自我に飲み込まれない高貴な精神性を持つ民たち
盛者必衰。
日本人なら誰でも聞いたことがある言葉、平家物語に出てくるお馴染みのワードです。栄えたとしてもいづれは衰えるのは、自然の摂理として誰もが理由もなしに理解できる避けられない運命ではないでしょうか。
それにも関わらず聖書のダン族は政府ではない立場で結果的に国家を支配し、彼らの信仰を先の未来に残すことにも成功しました。各国に残るダンの名前は、ダン族の強さの証明ともいえます。
聖書で蛇をシンボルに持つ部族というのは、前回ご説明したとおりです。
聖書にある通り、ダン族は確かに頭がいい。頭がいいというのは、頭脳的なところもありますが、人格からみても、かなり精神性が高いと思いました。
白人至上主義では、ダン族はユダヤ人にも関わらず、反ユダヤ主義を広めながらも自ら迫害の対象とされるべき場所に留まりました。十字軍では、異教であるキリスト教の中に敢えて身を隠しながら、キリスト教を歪め、キリスト教徒とやイスラム教徒と戦いました。古代ケルト人だった頃は、潔く敵に降伏。敵と同化することで彼らの勢力を伸ばしたりするなど、彼らの頭脳戦は圧倒的です。(おそらくローマに関しては、内部から破壊したのではないかと推測します。)
紀元後はとくに、不満や批判、非難されることで常に人間の敵である立場にいたように見えます。そうやって彼らは裁きを担う民として存在していたのかもしれません。
しかし、いつまでも我々も信仰心を忘れたままではいけませんし、後の世に残せるような精神性を築かなければいけません。彼らがどうやって彼らの影響力を1000年という長期的なスパンで保持できたのか、今回はそのあたりを見ていこうと思います。
実はこの時代にも、アフリカに彼らと同じ名前であるダンと名乗る集団がいます。しかし、旧約聖書に登場するダン族と同じであるかは分かりません。というのも、同じかどうかを判断することは、アフリカのダン族の性格上、おそらく不可能だと思います。アフリカのダン族が旧約聖書のダン族と同じと仮定して推測していこうと思いますが、最終的なご判断はお任せします。
はじめに本記事の主要参考文献をご紹介します。東京外国語大学総合国際学研究院(国際社会部門・地域研究系)教授の真島一郎氏が書かれた論文によるものです。
まさか大学の論文でこのような内容を読むことになるとは思いもしませんでしたが、大変貴重な資料ですので真島氏には感謝したいと思います。
アフリカ社会では、あまり知られていませんがpoloの名で称される最高結社があり、大多数の民族の政治と社会組織の中枢を担っています。儀式による霊的な存在が結社のイデオロギーを支えているようです。シャーマニズムですね。それらは、部族の内政と外交問題の処理、交易調整、経済活動の監督、司法活動など、社会の中心制度で、かつては植民地体制への抵抗運動を推進する主体でもありました。
アフリカと言えば、発展途上国であり、農業大国でもあり、奴隷貿易の悲劇のヒロインでもあった印象が強いですが、実は一風変わった一面も持っているようです。下記の記事は綾部恒雄氏の内容ですが、クペル族生贄を模した儀式が集団の裁判を含めた決定や方向性を決めています。
「ポロ」、西アフリカ・クベル族の成人儀礼・・綾部恒雄氏「秘密結社」 - 始まりに向かって (goo.ne.jp)
真島氏の論文によると同じような形態でダン族は秘密結社を構成していると言います。象牙海岸共和国西部、リベリア共和国東部後背地の両国境地帯に移住しているダン族は、ダン語と呼ばれる彼らの言葉で話す人口は約35万人弱にもなるそうです。部族って結構多いんですね汗。移住ということは移動している集団なのかと🙄
秘密結社には結社長はいますが、匿名性があって誰が結社長になるかは分かりません。秘密結社自体は、この世の万物のうち最大のもの、他のすべてを支配するものと認識されています。儀式や裁判を行う人間自身、もちろん結社長でさえも代理に過ぎず、ものでも人間でもない祖先が生まれたときには存在していたものによって動かされていると彼らは自覚しています。構成員は全て男性。ダン族は基本的には父系集団でユダヤ教と同じく男女の割礼もあります。
