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定年サラリーマンで寮暮らし

いま、ハローワークで失業手当をもらいながら
介護士の勉強をしている。

57歳。
介護する立場の勉強なのだが、
実は自分がそう遠くない未来に「介護される身」になる、
のだから
「自分の未来を勉強している」とも
言えるんだ。
ここが一番面白くて、
60前後の同じ年代の受講仲間の中でも
そういう感覚の人が結構いる。

で、60前後の仲間は
自分も含めてサラリーマンだった、
という人が多くて、
広い意味での「老後をどう生きるか」という
ことを自分の命題にして受講しているようにも思える。

僕ははずみで少し早く辞めてしまったけど、
いずれくる老いを
教科書を見たり先生の話を聞きながら
考えるのだ。

65歳にならないと年金が満額もらえない、
という金銭課題は当然ある。
だけど、社会制度で60歳になると
サラリーマンは定年。終了。
あと5年は再雇用か、
別の仕事を見つけるか、
それとも、静かに静かに暮らすか。

そして、施設に入って介護してもらって
死んでいくのだろうか。

「自分はどう老いていきたいのだろう」と
若い頃には決して思わなかった思念が
ぴょこぴょこと跳ね回るのだ。


ふっと、こんなのはどうだろうと
講習の合間に考える。

田んぼや山に囲まれた広い場所に
ただっぴろいログハウスを建てて
真ん中のスペースはみんなで遊んだり
食事をするところ。
そこを取り囲むように
一人一人の居室がある。
そこは狭い6畳間。

普通の介護施設と違うのは
暮らす人たち。
それは、気の合う友達が集まって
自分たちで運営するの。
ジジ、ばばの自治寮。

昔、東京で大学生活をしてた時
同じ県の出身者で作る自治寮に入っていた。
3年生の中から寮運営トップの幹事長を選び、
ゴミ当番を所轄する厚生幹事、
お金を管理する会計幹事
外部とのやり取りをする渉外幹事
なんて役割を作って
賑やかに共同生活をしていた。
昭和の終わりから平成の頭にかけての頃だ。

会社を辞めて最初に一番きつかったのは
孤独。
電話もメールも家族と趣味の仲間だけになっちゃうから
一気に孤独。

僕は少し早くそれを経験しているのだけど、
サラリーマンはいつかその日が来る。
サラリーマンなんか選択しなければいいのに、
といったって、
サラリーマン、会社員という身分が最もいい
と教えられ、
お尻を叩かれて、きたんだから仕方ない。
仕方ないけど、
いつかは「何にもない自分」に
否応なくされる人が殆どではないのかな。

だから
そういう「何にもない自分」になった時
もう一度仲間を作るんだ。

さっきの夢想したログハウスの周りには
農園がある。
歳をとっても農作業はできる。
農作業ができるうちに仲間で暮らし出す。
そして
収穫した野菜で宴会だ。
畑に植えた花を飾って花見酒だ。
生命が育つってのを身の周りに置いて
気の合う仲間と「なんとか」生きていくんだ。

差し当たって
入寮選考を行う。

入寮の条件は
・肩書きも何もなくなってしまった「元サラリーマン」か
 それに近い心情を抱いている者
・植物や作物を育てる気持ちがある者
・集団生活ができる者
・弱くなった仲間が出てきたら助けてあげられる者

自立できない仲間が出てきて
他の仲間だけで対応できなくなったら
その時は外から介護を入れることを
みんなで決める。

ここでは
「何かの目的のために生きる」
のではなくて
川邊透が「僕らは風に吹かれて」で描いたように
「生活するために生きる」。

そんな仲間ができないかな。。。
そんなことを考えると
失業中の介護の勉強も楽しくなる。

#未来のためにできること #退職 #定年 #老い #介護  

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