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時間の中の解釈の変化

理性が問題視されるようになったことはいい事ではあると思う。
理性的であることは、論理的思考を好み、科学的分析を助長させるといわれている。確かに、近年の科学は矛盾が指摘されるようになってきた。

しかし、根本的なところは、ロゴスが理性と解釈されるようになったことに問題がある。ロゴスとは本来は多義的であり、「理性」、「判断」、「概念」、「定義」、「根拠」、「関係」として解釈される。ハイデガーは学的解釈がその根本的意義を見せかけの内実において適切に捉えることができない場合に限り、多義的な解釈となると言っている。
以下、語りの中のロゴスの役割である。

むしろ、語りとしてのロゴスは、デェールーンと同じことであり、このデェールーンとは、語りにおいてそれについて「語られて」いる当のものをあらわならしめる。
アリストテレスは語りのこの機能をアポファイネスタイとしていっそう鋭く究明した。
ロゴスは、或るものを見えるようにさせる(ファイネスタイ)のである、つまり、それに関して語られている当のものを、しかも、語りつつある者にとって(中動相)、ないしはたがいに語りあいつつある者たちにとって、見えるようにさせるのである。語りは、それについて語られている当のもの自身のほうから(アポ)「見えるようにさせる」。語り(アポファシス)においては、その語りが真正のものであるかぎり、語られている当の内容は、それに関して語られている当の話題から汲みとられているべきであり、したがって、語りつつ伝達するときにはこの伝達は、この伝達がそれに関して語っている当の話題を、言われた伝達内容のうちであらわにし、かくして他人に近づきうるものにする。

『存在と時間』マルティン・ハイデガー

だから、ハイデガーは存在を知るためには時間的背景を知る必要があると言った。

伝統には時間に伴う解釈の変化がある。さらにその存在を追求するためには伝統的解釈を正しい手順をもって破壊しなければいけない。

解釈の多様性を把握せず単純な思考に走ることは、二元論的思考と強く共鳴する。二元論的思考とは、少し否定できるところがあれば、全てを否定する(逆もしかり)、もしくは無視しても良いという判断をすることである。

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