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渋沢栄一と私のシンクロニシティ

幕末から明治にかけての激動の時代は、思い起こす度に、先人たち偉人達の奮闘が感じられ、感慨深いものがあります。

幕末のヒーローの一人として、坂本竜馬がいますが、私が学生時代にはなんと、その坂本竜馬の生まれ変わりと称する人がいて、もちろん信じられない人がほとんど(^0^)と思いますが、

私に何度も電話をかけてきたことがありました。

当時、私は宇宙考古学やUFO、地球の未来に関心を寄せていて、私にいろいろ宇宙的発想のアドバイスをしてくれていたのでした。

(何かあやしい雰囲気ですね、笑い)

その後、学生時代の夢ロマンから現実路線に舵を切って、社会の荒波に揉まれた私は30代で独立しました。

そのとき、東京丸の内の東京商工会議所に法人会員の手続きをしたことがありました。このとき、「近代日本経済の父」と説明された写真が掲げられていました。

この人は誰? とよく見ると渋沢栄一という人でした。

よく知らない人で、遠い存在に感じられていました。

ところが渋沢栄一の生家と、私が生まれ育った場所は利根川をはさんで、2kmほどの近い距離であることが分かり、最近、親近感を感じてきました。

共通点というか、少しだけ、シンクロニシティのようなものがあります。

まず簡単に渋沢栄一の生涯について、まとめてみたいと思います。


渋沢栄一は、天保11(1840)年、武蔵国榛沢郡血洗島村(現在の深谷市血洗島)の農家に生まれました。幼い頃から家業である藍玉の製造・販売、養蚕を手伝い、父市郎右衛門からは学問の手ほどきも受けます。7歳頃からは、隣村に住む従兄の尾高惇忠のもとへ通い、「論語」など四書五経を学びました。

文久3(1863)年、幕府の階級制度や一連の外交施策に不満を募らせた栄一らは尊王攘夷思想の影響を受け、高崎城乗っ取り・横浜外国人商館焼き討ちを企てます(計画は直前で断念)。幕府からの追手を避けるために故郷を出た栄一は、かねてから知遇を得ていた家臣の勧めにより一橋家に仕える機会に恵まれ、財政の改善などに手腕を発揮し、次第にその力を認められていきました。やがて、徳川慶喜の弟・昭武の欧州視察の随行員に抜擢されて渡欧すると、先進的な技術や産業を見聞し、近代的な社会制度を知った事が、その後の栄一の人生に大きな影響を与えました。

欧州から帰国した栄一は、蟄居した慶喜のいる静岡で、商法会所をつくって地域振興に取り組んでいましたが、明治政府に招かれ、新しい国づくりに関わりました。その中の一つには、世界遺産となっている富岡製糸場の設立があります。明治6(1873)年に官僚を辞めた後は、第一国立銀行(現在のみずほ銀行)の総監役(のちに頭取)となり、民間人として経済による近代的な国づくりを目指しました。栄一は、銀行を拠点に企業の創設・育成に力を入れて生涯に約500もの企業に関わり、約600の社会公共事業・教育機関の支援や民間外交に尽力しました。

儲けのみを求めるのではなく、世のため人のために働いて儲ける、つまり公共の利益を追求することで、皆が幸せになり、ひいては国が豊かになると考え、実践した栄一は、多くの人に惜しまれながら昭和6(1931)年11月11日、91歳の生涯を閉じました。

(渋沢栄一デジタルミュージアム、深谷市より)


上記の説明を読むだけで、幕末から明治へかけて、日本の新しい時代にチャレンジした生涯が感じられ、その偉大さがわかります。

私との共通点というか、少しだけ、シンクロニシティのようなものがあると述べましたが、

私はあまり能力に秀でたものはなく、どちらかと言えば庶民ですが、以下のようなところで共通点がありました。

フランスに行ったことがある。・・・私は海外経験は少ないのですが、フランスに行ったことがあります。

大隈重信と縁がある。・・・渋沢は、大隈重信に口説かれ、明治政府に招かれました。大隈はご存知、早稲田の創立者ですが、第3代総長に、高田早苗がいます。この人の縁戚筋に私の本家筋の人がいました(戦死)。

