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【旧約聖書ダニエル書】農地開拓で広がる犬🐕‍🦺と戦争の歴史

ダニエル書第8章の解説も終盤ですが、ヤギ信仰が何を信仰していたのかを整理してみようと思います。

スケープゴート

スケープゴートとはヘブライ語: עזאז(アザゼル)という言葉に由来し、レビ記16章に登場します。

7 アロンはまた二頭のやぎを取り、それを会見の幕屋の入口で主の前に立たせ、
8 その二頭のやぎのために、くじを引かなければならない。すなわち一つのくじは主のため、一つのくじはアザゼルのためである。
9 そしてアロンは主のためのくじに当ったやぎをささげて、これを罪祭としなければならない。
10 しかし、アザゼルのためのくじに当ったやぎは、主の前に生かしておき、これをもって、あがないをなし、これをアザゼルのために、荒野に送らなければならない。

レビ記16章

ドイツの神学者でもあり、セム語学者のゲゼニウスは、アザゼルを「アバター(回避者)」とし、ヤギの犠牲によって鎮められる神の名であると説いています。

アザゼルとは何者なのか?

堕天使としてのアザゼルはもともとは神に命ぜられて地上の人間を監視する「見張りの天使たち」でした。アザゼルら見張りの天使の首長たちは、人間を監視する役割であるはずが、人間の娘の美しさに魅惑されて妻に娶るという禁を犯します。旧約聖書のひとつであるエチオピア語の第一エノク書』によると下記のように記載されています。

  • アザゼルは人間の女性と交わる誓いを立ててヘルモン山に集まった200体の天使たちの一人で、その統率者の一人であった(第6章)。

  • 200人の天使たちは女性と関係をもち、女たちに医療、呪いなどを教え、女性たちは巨人を産んだ(第7章)。

  • アザゼルは人間たちに剣や盾など武具の作り方、金属の加工や眉毛の手入れ、染料についての知識を授けた(第8章)。

  • 神の目から見れば、アザゼルのしたことは「地上で不法を教え、天上におこなわれる永遠の秘密を明かした」ことであった(第9章)。

  • 神はラファエルにアザゼルを縛って荒野の穴に放り込んで石を置くよう命じた(第10章)。

  • エノクは縛られて審判を待つアザゼルを見て声をかける(第13章)。

  • 天使の言葉のなかでアザゼルが堕天使の頭目として言及される。第69章では堕天使たちのリストの10番目にその名が挙げられている(第54・55章)

『アブラハムの黙示録』では7つの蛇頭、14の顔に6対の翼をもつとされています。アザゼルらとともに200体ほどの見張りの天使たちが地上に降りたち堕天使となって降臨したとも。ちなみにサタンは2等級らしいです😃

ここで、ダニエル書第8章を振り返ります。

8 こうして、その雄やぎは、はなはだしく高ぶったが、その盛んになった時、あの大きな角が折れて、その代りに四つの著しい角が生じ、天の四方に向かった。
9 その角の一つから、一つの小さい角が出て、に向かい、に向かい、麗しい地に向かって、はなはだしく大きくなり、
10 天の衆群に及ぶまでに大きくなり、星の衆群のうちの数個を地に投げ下して、これを踏みつけ、

旧約聖書ダニエル書第8章8~10節

エチオピア聖書研究によると星の衆群は聖徒=天の使いと解釈されますので、そちらを採用してみて考えてみます。ちなみに日本を含めた多神教の神々とは天使のことじゃないかと思っています。出口王仁三郎は神の分霊であると言っていたようです。

ヤギ信仰が数体の天使を落とし、さらに踏みつけたという解釈ができます。

新約聖書を見ると、どうやら大天使と激しい戦いがあったことが書かれています。

ヨハネの黙示録12章はさらに詳細が書かれています。もしかしたらダニエル書よりも前の出来事なのかもしれないですが。

3 また、もう一つのしるしが天に現あらわれた。見みよ、大おおきな、赤い龍がいた。それに七つの頭と十の角があり、その頭に七つの冠をかぶっていた。

9 この巨大な龍、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼よばれ、全世界を惑わす年を経へたへびは、地ちに投げ落おとされ、その使つかいたちも、もろともに投なげ落おとされた

ヨハネの黙示録12

ヨハネの黙示録12 (churchofjesuschrist.org)

9節のその使い立ちというのは、お仲間の200体の堕天使たちでしょうか・・・😀😀😀

そして、この蛇でもあり、サタンでもある悪魔はキリスト教ではルシファーと呼ばれます。なんか、いっぱい名前がありますね汗。
ルシファー - Wikipedia

ダニエル書第8章を読み進めても、ヤギ信仰が国家と宗教、あらゆるものを戦争のような暴力と破壊を使って二千三百の夕と朝の間、支配してきたというような内容が読み取れます。

13 それから、わたしはひとりの聖者の語っているのを聞いた。またひとりの聖者があって、その語っている聖者にむかって言った、「常供の燔祭と、荒すことをなす罪と、聖所とその衆群がわたされて、足の下に踏みつけられることについて、幻にあらわれたことは、いつまでだろうか」と。
14 彼は言った、「二千三百の夕と朝の間である。そして聖所は清められてその正しい状態に復する」。