結社の下部組織として監督義務を負う高級構成員である小結社長を各村落に配置。小結社長たちは結社裁判の司会を務める役職や長の言葉を伝える使者の役割、結社の祝別を述べる役職など様々な役割がありますが、もっとも重要な役割は特定の家族の世襲職でもある【仮面】を着用する役割になります。血統主義ということですね。それに付け加え、大結社長の村を守るための特定の父系集団からなる軍事組織も存在します。これらは、一部の部族間での話ではなく、村同士の訴訟など重大な問題を採決する司法機能を果たしています。
ダン社会において経済的有力者である「戦争の父」と呼ばれる首長がいます。娘の嫁入りの見返りに婿側から婚資を受けたり、調停代わりに物資を徴取するなどして財がもともとある立場です。戦争の武器調達は資金力が必要になるため、彼らが軍事物資を調達するようになったことで、やがて「戦争の父」と呼ばれるようになりました。
しかし、戦争の発動権は「戦争の父」よりも大結社長の「背後」にあります。「戦争の父」はあくまでもお金を動かす役なのです。
一昔前の私たちの生活では、お金が全てで金払いのいい人が最も権力がありましたが、ダンの社会の価値観は違います。
「戦争の父」は惜しみなく捧げる者として称えられてはいますが、貧しくても誰もが恐れる存在こそがリーダーであり「戦争の父」さえも支配することができるのは、唯一、1人しかいないとしています。それは自分の考えだけでなれる存在ではないとされ、自我に飲み込まれない精神が必要とされます。
組織を統括する大結社長の「背後」にあるもの。
霊や神と呼ばれるような人間を超越した存在たち。
その何ものかが、大結社長の肉体へ憑依して意志を伝えて人間が代弁しているため、歴代の大結社長たちはみな代理の不死の存在とされ、みな同じ名前を持ち、同一の存在としてみなされています。もし、大結社長が死ぬようなことがあった場合、体は公衆の目から離されて埋葬されます。そうして、同一の存在とされる次の新しい肉体へと憑依し、歴代の大結社長たちと同じ名前で呼ばれることになります。
秘密結社のルール
秘密結社には平和を維持するためのルールがあります。
①争いの現場にいてはならない
②自らが率先して平和を体現し、暴力を徹底して嫌うような人物でなければならない
③悪事を犯して自分で規則を破ってはならない
④嘘をついてはならない
⑤軽率な口を聞いてはならない
⑥人を分け隔てしたり、批判したり、侮辱してはならない
これらは、肉体を所有する人間が守らないといけないルールです。しかし、秘密結社は村にトーテム(霊的存在)を一番はじめに招き入れたのだから、人を支配する側にいる者であって、なんびとによっても支配されることはない。よって、秘密結社の司法判断は絶対的に正しいという優越的な立場を自ら置いているようです。
それでは、秘密結社に反対する村人がいた場合、どういった制裁が下されるのでしょうか?
結社の決め事に納得がいかず、激しく言い当たられようとも、彼らの平和のルールに基づいて大結社長たちは優しく諭します。首長も冷たい心を持つため、激怒などはしません。不気味なほどの落ち着きを保ったまま、大結社長たちは『分かりました。それでは森で静かに寝てください。』と静かに言って終わります。
実は「森で静かに寝る」とは、死を意味するダンの古表現になります。
この死の合言葉を告げられると、その後、まもなく村人は自然に死んでしまいます。
っ・・・!?😲😲😲
そんなにタイミングよく人って自然に死ねるの!?😲😲😲😲という感じですが、もちろん、これは彼らが殺したというわけではありません。彼らの軍事組織も内政には関与はしません。秘密結社員たちが殺ったというわけではないようです。
では、いったい何が起こっているのでしょうか?
興味深いことに、おそらくアフリカの秘密結社の世界では、妙術師と呼ばれる特殊能力をもった人間がいます。彼らは神の最初の子であり、神が造ったものだと言い伝えられていますが、妙術には定義はいくつかあるようです。
・・・・・・!!!!😨😨😨😨。
病に陥れる!?肉体を共食!?
わずかな空間を通るってそんなに平ぺったいの??瞬間移動?
