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【お題:悪魔】出動!G撲滅兵団(1)


 目覚ましい技術革命が起こり、瞬間移動装置が発明されてから久しい。
 
 その装置の恩恵を最も受けているのは、緊急搬送の必要な医療現場でも、直ちに犯行現場から逃げ去りたい犯罪領域でもない。
 
 G対策界隈だ。
 
 Gというのはお察しの通り、ゴではじまり、リで終わる、あなたの周り、いや足元に蹂躙する床下の悪魔のことである。
 いにしえから繰り返されるGと人間の戦いにはまだ、終わりが見えない。
 G対策本部撲滅兵団は、この終わりなき戦いにビジネスチャンスを見出した起業家が立ち上げた、ベンチャー企業である。

 愛子のデスクの固定電話が鳴った。
「はい、こちらG撲滅兵団」
「でた! でたのよぉ!」
 でた。でたと言えば幽霊か、変質者、もしくは床下の悪魔の出現を表す。
「今すぐ来て! 瞬間移動してきて!」
「直ちに向かいますわ」
 愛子は通話を切り、左腕を天井に着き上げた。

 瞬間移動装置は腕時計型で、兵一人ひとりに支給されている。この装置をつけた腕を円を描くように回すことで、指定の自宅まで瞬間移動することができる。
 腹の持ち上がるような感覚があり、一呼吸置いたときには、生活感の漂う台所の電子レンジの前にいた。
「撲滅兵さんっ。あそこです、あの、冷蔵庫の下に今」
 食事の支度をしていたであろう妙齢の女性が、震える手で愛子の兵隊服にしがみついた。
「私が到着するまで、目で追ってくれていたのですね。それはそれは身の毛のよだつ思いだったでしょう」
 愛子が顧客に慈悲深い眼差しを向けると、女性は涙ぐんだ。
「はい、怖かった……」
「私が来たからには安心ですわ。御目汚しになりますから、どうぞソファで待っていてくださいな」
 愛子は女性を居間に送り、冷蔵庫、その無機質な白い立方体と向き合った。

 右手にはスリッパを、左手には包丁を構える。その目は吊り上がり、殺意に満ち、先ほどまでの慈愛を含む面影は微塵もない。
「出て来い、悪魔。この人類の敵め」
 冷蔵庫はぶぅぅんと鳴いて、助けを求めた。人々が食品を預け努めて清潔に保とうとしている家電製品を人質にとるとは、まさに悪の権化。許すまじ行為。
 食器のしまってある引き出し、歯ブラシの立ててある棚。いてほしくない場所に、奴はいる。我々を嘲笑うかのように人の敷地を縦横無尽に動き回る。
 悪魔の行動様式を考えるだけで、愛子は腹の底から憎しみが沸き上がるのを感じた。

 その殺意に恐れをなしたように、一匹のへらべったい、黒く光沢のある生き物が冷蔵庫の下から這い出してきた。
 それを視界に捉えた愛子は、目にも止まらぬスリッパさばきで真上から叩き潰す。
「G撲滅兵団心得一。隙をみせるな先手必勝」

 スリッパはやつの芯を確実に捉えた。プレスで押しつぶされたように、生きていたときの姿形を残したまま、床下の悪魔は動かなくなった。
「今日も……平和に一歩近づいた」
 愛子は心洗われる気分だった。自分の手で世界の平和を保つことができた。その自負が愛子の心を満たす。
「どうですか」静かになった台所に、家主の女性が不安そうな顔を覗かせた。
「無事、家庭の平和は守られましたわ」
 愛子は目尻を下げて、女性に笑顔を向けた。
「ありがとうございます。もう、私足が竦んで、悲鳴をあげることしかできなくて……」
「Gに遭遇したときは」
「フリーダイヤル555。G撲滅兵団、ありがとう!」


「只今戻りました」
「四分五十秒……ついに五分を切ったか。仕事が速いな。流石、A級撲滅兵だ」
 G対策本部に戻ると、上等なスーツに身を包んだ紳士的な男性が待っていた。
「本部長、そんな。恐れ多いですわ。私は少しばかりスリッパ捌きに長けているだけですもの」
 愛子は顔を赤らめて謙遜した。
「蚊も殺せないような顔をしているのになぁ」
 本部長は肩を揺らした。
 
 素敵な上司に、最新装置の備わった職場環境。自分の能力を活かせる業務内容。愛子はこの仕事に満足していた。
 なんといっても給与がいい。
 G撲滅には特別な〝スキル〟が必要で、需要のある商売にも関わらず適任者はそう多くはない。基本給は同世代の会社員とは比べ物にならない水準で、A級撲滅兵はそのなかでも群を抜いてボーナスが高額なのだ。

「今週、科学班から新人が異動してくることになっていてね。育成係としてしばらく同行してもらえるかな」
 本部長は腰に手をあて、ホワイトボードのマグネットを動かした。
「構いませんけど。〝スキル〟はなんですの」
「『加虐的排他』……つまり毒による殺虫だ」
「科学の力で敵を苦しませるなんて、気が合いそうにありませんわ」
 愛子はため息を漏らした。
「君の十八番は一撃必殺だものなぁ。手段はどうあれ皆、目的は同じさ。この終わりなき戦いに終止符を打ちたいんだ」
「本部長は本当に、戦いが終わるのを望んでいますの……?」
 この世からGがいなくなるということは、G対策本部の仕事がなくなるということだ。それはつまり自動的に、本部長との別れを意味する。

「そんな顔をするんじゃないよ。世界の平和が一番だ」
「でも私、本部長以外の誰かのもとで働くなんて……」
 廊下から慌ただしい足音がした。自動ドアが完全に開ききる前に、頭にバンダナを撒いた青年が事務所に入ってきた。
「虫狩先輩、よろしくっす。八雲俊樹っす。百戦錬磨のA級兵に教えてもらえるなんて、嬉しいっす」
 八雲は若者特有の、顎だけ前に突き出すような会釈をした。愛子の嫌いな、ファイトに溢れた品のない男だ。
 そのときまたデスクの電話が鳴った。一番近くにいた本部長が、艶めかしい動作で受話器を取る。
「はい、こちらG撲滅兵団」
『い、いやぁー!』
 耳を劈くような若い女性の悲鳴が、事務所の壁に反射した。
「虫狩、八雲。出動だ」

 愛子と八雲は揃って左腕を突き上げた。G撲滅兵団の仕事はスピードが命だ。
「そういえば先輩の〝スキル〟って、なんでしたっけ」
「見ていればわかりますわ」
 二人は円を描くように腕を回した。

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