ダニエル書第8章13節~14節

私見ですが、この二千三百の夕と朝という表現に関して、旧暦という言葉があるように暦が変えられたり、もともとユダヤ教も太陰暦から太陽暦を採用していたりもしますので、日数であらわすのではなく、敢えて朝と夕で表現しているのは、ここでも時代に沿った解釈ができるようになっているということではないでしょうか😃

五芒星

よく五芒星の象徴として表されるのが人間の体です。小宇宙と表現されることもあるみたいですが。

五芒星

ヤギ信仰であるバフォメットは逆五芒星でした。

逆五芒星

人体を逆さにすると・・・


落ちていく人(堕天使)


こうやってみると、こんなところにも堕天使が表現されていますね。

頭蓋崇拝

ヤギ信仰がケルト人の中にいたということは、彼らが信仰しているのは堕天使ということが分かってきました。

後半は少しずつ現実に近づきながら考えてみようと思います。

デュラハン

アイルランド発祥とされるケルトの「アンシーリー・コート(妖精)」とよばれる妖精の一種をご紹介します。アンシーリーとは神聖ではないという意味です。
首のない男性の姿で馬に乗り、首を手に持つか胸元に抱えているというなんとも奇怪なお姿で登場😨ガン・ケン(アイルランド語: で「無頭/首無し」)の異名もあるそうですが、そもそもは「首無し馬車」や「音無し馬車」である伝承もあります。その首無し御者がデュラハンとみなされます。
家の人が戸を開けると盥(たらい)にいっぱいの血を顔に浴びせかけるともいわれ、この死の馬車(英語版)は、死を予言する存在であり、死人が出る家の元に現れます。


デュラハン

デュラハンは自分の姿を見られる事をひどく嫌っていて、姿を見られると手に持っている鞭で目を潰されそうになるとも😨😨😨

そして、弱点は、!!!✨✨✨


デュラハン伝承の根底にあるのは、ケルト人人頭崇拝によるものと言われています。
ケルトのミレー族に信仰されていたクロム・クルアハという神は、忌まわしき三日月という和名を持ちます。太陽と戦いと死をつかさどり、古代アイルランドでは首を切り落とした生贄が捧げられていました。
首に生命力が宿るという思想のもと、首を切り落とすことでその霊性を手に入れ、土地を守り豊作を得る信仰によるものです。ちなみに先に登場したルシファー明けの明星が象徴とされることもありますので、我々にとって不自然な信仰も太陽信仰であるということは意外なところかと思います。

歴史の中でも、古代ギリシアの歴史家・ディオドロスの『歴史叢書』には、敵の首を戦利品として持ち帰って祀るケルト人についての記載があります。ヴァイキング時代では、死者の復活を防ぐため、葬儀の際に頭を切り落とすという慣習もあったそうです。

実は、日本でもケルト人の影響がちらほら見られます。

ナチスでも人頭崇拝があり、ナチスの場合は優秀なアーリア人男性の首を切り、その切断された頭を使って、「コーカサスの秘密のマスター」と呼んでいた異世界の霊たちを導いていたとも。

世界各国の歴史には生贄には人間以外にも様々な動物が捧げられることがありますが、頭部を捧げるのか、頭部以下なのかという違いもあるようです。

犬神信仰

人間ではないですが、動物の頭を生贄にしていたという言い伝えが我が国にはあります。

犬神の憑依現象は、平安時代にはすでにその呪術に対する禁止令が発行された蠱術(こじゅつ:蠱道、蠱毒とも。特定の動物の霊を使役する呪詛で、非常に恐れられた)が民間に流布したものと考えられ、 飢餓状態の犬の首を打ちおとし、さらにそれを辻道に埋め、人々が頭上を往来することで怨念の増した霊を呪物として使う方法が知られる。
(略)
他の憑き物と同じく、喜怒哀楽の激しい情緒不安定な人間に憑きやすい。これに憑かれると、胸の痛み、足や手の痛みを訴え、急に肩をゆすったり、犬のように吠えたりすると言われる。人間の耳から体内の内臓に侵入し、憑かれた者は嫉妬深い性格になるともいう[6]徳島県では、犬神に憑かれた者は恐ろしく大食になり、死ぬと体に犬の歯型が付いているという[7]。人間だけでなく牛馬にも、さらには無生物にも憑き、に憑くと使い物にならなくなるともいう[4]

wikipediaより

犬神 - Wikipedia

お供え物をしないと子孫まで呪い続けるとも言われ、結婚をするときは相手が犬神筋なのか?をまず確認していた程だそうです。
自分の家系が犬神筋だったらと思うとゾッとしますな・・・(笑)
ちなみに稲荷神社が一部の人々に恐れられているのも、稲荷=イナリ=イヌナリが訛ったことによるとも考えられているそうです。

犬族と妙見信仰

前回の記事でサタニストが、ドイツはもちろんのこと、イタリア、エジプト、インド、日本に対して友好的な見方があると書きました。https://note.com/tender_roses661/n/nc800d8b707b7