原理はよくわかりません。ここまでくると理解不能の域ですので深く突っ込みません。
妙術師の定義は他にもあるようです。
一見、妙術退治師を除いて平凡な職能に見えますが、異常な肉体労働をこなすなど、人間離れした超人の能力を持つ人々の場合は高級社員に当たります。それと、もう一つ高級社員に含まれる謎の妙術師も。
なんなんでしょうね。こちらもよくわかりませんが。
とにかくゾっとしますね。。。
他の部族の秘密結社もそうですが、村落などの下部組織では、結社を話題にすることは禁忌ですので、実態は部族と結社にしかわかりません。
ですので、一般には「秘密結社は人を殺さない」と周知されていています。結社の老人たちも「秘密結社は人を殺さないし、妖術も試みない、服従しようとしない者にすら何もしない。」と、口を揃えますが、一方では「妖術は邪悪なのに、それが全然ないと何故この世はうまくいかないのですか?」と思わず言ってしまうことも。「じゃあ、(秘密結社がいなければ)いったい誰がこの世を治められるのだ」と。というのも、秘密結社が現れる前から紛争や暴力が絶えなかったという言い伝えがあり、彼らが現れたことで平和になったそうです。それは、結社の制裁に対する恐怖によってですが。
秘密結社の制裁
具体的な制裁は厳格な作法に伴う罰金と暴力によるものがあります。
争いをした時点で制裁対象になるということは、言い換えれば、彼らの制裁が許されるのは争いを起こそうとした人物ということです。争いは、大半が言葉が伴います。つまり、念と言葉=言霊です。大結社長は反対する村人がいても優しく諭すだけとありました。結社の老人たちも、秘密結社は服従しようとしないものたちに何もしないだろうと。これらは、彼らにとって念と言葉=言霊は、裁きを左右させるほどの重大な神秘的要素があるということが想像できます。
罰金で収まるならまだいいのかもしれません。裁きを無視した首長国の大罪者が死亡するようなことがあると、益々、秘密結社の存在が大きくなっていきます。
そして、秘密結社の妖術以前に、秘密結社を恐れる人々から成るいわゆる社会主義(全体主義)的な社会構造も結果的に制裁を下しているのです。
仮面の存在
シャーマンや巫女は神が宿って本人らしからぬ言葉が出てくるのが、一般的なイメージです。まさにそんな感じなんだろうとは思いますが、実際の部族の場合は、システム上でなされているため、個人的な一人によって代弁されているわけではないようです。
神。霊。精霊。超越した存在。ダン族のそれらは、森からやってきます。森は奇怪化した妖怪や精霊がさまよう空間で、仮面を着用した人間の現身を借りて現われます。それらは特別な名前で呼ばれるため、仮面着用中は個人的な名前では絶対に読んではいけないルールがあり、もちろん、着用者も身内や友人に個人的な態度で接してはいけません。
精霊の頭と言われると、ダン族は人頭崇拝を思い出しますね。ケルト神話に登場に登場するデュラハンは死を予言する存在だとされています。
仮面には階級があり、「青年の精霊」と呼ばれる見事な踊りを披露する仮面がいます。中間層の地位の上位である青年の精霊が、なんらかの形で精霊の強さを発揮した場合は、秘密結社の協議の結果次第で昇格します。ですので、踊りがかなり上手いというのは大前提になってくるため、踊りによって災害から救済した例も多々もあるようです。上位層は高齢者が占めています。
平和的パフォーマンスの裏側では暴力的な面である「殺られたくなければ従うしかない」という恐怖感で社会を作り上げるには、妖術による攻撃が必須になってきます。それが、ダン社会の「平和」なのです。
恐怖の精霊には、部族内部の重大な調停には「裁判の精霊」、紛争の調停時には「戦争/戦士の精霊」、罰金要求のへの不安感を人々に与えるために「罰する精霊」がいます。
また、裁かれるものの恐怖の観念は、普段から強いインパクトを与えるために公衆への暴力的パフォーマンスも施されています。
想像するのは胸が痛くなる光景ですね。祭りの酒は強奪した酒が使われるのはダン族に限らずアフリカの社会でもよくあることのようです。
平和主義でもあるが暴力は神によって容認されるということなのか、争い時や紛争時には暴力が善とみなされるため、暴力によって死んだ者に対しても「正義の結末」として解釈されます。
ダン族に関わった他の村たちの不可解な死も後を絶えません。ダン族の村で死んだ他の村の人の遺体を引き取らずに埋葬するように結社長に指示したところ、不敬とみなされてしまい、村落を崩壊させる合図を示したあと、村の老人たちが次々と死亡。大結社長に貢物を献上することでようやく収まりました。ダン族を知らないまま、仮面に交戦を挑みに来た他の村の仮面がやってきたこともありました。ダン族の仮面は自ら名乗りを上げて姿を現すだけで他の村の仮面と交戦しようとはしません。その後、調子に乗って他の村の仮面は秘密結社まで乗り込もうとしますが、秘密結社の村に行く手前の村で理由もなく死亡します。もちろん、なぜ、どうやって彼が死んだのかは誰も分かりません。
まるで映画やアニメのような世界ですね。
声の存在