・渋沢はノーベル平和賞候補になったことがある。・・・1926年11月11日の平和記念日に、ラジオ放送を通じて平和への訴えを行いました。私も実はノーベル平和賞候補級のミッション(イグ・ノーベルの方かも? ) を持っています! しかしながら、私の方は現時点では、まったく華開いていません。(笑い)

・渋沢と私の誕生日の近似性。・・・渋沢の誕生日は、2月13日。誕生日では、彼は一日先輩です。私は、2月14日。アジアで人気の、のりぴー(^0^)と同じです。渋沢は数字が好きな人のようです。1931年11月11日に永眠しました。11111 ・・・ 1が五つ。私も、最近とある人に、「宇宙は数字でできているんだよ!」 と思わず言っていました。数字には意味があり、大事なものがあるのです。

渋沢は徳川に縁がある。・・・彼は徳川慶喜の弟・昭武の欧州視察に随行したりしました。明治政府に仕えたリバランス感覚のある人でした。私も大局を見ています。一方のみでなく、全体を見るようにしています(着眼大局 着手小局)。私の生まれ育ったところは、徳川家発祥の地という碑がある世良田東照宮とは、2km の距離。渋沢生家とは利根川をはさんで、2km の距離同じ2km、意味ありそうですネ。(^^)

孔子という共通点。・・・私は最近は広義のシンクロ二シティとして、お釈迦様、孔子、信長、家康、光秀などが発出してきましたが、私の姓名の名の方は、論語に関係しています。自らの強い意志で、欲望や邪心を抑えて礼儀を正しくすること。『論語(ろんご)』でいう仁の精神。渋沢は「論語と算盤」を著しました。私は算盤、二級。小学生の時、富士珠算塾にいて全国大会に出ました。

などなど。

渋沢栄一の『論語と算盤』には、ビジネスに限らず、未来を生きる知恵があります。日本の経済ビジネスに大事なことが書かれているようです。今なお多くの経営者や起業家に読み継がれています。

西洋型の資本主義システムと、東洋型の公益・人間主義相反せず融合できると説いています。
天が示す正しくて道理のあること(=論語)と、企業が利潤を求めて活動すること(=算盤)は一致するとして、あらゆる企業活動は、暴利を貪るのではなく、広く社会の利益に資するものでなければいけない。資本主義が暴走し、格差が広がり続ける現代だからこそ、改めて読んでおきたい日本型資本主義の原点ともいえます。

最近では、大リーグで活躍している大谷翔平の愛読書としても知られているようです。

今回は、私のシンクロニシティ研究から、渋沢栄一についてまとめてみました。

ありがとうございます。

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【お知らせ】講演会「渋沢栄一の『地域』へのまなざし」

※たまたま、ご縁ある方より講演会のお知らせをいただきました。
千葉経済大学総合図書館の主催、ちば産学官連携プラットフォーム共催の後援会です。お近くの方で、お時間のある方はぜひ参加されてみてはいかがでしょう。建学の精神として、『片手に論語、片手に算盤』を掲げる千葉経済大学には、鮫島純子さん(さめじま・すみこ。著述家であり、渋沢栄一の孫にあたる方で、100歳まで生きられました。2023年2月25日ご逝去。 )の色紙 (世界の平和は一人一人の心の平安から。感謝の種を一つ一つ拾いましょう。 純子」)が飾られています。

●演  題  「渋沢栄一の『地域』へのまなざし」
●講  師  桑原 功一氏 (渋沢史料館 館長)
●日  時  令和6年7月1日(月)10:40~12:10
  (開場:10:10)
●会  場  千葉経済大学2号館202教室
●入  場  無料 ※一般の方も入場できます
  (申込は不要)
●主  催  千葉経済大学総合図書館
       (千葉経済大学・千葉経済大学短期大学部)
●共  催  ちば産学官連携プラットフォーム
●問合せ先  千葉経済大学総合図書館
        〒263-0021
        千葉市稲毛区轟町3-59-5
        TEL:043-253-9941(図書館直通)
        e-mail:library@cku.ac.jp

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