実はこれ、広義の印欧アーリア人の図式なんですよね。なので、日本人にも白人の血が流れているという説です。
その背景には犬神信仰が共通しています。犬はもともと冥界の番犬とも言われていまして、北欧神話のガルムやフェンリル、エジプトのアヌビス神、ギリシャのケルベロス神など各国で信仰されていました。犬を自分たちの祖先だと考える犬族もいたようです。
ただ、犬と狼を同一視すべきなのかは疑問ですが。

犬神信仰とワンセットで考えられている妙見信仰があります。妙見信仰の妙見菩薩は密教の仏様でもあり、別名、北辰信仰とも言われます。北辰とは北極星のことですので、北極星を神格化した信仰です。北極星の周りに小さくて見えずらい輔星という見えにくい星があるんですが、それらはローマ時代の眼の検査にも使われていました。

北極星の周りを巡る北斗七星オリオン座を観測しながら大河の反乱の予測をして1年の農作業の計画を立てていたそうです。ですので、農耕民族にとっては大事な占星術でした。エジプト神話ではイシス神北斗七星と同一視されてもいて、エジプトでもナイル川の氾濫を予測するために役立てていたそうです。日本の妙見信仰は、陰陽師が使う天文図の式盤には北斗七星が入っているため、安倍晴明と関りが深いとも言われています。安倍晴明の師は賀茂忠行なので、遡ると賀茂氏の陰陽師から受け継いだものです。そうなると、時代は縄文時代後期でしょうか。
妙見神社を建立していたあの平将門も妙見信仰に熱心でした。中央の北極星の周りに北斗七星輔星を並べた紋所は妙見信仰九曜星を表していて、平将門の子孫を名乗った相馬の相馬家も、将門が建立したことで有名な千葉七妙見のある千葉の千葉氏も、九曜星を家紋にしています。(※千葉氏はのちに月星紋に変更。)あの日本地図を作った伊能忠敬も千葉氏の分家で坂東平氏の末裔です。伊能本家の敷地内に安倍晴明の碑があったそうですので妙見信仰の影響は歴史的に見てもかなり長いです。

しかし、開拓を進めていくには獣害が問題になってきます。現代でも獣害に悩まされる農家は少なくないですが、大昔でも獣害は大変悩まされてました。
そこで、獣害対策に使われたのが「山犬」です。日本だと、犬と狼を交配させたものが使われていたそうですが。犬の地名はその名残とも言われています。
当時の天文観測は全国規模で農作業を行うスケジュール作成を担う国家の一大事業でした。定点観測をするために膨大な資料を保管するためにも国分寺や官弊社が使用されていたため、犬を派遣できたのも役小角を始祖としていた天台宗や狩場明神の導きで高野山を開いた真言宗のネットワークからでした。ですので渡来人が持ってきた文化とも言われていますが、アイヌや東北では猟犬は縄文時代からいましたので、もっと古くからあったのでは?と思っています。妙味信仰を伴った猟犬という意味では渡来人由来かもしれないですね😀
こういった犬の役割が歴史の中ではあまり見ることができないのは、いつしか、獣害対策として使われていたはずの犬が「軍事機密」として扱われるようになったからです。
例えば、軍事訓練のために行われた鹿や猪を狩る中世の巻狩は猟犬が用いられていました。実戦では、南北朝の戦乱期に新田氏の家臣、畑時能が犬獅子と呼ばれる犬を使って城を攻め落とすことに成功。太平記には犬獅子を敵城に忍び込ませて、泣き吠えで守りの薄いところを時能に知らせたと記されています。この戦いは、初の犬を使った軍事記録となりました。よって、犬塚明神や犬頭明神は戦死した犬の霊を慰めるためにあったのでは?と言われています。

そう考えると世界各国の警察犬も妙見信仰の流れかもしれないですね🧐

ざっと犬神に関してお話していましたが、まとめてみると
〇〇族<〇〇〇人<ケルト人<アシュケナジー(白系ユダヤ人)<印欧アーリア人<犬神信仰農耕民族(イヌ族?)
という構図ができあがります。〇〇に関しては、説明しだすと長くなりますので次回以降に説明したいと思いますが。ケルト人やアシュケナジーが悪いとか、アーリア人が悪の根源だと言うつもりは全くなくて、アシュケナジーの一部がとか、アーリア人の一部がという話になってくるんじゃないかと思います。
言い換えれば、日本人にも野蛮人と言われていた人々の血が流れている可能性はあるかもしれませんね😅

狛犬

ですので、何が悪なのかを問うことに自体に意味はあったとしても、それは解決策にはなりません。なぜなら、聖書の通りに読み解くならですが、彼らを動かしているのは彼らが信仰している人間を超越した存在なのであり、その存在を受け入れる(肉体)がある限り、彼らはいつでも人間の姿になって(人間に乗り移って)降臨するでしょう。このことは、繰り返される戦争が証明しています。
しかし、彼らがどうやって何千年も前から(何万年も前から?)今日まで信仰を続けることができたのか、彼らがどうやって勢力を拡大することができたのかを解明することは、なんかしらのヒントになるかもしれませんね。


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