私は、金欠に陥っていたのである。金がなくなると、人はどんなことでもするものだ。K君もきっとそうだったのだろう。しかし、M金の元で働いていた人間がどんな末路を辿っていたか噂に聞いていたし(何か問題がある度に下っ端が切られ、刑務所に入っていた)、その頃、私は就職活動も始めていたので、答えは保留した。
 
 その晩、先日面接を受けた編集プロダクションから採用の連絡があったので、私はM金に断りの連絡を入れた。安月給でも、堅気の道に戻れ、ということなのだろう。これは運命だ、と思った。
 
 それから数日後の週末、雀荘で遊んでいた私は馬券を頼むためにK君に電話をかけた。しかし、何度かけても電話はつながらない。締め切り時刻寸前になっても電話に出ない彼に私は怒りさえ覚えたが、しばらくして、K君が警察に捕まった、という話を耳にした。債務整理の土地の利権がらみで恫喝を繰り返していたM金が、現場で働かせていたK君にすべての責任を被せたのだ。ほどなく、M金は雀荘に出入りしなくなり、K君は刑務所に入った、という話を聞いた。
 
 K君が捕まる少し前のことである。私のアパートの近所に住んでいた彼が、彼女と歩いている姿を見たことがある。二人はしっかりと手を握り合い、お互いを絶対的に信頼した者同士の確かな足取りで歩いていた。単なる水商売の女とひもという関係ではなく、もっと確かな、魂で結ばれた者同士の関係がそこにはあった。K君が刑務所に入ったという話を聞いた時、あの彼女はどうしているんだろうな、と私はすぐに思った。
 
 当時、私は手を握り合う女性は誰もいなかった。たまに女性と遊ぶことはあったが、共に歩く人は誰もいなかった。友人も、師匠も、仲間も、理解者も、自分の周囲には誰一人としていなかった。独りで、緑多き小道を歩くのが好きだった。緑のフィルターを通して濃縮され、とめどなく溢れ出てくるダイヤモンドのような光に目を細めながら、K君と私と、どちらが先に真実に辿り着くのかな、などと思っていた。もしかすると、インドに行ったり、様々なグルの下で特殊な修行をしている彼よりも、自分の方が真実に近いのかな、などと感じていた。
 
 降り注ぐ光の中に真実があり、本物の輝きがあった。そして光は、それ以上でも、それ以下でもなく、ただ光であり、真実そのものであった。人間の観念や言葉など入り込む余地がないほどに純粋で、だからこそ我々の中に物言わずに浸透し、ときに、絶望せし人を優しく包み込んでくれる、愛の顕現そのものであった。
 
(メルマガMUGA第16号・2012年11月配信 掲載作品改稿)
 

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