仮面は視覚的に認識されている存在ですが、もう一つ、「夜の精霊」と呼ばれる変声器を口にくわえて村人の耳に届く聴覚的に認識される存在がいます。
dian(声)の存在は、血縁関係を必要としないため、そういう意味でも違った立場なのかもしれません。さらに森の精霊でもなく、音を発する人間でもない。しかし、森に起源はもたないが人間界の発生物でもある、実体をもたないdian(声の存在)はこのように表現されています。
dian(声の存在)は通常は割礼儀式時の護衛をする役目ですが、妖術が起こった時にもっとも必要とされます。妖術の悪用を防ぐためです。村びとに突然の不審死が発生して妖術が疑わしい場合は、村人が寝静まった頃を見計らって真夜中に村中でその内容を声に乗せて響き渡らせます。仮面とは正反対に村人たちはその声に向かって自分たちの考えをストレートにぶつけます。
ばばあというと妖術師は女性なんですかね?🙄
おもいっきり名指しなので、村中では告発された人に対して次第に不信感が強まっていきます。確信犯であれば自分の精神的な居場所がなくなることで観念して自白することもあるようですが、告発者の家族が怒りのあまりdian(声の存在)に暴力をふるうこともあります。その場合は、仮面が集う秘密結社が裁き、「誰の声でもない存在に、まるで人に対するような怒りをぶつけた」として罰金刑が下されます。
こうして、仮面と声の存在が相互に管理しあうことによってダン社会の均衡が保たれているわけです。
さらにdianが己の役割を辞めようとするとき、ここでもダン族は言葉を選びます。
以上が論文の内容ですが、イギリスに渡って世界を支配してきたダン族なのか、断定することはこの時点ではできませんが、可能性としては十分にあると思います。割礼や彼らの食生活を見てもユダヤ教に通ずるものもありますし、中央集権がない組織というのは、聖書のダン族やケルト人にも共通している点でもあります。まぁ、結構似てますよね。とくに今アフリカで猛威をふるっているダナ・アンバサゴーとか。
ダン族はドゴン族に敵対する勢力と言われていますが、
①対立する2つの勢力に分かれ互いに争いを起こすように見せかけて、目的は互いの不都合な勢力を排除することにある
ドゴン族もまた蛇神信仰と考えると、両建て社会の中で成り立っているのではないかと思います。ダンの強さは妙術師を見ていてもわかるように向かってきた相手への制裁時に働きますので、怒りを掻き立てる理不尽や対立は必須です。
もしくは、わずかな可能性として
②ダン族の中に改心者(裏切り者)がいる。
秦氏と関係がありそうだなと思いますが、昔読んでいた資料が見つかったらまた記事にしようと思います。
アフリカのダン族は散らばったダンの末裔の一部なのか、モロッコからマリ帝国が崩壊する前に流れてきたのかどちらだと思っていますが、こちらも気が向いたらいつか調べてみたい案件です😃
ダン族を見ていて思うことは、彼らが、いかに言葉と感情を慎重に扱っているかということです。ダン族の秘儀はこの論文以上のはずですが、1つ言えることは『言霊』であることは間違いないと思います。
それこそが、この妖術に力を与え、この何千年もの世界を圧倒してきたとするなら、我々の精神性も今一度、見直す必要があるのではないでしょうか?
ダン族は常に誰もが知っているわけではない先祖の名を遺してきました。霊を宿す肉体も個人の名を使用しようとはせず、人間によって人間を支配しようとしなかった。そして、頭蓋崇拝では敵の頭部を祀るなど、そこには、歴史の表に出ようとは決してしなかった彼らの謙虚さが伝わってきます。また、神が人間を裁くのであって、人間は人間を裁くために作られたのではないというユダヤ教の教えを忠実に守っているという点からしても、彼らのほうが信仰心はかなりあつい。
現代ではどうでしょう?見たこともない100年以上前の先祖の名も、会うこともない何世代も先の子孫のことを考えながら自分の人生を生きている人はどれぐらいいるのでしょうか?悪い人間を裁きたい、有名になりたい、人々を圧倒させたい、自分よりも活躍してほしくない、そんな欲が溢れているのが我々の世界であり、それが失われた信仰心のようにも思えてきます。
彼らが我々の敵になるのか味方になるのかは分かりませんが、敵になったとしても、彼らの精神性には適うはずがない。
ましてや、自分の感情一つでさえ我々はコントロールできないでいる。事あるごとに反応し、怒りや嫉妬、不安や恐怖を一時的に抑えても、後でそれらの感情が再び付き纏うのは、自分自身を知らないからです。自分の扱い方を知らないから、自分をコントロールすることができない。
そんなところから、哲学に必要性を感じて哲学研究に取り組むようになりました。だいぶ長い前置きになりましたが(笑)、知っているようで知らない「私」を追求して虚無から脱出することが今の私の狙いです。
今日の記事を書くためにダニエル書から解説していたのですが、無事に投稿できてよかった。。。(泣)
今日の記事長いですね!1万2千字ですって(笑)
ここまで読んでくれたことに感謝です🙏✨本当にありがとうございました🙇
それでは、また~!!!
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